平成31年度「春期京都非公開文化財特別公開」聖護院へ
今年も、「春期京都非公開文化財特別公開」が、4月26日(金)~5月6日(月・祝)(一部を除く)の日程で始まりました。いつもなら平成31年度と書かれていますが、5月1日から年号が変わるので、今年は平成の文字も令和の文字もありません。私は、タイトルには平成の文字を入れました。5月以降に行ったら“令和元年”に変えるつもりです。
前日、琵琶湖疎水船に乗りましたが、浜大津駅から太秦天神川行きの直通に乗れ端ですけど、乗れなかったら三条京阪で下車して行くつもりにしていた本山修験宗 総本山 聖護院に4月27日(土)に行きました。私は金曜日が休みのため11連休の二日目、世間ではこの日から10連休が始まりましたが、まだこの日は混雑しないだろうと思い来て見ました。
聖護院には2013年(平成25年)の「京の冬の旅」で来て以来、久し振りの訪問です。9時5分前に着くと、ざっさ5名程度の方が受付を待っていました。
雄大な「山門」は、2000年(平成12年)に修復されました。その前に「聖護院門跡」と書かれた大きな石標があって、くぐり正面には宸殿への入口にあたる「大玄関」があります。
少し早かったので綺麗な躑躅を撮りました。大玄関に上がる手前の右手に「拝観受付所」があります。その前に数名と一緒に並びました。
こちらは庭園の入口にあたる門でしょう。「参拝入口」とありますが、何かの行事にしか開かないでしょう・・・これが帰りに驚くことに。
9時になると受付が始まって、そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せ、入ります。その際に今回の“拝観の手引き”(300円)と、昨年まで京都和敬会(友の会)の会員でしたので、昨年秋の“拝観の手引き”(無料)をいただいて靴を袋に入れて上がります。すると早速、関西学生 古美術連盟に所属する大学生さんによって案内が始まりました。
この聖護院は、第119代・光格天皇が御所が焼失した際に、約3年間住まわれた縁や、平成天皇以前、最後に生前退位された天皇でもあり、また今上天皇の直系でもあることから、今回の特別公開となったようです。大玄関での見所は、光格天皇が自ら彫られた「光格天皇親刻(しんこく)阿弥陀仏」でしょう。また、光格天皇が使われた輿も展示されてました。
大玄関を抜けると、次は宸殿です。その宸殿前には綺麗な幾何学模様の庭園が広がります。
寝殿は、1676年(延宝4年)に建てられたました。法親王が居住する門跡寺院の正殿にあたります。明治の廃仏毀釈、そして修験道廃止令により、多くの末寺は廃寺となりましたが、その末寺の不動明王立像が三体祀られてました。それぞれ室町時代・鎌倉時代・江戸時代のものです。
前回の記憶が殆ど無いので、ガイドさんの説明を興味深く聞きました。最初の案内で、写真撮影は庭園と上段之間はOKと聞きました。次にその“上段之間”に向かいます。
光格天皇が執務を行った「上段之間」です。周りの障壁画は狩野派の絵師・狩野益信(かのうますのぶ)の筆によるもの。
宸殿の「上段之間」は天明の大火で御所が焼けた際、再建までの3年間、光格天皇の仮御所として使われました。光格天皇は、ここで執務を行ったと言われています。
珍しいですね、堂内を撮影できるんて、念のため再度ガイドさんに確認しました。ここでもガイドさんの話があり、それによると・・・。
扁額には「研鑽」とかかれており、第108代・後水尾天皇によって書かれてもので、畑を耕し、農機具を研ぐと意味から、自分を研いで角が無く丸い人間になりなさい、との意味が込められており、この扁額の角は丸くなっています。
背後の絵は、瀧の流れを描いています。こちらに向かって流れいる様子から、身分の低い人も高い人も、同じ志を持つ同胞であることが表現されています。
1968年(昭和43年)に再建された「本堂」の内陣には、重要文化財の本尊・不動明王立像で平安時代後期のものです。また、左には役行者像も祀られてました。
本堂から見た、前庭と宸殿です。前途したとおり綺麗な幾何学模様の美しい庭園ですが、所々に猫の置物が・・・。このあと、案内に従って書院に向かいます。
宸殿の東側から本堂を見ています。この本堂と書院との間には庭園があって、キリシマツツジが綺麗に咲いています。
「書院」でも学生さんが案内してくれます。ここから見たキリシマツツジも綺麗です。前回は冬のため、雪が積もっていました。
京都御所より後水尾天皇の後宮、櫛笥隆子(くしげ たかこ・第111代・後西天皇の生母)の御殿を賜って移築されたもの。襖絵は狩野派の絵師が、袋棚の絵は呉春・松村景文の筆と伝わります。
書院から、いくつかの“坪庭”を巡って、大玄関まで戻ってくるコースとなっていました。朱印は、前回いただいているので、今日は貰っていません。
「大玄関」を9時20分に出ました。すると、来たときには閉まっていた“参拝入口”が開いてます。こうなったら想定外ですが行ってみます。
入口を入ると、宸殿からは見えなかった神社があって、左から「稲荷神社」「日吉山玉社」「辨財天」と扁額には書かれていました。
“前庭”から見ると、正面に「宸殿」が見えます。やっぱり門が開いているので、皆さん来られますね。
綺麗に描かれた砂紋を、よくよく見ると猫の置物が置いてあります。いくつかあるので探すのも面白いです。「本堂」前まで行って、通り抜けできないので、そこから引き返しました。
この石は、「笈掛石(おいかけいし)」と書かれています。笈・・・修験者や山伏が背負った木製木箱のような昔のリュック・・・笈を立て掛けて休息したところです。
聖護院では、ここで「採燈大護摩供」をされます。その際に採燈師(門主)が座られる椅子となる石です。護摩の力をいただけるパワースポットとなっています。
ここにも可愛い猫の置物がありました。そして入口付近にあったのが「日吉櫻」です。咲いてる所も見たいです。
今回の「春期京都非公開文化財特別公開」で、聖護院門跡の他に、「積善院凖提堂」も入れます。次にそちらに向かいます。
この日の目的は、以前来たことがある聖護院門前ではなく、初めて公開される積善院凖提堂でした。
【聖護院門跡 本堂】
前日、琵琶湖疎水船に乗りましたが、浜大津駅から太秦天神川行きの直通に乗れ端ですけど、乗れなかったら三条京阪で下車して行くつもりにしていた本山修験宗 総本山 聖護院に4月27日(土)に行きました。私は金曜日が休みのため11連休の二日目、世間ではこの日から10連休が始まりましたが、まだこの日は混雑しないだろうと思い来て見ました。
聖護院には2013年(平成25年)の「京の冬の旅」で来て以来、久し振りの訪問です。9時5分前に着くと、ざっさ5名程度の方が受付を待っていました。
雄大な「山門」は、2000年(平成12年)に修復されました。その前に「聖護院門跡」と書かれた大きな石標があって、くぐり正面には宸殿への入口にあたる「大玄関」があります。
少し早かったので綺麗な躑躅を撮りました。大玄関に上がる手前の右手に「拝観受付所」があります。その前に数名と一緒に並びました。
こちらは庭園の入口にあたる門でしょう。「参拝入口」とありますが、何かの行事にしか開かないでしょう・・・これが帰りに驚くことに。
9時になると受付が始まって、そこで京都市文化観光資源保護財団からいただいた招待券を見せ、入ります。その際に今回の“拝観の手引き”(300円)と、昨年まで京都和敬会(友の会)の会員でしたので、昨年秋の“拝観の手引き”(無料)をいただいて靴を袋に入れて上がります。すると早速、関西学生 古美術連盟に所属する大学生さんによって案内が始まりました。
この聖護院は、第119代・光格天皇が御所が焼失した際に、約3年間住まわれた縁や、平成天皇以前、最後に生前退位された天皇でもあり、また今上天皇の直系でもあることから、今回の特別公開となったようです。大玄関での見所は、光格天皇が自ら彫られた「光格天皇親刻(しんこく)阿弥陀仏」でしょう。また、光格天皇が使われた輿も展示されてました。
大玄関を抜けると、次は宸殿です。その宸殿前には綺麗な幾何学模様の庭園が広がります。
寝殿は、1676年(延宝4年)に建てられたました。法親王が居住する門跡寺院の正殿にあたります。明治の廃仏毀釈、そして修験道廃止令により、多くの末寺は廃寺となりましたが、その末寺の不動明王立像が三体祀られてました。それぞれ室町時代・鎌倉時代・江戸時代のものです。
前回の記憶が殆ど無いので、ガイドさんの説明を興味深く聞きました。最初の案内で、写真撮影は庭園と上段之間はOKと聞きました。次にその“上段之間”に向かいます。
光格天皇が執務を行った「上段之間」です。周りの障壁画は狩野派の絵師・狩野益信(かのうますのぶ)の筆によるもの。
宸殿の「上段之間」は天明の大火で御所が焼けた際、再建までの3年間、光格天皇の仮御所として使われました。光格天皇は、ここで執務を行ったと言われています。
珍しいですね、堂内を撮影できるんて、念のため再度ガイドさんに確認しました。ここでもガイドさんの話があり、それによると・・・。
扁額には「研鑽」とかかれており、第108代・後水尾天皇によって書かれてもので、畑を耕し、農機具を研ぐと意味から、自分を研いで角が無く丸い人間になりなさい、との意味が込められており、この扁額の角は丸くなっています。
背後の絵は、瀧の流れを描いています。こちらに向かって流れいる様子から、身分の低い人も高い人も、同じ志を持つ同胞であることが表現されています。
1968年(昭和43年)に再建された「本堂」の内陣には、重要文化財の本尊・不動明王立像で平安時代後期のものです。また、左には役行者像も祀られてました。
本堂から見た、前庭と宸殿です。前途したとおり綺麗な幾何学模様の美しい庭園ですが、所々に猫の置物が・・・。このあと、案内に従って書院に向かいます。
宸殿の東側から本堂を見ています。この本堂と書院との間には庭園があって、キリシマツツジが綺麗に咲いています。
「書院」でも学生さんが案内してくれます。ここから見たキリシマツツジも綺麗です。前回は冬のため、雪が積もっていました。
京都御所より後水尾天皇の後宮、櫛笥隆子(くしげ たかこ・第111代・後西天皇の生母)の御殿を賜って移築されたもの。襖絵は狩野派の絵師が、袋棚の絵は呉春・松村景文の筆と伝わります。
書院から、いくつかの“坪庭”を巡って、大玄関まで戻ってくるコースとなっていました。朱印は、前回いただいているので、今日は貰っていません。
「大玄関」を9時20分に出ました。すると、来たときには閉まっていた“参拝入口”が開いてます。こうなったら想定外ですが行ってみます。
入口を入ると、宸殿からは見えなかった神社があって、左から「稲荷神社」「日吉山玉社」「辨財天」と扁額には書かれていました。
“前庭”から見ると、正面に「宸殿」が見えます。やっぱり門が開いているので、皆さん来られますね。
綺麗に描かれた砂紋を、よくよく見ると猫の置物が置いてあります。いくつかあるので探すのも面白いです。「本堂」前まで行って、通り抜けできないので、そこから引き返しました。
この石は、「笈掛石(おいかけいし)」と書かれています。笈・・・修験者や山伏が背負った木製木箱のような昔のリュック・・・笈を立て掛けて休息したところです。
聖護院では、ここで「採燈大護摩供」をされます。その際に採燈師(門主)が座られる椅子となる石です。護摩の力をいただけるパワースポットとなっています。
ここにも可愛い猫の置物がありました。そして入口付近にあったのが「日吉櫻」です。咲いてる所も見たいです。
今回の「春期京都非公開文化財特別公開」で、聖護院門跡の他に、「積善院凖提堂」も入れます。次にそちらに向かいます。
この日の目的は、以前来たことがある聖護院門前ではなく、初めて公開される積善院凖提堂でした。
【聖護院門跡 本堂】