琵琶湖疎水船「へいせい号」に乗って蹴上から大津へ

琵琶湖から始まる疎水流れに逆らって、琵琶湖疎水船「へいせい号」は出発しましたが、琵琶湖疎水船にはもう一隻あって、名前は「めいじ号」といいます。秋にはもう一隻増えるそうです・・・余談でした

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船のスピードが早すぎてバルコニー写ってません。耐震性の問題を解決され、一般に公開される日が待ち遠しいです。

このバルコニーで、琵琶湖疎水を下って来られる第122代・明治天皇を当時の皇太子、後の第123代・大正天皇がお出迎えする予定で造られたバルコニーが今も残っています。

疎水に、いくつかトンネルがあります。そのトンネルの入口には「扁額」と呼ばれる石の額が掲げられているのも見所の一つです。その扁額を揮毫した歴史的人物、そしてその一つ一つの意味もガイドさんが解説してくれます。

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出発して直ぐにが“第三トンネル”に入ります。その上部には、「美哉山河」(うるわしきかなさんが)と書かれており、帰港者は、三条実美(さんじょう さねとみ)。幕末維新の政治家で、梨木神社の御祭神ですよね。

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出発して初めて入ったは、案内の通りでしたね、冷んやりしてました。それと水しぶきが若干かかります。気にならない程度ですけど。第三トンネルは約830㍍もあります。

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私は船の先頭に乗られたのは良かったんですけど、トンネル出口の扁額は見えません。「過雨看松色」(かうしょうしょくをみる)。揮毫者は、松方正義です。

ここで、またまた余談ですが、進行方向に向かって見える扁額は、文字が石に浮き出た堀方で“陽刻(ようこく)”と言います。また、反対側(出口側)は、文字が石に刻まれています。これを“陰刻(いんこく)”と言います。

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トンネルを出て直ぐに見えてくる橋は“日本最初のコンクリート橋”です。船のスピードが速いので、詳しくは分からなかったです。

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次に見えて来たのが「第二トンネル」で、この水路で一番短い124㍍しかありません。その上部には「随山到水源」(やまにしたがいて、すいげんにいたる)。揮毫者は西郷隆盛の弟の西郷従道で、NHK大河ドラマ「西郷どん」では、錦戸亮さんが演じていました。

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出口には、「仁以山悦智為水歓」(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)。揮毫者は、井上馨です。

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トンネルを抜けると、両側に遊歩道が通っており新緑が綺麗です。1951年(昭和26年)を最後に通船は廃止されたので、67年振りに復活した船に乗っている訳です。

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程なくして、鮮やかな朱塗りの「本圀寺正嫡橋」が見えて来ます。残念ながら私は未訪問の本圀寺は向かって左に行くそうです。

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遊歩道では、散歩されてる方から手を振って貰えます。ガイドさんより「良かったら手を振ってあげてぐたさい」と言われててたので、恥ずかしながら手を振り返りました。

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程なくして、柵に囲まれた「天智天皇陵」が見えて来ました。第38代・天智天皇は、大化の改新で有名で、中大兄皇子を覚えていました。近江神宮の祭神ですね。

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ここでガイドさんが「上り便でしか見られない風景」として案内されたのが、この光景です。白い波がたっています。

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この辺りでは、アオサギが見られるようになりました。(写真左に写ってます)船が近づくと飛び立ってしまいましたが、この先でも見られました。

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ここから船長は左側を通ります。ガイドさんの案内では、右側が浅くて50㌢しかないそうです。かつて右側に船をつけて往来していた名残だそうです。

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山科に入ると、風景が一変し住宅街が広がります。この辺りは「安祥寺」があって、かつては広大な寺域を誇っていた真言宗の寺院だそうです。

通常非公開の安祥寺が、春季非公開文化財特別公開で初公開されています。4月26日(金)~5月10日(金)まで、拝観料800円。

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私も、必ず行くと思います。その時に疎水船が来たら良いのにね。それと湾曲した岸壁が見えますが、これは昭和の大修理の際にそうされたようです。

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次に案内されたのが毘沙門堂に居たる道にかかる「安朱橋」です。毘沙門堂は、まだまだ、この先を登って行きますが・・・。

通常公開されてる毘沙門堂ですが、春季非公開文化財特別公開で霊殿及び内陣が公開されています。4月26日(金)~5月10日(金)まで、拝観料800円。

私は、安祥寺には行くと思うので、毘沙門堂にも寄りたいとは思っています。以前、桜の時期に毘沙門堂に来たことがふるので知ってましたが、ここから綺麗な風景が広がります。

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今は、桜が散ったあとですが、ここでは満開の桜と菜の花のコラボが楽しめます。この日も菜の花は咲いてくれてました。

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次に左にカープすると「諸羽トンネル」が見えてきます。1970年(昭和45年)に東海道線と平行に湖西線を走らすため新設されたもので、旧水路は埋め立てられ公園になっているそうです。

このトンネルには扁額はありません。琵琶湖疎水が完成した当時は、このトンネルは無かったかならです。

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トンネルを抜けると、広い水路となっています。一日一便だけ下り便が止まる「四ノ宮舟溜」です。

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船は、前方の橋を越えると京都府から滋賀県に入ります。この疎水船も半分以上を過ぎました。

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次に案内されたのが「藤尾橋」です。琵琶湖疎水に最初に掛けられた橋で、煉瓦造り橋台が残っています。

ここを通過して暫くすると船が止まります。「緊急遮断ゲート」が前方にあって、波が収まるまで船長は船を止めました。

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1999年(平成11年)に阪神大震災あと堤防決壊時に水流を止めるため建設されたものです。ここだけはゆっくり通るので鉄の扉も見えました

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そして本日、最後にて最長の「第一トンネル」が見えてきました。2436㍍、トンネルを抜けるのに約10分もかかります。

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疎水船から見る最後の扁額は「廓其有容」(かくとしてそれいるることあり)で、揮毫者が無鄰菴など造った、明治の元勲・山県有朋です。

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第一トンネルに入ると、例によって冷んやりします。それより驚いたことに約2.4㌔先の出口が見えているんですね。

ここから約10分間は景色が変わりません。でも見所があって先ずは先ずは「第二竪坑」を通過します。あまりに速いので写真は撮れなかったです。

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次に「第一竪坑」で、このトンネルを掘るために山上から垂直に穴を掘り、そこから両側に掘り進めていく方式です。竪坑は深さ47㍍もあるそうです。

ここは上部から年中、凄い水量で水が流れ落ちているので、遠目でも分かりました。ガイドさんは前もって懐中電灯で照らしてくれますが、やっぱりスピード速いです。

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このトンネル内にも扁額があって「寶祚無窮」(ほうそむきゅう)で、本日解説してくれた北垣国道が揮毫者です

ここは進行方向の左側で、かつスピードが速いので分かりませんでした。帰って写真を見ても分からないです。

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それでトンネルの半ば過ぎた頃から再び、オープニングで登場してた北垣国道が再度登場して解説してくます。トンネルの壁に映し出す、上手な演出ですよね。

このトンネルは日本人のみで行いましたが、想定以上の固い岩盤や湧き水で工事は難航を極めました・・・そのような話を北垣国道が話されました。

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長い長い第一トンネルを抜けると、直ぐに着船の準備に入ります。琵琶湖疎水の旅は約35分、時間どおりの到着で、着いたら船長の指示で、一人一人船を上がります。

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9名全員が陸に上がったところで、少し先にある「第一トンネル」の扁額を見に行きます。そこには初代内閣総理大臣の伊藤博文が揮毫した「気象萬千」(きしょうばんせん)と書かれています。

また、扁額の上には田邉朔郎(たなべ さくろう)を称える印刻があるそうです。また、この鉄の扉は、まだ使われたことが無いと案内されました・・・と言うのも、1896年(明治29年)に琵琶湖で大洪水が起こり造られましたが、後に南郷洗堰が造られたことにより、一度も使われてないとの事です。

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第一トンネルから、“へいせい号”はUターンして停泊してます。そのあと全員で「大津閘門」まで歩いて行きました。

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琵琶湖疎水通水式には、明治天皇がご臨席され開催されたことを記念する石碑が立っています。

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ガイドさんは、「大津閘門」の仕組みも話されて、琵琶湖から水を引き込む線と、船が出入るする線との違いなど、大変勉強になりました。

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そして、最後に来ているジャンパーを箱に入れて解散です。ガイドさんは「激戦の下り便の予約を勝ち取って是非、来てください」との案内で終わりました。

私はトイレを済ませて、11時40分にここを出ました。想像以上に楽しい船旅でしたので、今度は是非、下り便を予約して船に乗りたいと思います。

【大津閘門 乗船場】



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