妙心寺塔頭 大法院 「新緑露地庭園特別公開」 へ
令和に元号が変わって、最初の訪問に妙心寺塔頭 大法院 「新緑露地庭園特別公開」に行きました。本当は、ここが目的じゃ無かったんですけど、目的の寺院が開門前に行列が出来たので、そこをスルーし急遽目的変更で来た見た訳です。
事前に調べて来た訳では無いので、この立て看板を見て「それなら行ってみよう」と。調べると特別公開は、4月1日~5月5日まで、9時から16時でした。
ここには10時5分に「山門」前に着きましたら、一組の方が出て来られました。開門が9時で、10時過ぎに来たので空いてたら良いのになぁ・・・程度の思いで門をくぐります。
ここには、2016年(平成28年)に新緑と紅葉で来ています。まぁ・・・それ以前にも何度か来てましたが・・・それで、山門に真田家の家紋である“ 六文銭”があるこは知ってました。
山門を入って左手に臨時の「拝観受付所」があって、700円を納めます。受付は僧侶の方がされてました。
参道には綺麗に躑躅が咲いています。その参道で、また一組の方とすれ違いました。連休中だし、結構来られているんだなぁ・・・と、この時は思いました・・・。
山門から参道に出て、左手に“佐久間象山の墓”の入口がありますが、帰りに寄ります。その長い参道を歩いて「玄関」までやって来ました。
両側の下駄箱を見てみると、靴が一足もありません・・・と言うことは、堂内には誰も居ない・・・かも・・・です。
玄関から「方丈」に入ると、やっぱり誰も居ません。それなら後続が来るまでの間に、後ろから写真を撮ってみました。
庭の写真を撮っていると、ほどなくして“和菓子”と“抹茶”が運ばれてきました。綺麗な新緑の庭を見ながら美味しいお菓子は美味しかったです。
心地良い風が吹き抜け、新緑の露地庭園をのんびり鑑賞しました。誰も居ない堂内は静かで、木々が揺れる音だけ、連休中は何処も混雑してましたが、ここだけは別世界のようでした。
裏庭も見てみました。結界があって、これ以上は近づけませんが、ここから“露地庭園”を見てみると・・・。
方丈内で、これ以上下がれない所から庭園を撮りました。なお、室内は撮影禁止のため、襖絵なんかは撮りません。
最後に、茶室「有隣軒」を見学しました。内部は、いつも立入禁止のため入れませんが、茶室内から庭園も見てみたいですね。
入る時にお願いしていた朱印帳を受取、ここを出ました。入ってから出るまで独占でしたが、堂内を出るとき入れ違いに一組が、また玄関で一組が入って来られました。
行きに、スルーした「佐久間象山の墓」に寄ろうとしたら、何と「千代の富士顕彰碑」と書かれた石碑が立っています。
「真田一族・佐久間象山 墓地参道」の入口には「横綱 千代の富士顕彰碑 この奥」と書かれた張り紙があります。興味津々、奥に進んで行くと・・・。
参道脇には、もう峠を過ぎたであろう、“牡丹の花”が綺麗に咲いていました。以前着たときは、満開だったのを思い出しました。
もう、ここは4度目ですので、“真田一族や佐久間象山の墓”の場所は知ってます。ただ千代の富士は探しました。
上から、長姫(信之の孫・天祥院)・真田信吉(信之の子・上野沼田藩の第2代藩主)・真田信之(大法院・信濃上田藩初代藩主、後に信濃松代藩初代藩主)・真田信利(信吉の子・上野沼田藩の第4代藩主)。
信濃松代藩の8代藩主・真田幸貫の儒臣であった縁でしょう、攘夷派に暗殺されてしまった佐久間象山は、ここで眠っています。
そして、“千代の富士顕彰碑”をくまなく探しましたが、墓地には無かったです。それで墓地を出て参道を元に戻ると・・・ありました。
大横綱・千代の富士は、仏心に篤かったそうで、現役引退後は九重部屋を継承、そして以来、大法院は厚い信仰があり、毎年紅葉の時期には多くの友人と集まり語り合ったそうです。
その友人たち同志一同が、この顕彰碑を建立されたようです。その旨、ここには書いてありました。ただ、受付の僧侶の方に聞いても知らなかったのには驚きましたね。
10時35分頃に出ましたが、この頃より良く晴れて来ました。多分、帰る頃までに5組ぐらいでしょうか、すれ違いました。私はラッキーでした。
【妙心寺塔頭 大法院 露地庭園】
事前に調べて来た訳では無いので、この立て看板を見て「それなら行ってみよう」と。調べると特別公開は、4月1日~5月5日まで、9時から16時でした。
ここには10時5分に「山門」前に着きましたら、一組の方が出て来られました。開門が9時で、10時過ぎに来たので空いてたら良いのになぁ・・・程度の思いで門をくぐります。
ここには、2016年(平成28年)に新緑と紅葉で来ています。まぁ・・・それ以前にも何度か来てましたが・・・それで、山門に真田家の家紋である“ 六文銭”があるこは知ってました。
山門を入って左手に臨時の「拝観受付所」があって、700円を納めます。受付は僧侶の方がされてました。
参道には綺麗に躑躅が咲いています。その参道で、また一組の方とすれ違いました。連休中だし、結構来られているんだなぁ・・・と、この時は思いました・・・。
山門から参道に出て、左手に“佐久間象山の墓”の入口がありますが、帰りに寄ります。その長い参道を歩いて「玄関」までやって来ました。
両側の下駄箱を見てみると、靴が一足もありません・・・と言うことは、堂内には誰も居ない・・・かも・・・です。
玄関から「方丈」に入ると、やっぱり誰も居ません。それなら後続が来るまでの間に、後ろから写真を撮ってみました。
庭の写真を撮っていると、ほどなくして“和菓子”と“抹茶”が運ばれてきました。綺麗な新緑の庭を見ながら美味しいお菓子は美味しかったです。
心地良い風が吹き抜け、新緑の露地庭園をのんびり鑑賞しました。誰も居ない堂内は静かで、木々が揺れる音だけ、連休中は何処も混雑してましたが、ここだけは別世界のようでした。
裏庭も見てみました。結界があって、これ以上は近づけませんが、ここから“露地庭園”を見てみると・・・。
方丈内で、これ以上下がれない所から庭園を撮りました。なお、室内は撮影禁止のため、襖絵なんかは撮りません。
最後に、茶室「有隣軒」を見学しました。内部は、いつも立入禁止のため入れませんが、茶室内から庭園も見てみたいですね。
入る時にお願いしていた朱印帳を受取、ここを出ました。入ってから出るまで独占でしたが、堂内を出るとき入れ違いに一組が、また玄関で一組が入って来られました。
行きに、スルーした「佐久間象山の墓」に寄ろうとしたら、何と「千代の富士顕彰碑」と書かれた石碑が立っています。
「真田一族・佐久間象山 墓地参道」の入口には「横綱 千代の富士顕彰碑 この奥」と書かれた張り紙があります。興味津々、奥に進んで行くと・・・。
参道脇には、もう峠を過ぎたであろう、“牡丹の花”が綺麗に咲いていました。以前着たときは、満開だったのを思い出しました。
もう、ここは4度目ですので、“真田一族や佐久間象山の墓”の場所は知ってます。ただ千代の富士は探しました。
上から、長姫(信之の孫・天祥院)・真田信吉(信之の子・上野沼田藩の第2代藩主)・真田信之(大法院・信濃上田藩初代藩主、後に信濃松代藩初代藩主)・真田信利(信吉の子・上野沼田藩の第4代藩主)。
信濃松代藩の8代藩主・真田幸貫の儒臣であった縁でしょう、攘夷派に暗殺されてしまった佐久間象山は、ここで眠っています。
そして、“千代の富士顕彰碑”をくまなく探しましたが、墓地には無かったです。それで墓地を出て参道を元に戻ると・・・ありました。
大横綱・千代の富士は、仏心に篤かったそうで、現役引退後は九重部屋を継承、そして以来、大法院は厚い信仰があり、毎年紅葉の時期には多くの友人と集まり語り合ったそうです。
その友人たち同志一同が、この顕彰碑を建立されたようです。その旨、ここには書いてありました。ただ、受付の僧侶の方に聞いても知らなかったのには驚きましたね。
10時35分頃に出ましたが、この頃より良く晴れて来ました。多分、帰る頃までに5組ぐらいでしょうか、すれ違いました。私はラッキーでした。
【妙心寺塔頭 大法院 露地庭園】