平成31年度「春期京都非公開文化財特別公開」慈受院(薄雲御所)へ

「聖護院門跡・積善院凖提堂」の特別拝観を楽しんだあと、東大路通りを北上し今出川通りを左折し西に向かいます。次に堀川通りに出るので右折し、堀川通りを北上し寺之内通りを過ぎた先にあるコインパーキングに車を止めました。そして、徒歩で堀川通りを渡り少しだけ上がった所にあるのが、平成31年度「春期京都非公開文化財特別公開」慈受院(薄雲御所)で、10時00分に着きました。

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通常非公開と言うより拝観謝絶されてる慈受院(じじゅいん)ですので、この特別公開では是非行く予定にしてました。6年振りの公開ですが、前回は行きそびれました。

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堀川通りの表門を入ると、そこは駐車場になっており、そこを横切り「山門」をくぐります。ここは通常“拝観謝絶”で、内部に入ることはできません。

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山門を入ると、「玄関」前に、臨時の拝観受付所があって、そこで京都市文化観光資源保護財団から招待券を見せて入ります。これで“招待券”は使い切りました

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靴を脱いで袋に入れ上がります。玄関から案内版に従って進むと、方丈に出て、その前には枯山水庭園がありました。

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庭園の手前に手水鉢があって、奥には満開のキリシマツツジが大変綺麗です。苔むした庭園に白砂が川の流れを表現しているようです。また、中央には御神木がありました。

方丈に入ると、最初の部屋が仏間になっており、そこに御本尊の釈迦如来像が祀られてました。

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次の間には、日本最古で、と藤原鎌足の一代記言われる「大織冠絵巻(たいしょくかんえまき)」が展示されてました。

また、奥の部屋には「花鳥図」屏風(狩野探信筆)、「四季花籠図・薄雲御所の花」屏風(後桜町天皇下賜)など寺宝を見学し、奥に進みます。

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方丈から書院にいたる間には、ここにも前庭がありました。それぞれの部屋に学生さんがガイドをされてますが、段取りが悪くて・・・。

入ってからどの部屋でも学生さんは、先の拝観者と話されてて、私は方丈から書院へと3周したんですけど、結局・・・話は聞けませんでした・・・せっかく来たのに残念です。

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こちらの坪庭にはハナミズキが咲いてました。写真の奥が御朱印を受付されていた部屋で、多くの人が並んでいます。

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こちらの部屋も、ガイドさんは先の拝観者の相手をされてて、ずっと待ってても終わりそうにもないので、痺れを切らして写真だけ撮って出て行きました。

この部屋には、「後水尾天皇念持仏である阿弥陀如来像」や、「豊臣秀頼公産湯道具」(桶・水差し)、「羽柴秀吉仮名消息」(慈受院門跡へとの直筆)など展示されています。

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お隣の部屋は、殆ど興味が無いので写真だけ撮って、気になる御朱印に行ってみると、全然列が進んでません。

ガイドさんも要領が悪かったけど、ここも要領が悪く、前途したとおり、方丈と書院を3周しましたが、ガイドさんの話も聞けず、ここも列が進まず、もう諦めて出て行きました。

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前途したとおり10時頃に入りましたが、結構な人が来られてましたし、私が玄関から出ていく時も、数名の方が入って来られました。

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山門を出ると、行きから気になっていた「毘沙門天堂」と「稲荷大神」がありましたが、慈受院門跡との関連は分かりません。


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ここには10時14分に出ました。さほど広くないので案内を聞かなかったらこんなもんでしょう。滅多に公開されない寺院で、来られたのは良かったです。

1428年(正長元年)、室町幕府第4代将軍・足利義持の正室である日野栄子が皇室代々の菩提を弔うために創建したと伝えられます。院号の由来は、日野栄子の戒名である慈受院 淨賢竹庭尼大禪師から。 創建以来、皇室、将軍家、摂関家より住持が入山しています。応仁の乱や1708年(宝永5年)の大火によって焼失し移転を重ね、1919年(大正8年)に同じく日野栄子が開基の総持院を併合して、現在地に再興しました。
(Wikipediaより)

再びコインパーキングで戻って精算すると、9時57分入庫、10時17分出庫で200円でした。これが普通ですよね、前のは高過ぎです。これで今日は帰りました。

【慈受院門跡】



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