平成31年度「春期京都非公開文化財特別公開」積善院凖提堂へ

聖護院門跡を出て、次に平成31年度「春期京都非公開文化財特別公開」積善院凖提堂(しゃくぜんいんじゅんていどう)に行きました。料金は聖護院門跡と積善院凖提堂とセットですので、聖護院門跡でいただいた拝観券を見せる入れるシステムでした。

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ここには2017年(平成29年)に一度来てますし、御朱印も既にいただています。そのため目的は、堂内だけです

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前回来たときは、閉まっていた本堂が、今日は全開です。ここで靴を脱いで袋に入れ上がり、堂内でスタンバイしている学生さんに聖護院の半券を見せ入ります。

積善院は、お隣の聖護院の院家として鎌倉時代初期に創建されました。1880年(明治13年)に凖提堂と合併し、その後2001年(平成13年)に、才知院と定泉院のご本尊を合祀し現在に至っています。内陣中央には、重要文化財に指定されてる不動明王立像(平安末期から鎌倉時代)は、元々積善院のご本尊でした。その奥には高さが3㍍ほどある凖提観世音菩薩像(江戸時代)が祀られています。かつては、凖提堂のご本尊でした。凖提堂は光格天皇の発願によって創建されたものです。また、内陣右側には「弁財天女尊立像」 (江戸時代)は、才知院のご本尊でした。今回の公開で綺麗に修復され祀られることとなりました。また、内陣の左側には定泉院のご本尊でした「役行者像」と、荼枳尼天像、地蔵菩薩像も祀られていました。

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本堂の西側には「旧積善院本堂」があります。お堂前の石灯籠の中には、変わった置物があったので撮ってみました・・・なんでしょう

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境内の西側にあるのが、聖護院森で心中し、「近頃河原達引」という歌舞伎になった「お俊伝兵衛恋情塚」もガイドさんより案内がありました。

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こちらは、平安末期の“保元の乱”に敗れ、讃岐に流された崇徳上皇の死後、大火や疫病で多くの人が亡くなったため、崇徳上皇の靈を慰めるため制作された「人喰い地蔵」です。“すとくいん”がまなり“ひとくい”になったそうです。

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境内には旧聖護院寺領にあった石仏や京都大学に縁のある三高地蔵尊なども合祀されてるそうです。また、ここでも可愛い置物がありました。

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ここには9時35分頃に出て行きました。連休初日でしたが、9時過ぎに来たので、まだまだ、この時間では空いてました

車は、聖護院前のコインパーキングに止めました。ここのコインパーキングは高いのが気になりましたが、もう少し寄り道していくことに・・・

【積善院凖提堂】



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