二つの時代が異なる庭園を楽しめる依水園へ
入江泰吉旧居を出て、約2分ぐらいでしょうか、次の目的地である依水園に着きました。
9時51分に「正門」前に着きました。ここは9時30分から開門です。以前から庭園が綺麗だと聞いていたので来たかった所です。
アメリカの日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が毎年日本庭園のランキングを発表しています。ここ依水園は20位で、私はこれで、この庭園を知りました。
ここには初めて来たので受付を知りません。門を入って暫く奥に歩いていくと、左手に受付がありました。入園料は900円で、庭園と寧楽美術館込みの料金でした。
多分、外国人観光客が多いだろうなぁ・・・と思って来ました。料金を払うと案内に従って庭園から先に見ます。
依水園は、二つの庭園からなる奈良を代表する池泉回遊式庭園です。前園は江戸時代に奈良晒(ならざらし)の御用商人・清須美道清(きよすみどうせい)が作り、後園は若草山、東大寺南大門、春日山や御蓋山を借景とし、明治時代の実業家・関 藤次郎(せき とうじろう)により作られました。
門を入ると「前園」です。池越しに“三秀亭”が見えています。江戸時代に造られた見事な庭園をいきなり目にし感激です。
ここは帰りに戻ってるコースのため、帰りにじっくり見ることにし、次に「清秀庵(せいしゅうあん)」に入ります。
京都にある裏千家の茶室「又隠(ゆういん)」を模して造られたのが“清秀庵”です。ただ内部は見られませんでした。
ここを抜けると“前園”から“後園”に変わります。ここから先にあるのが「氷心亭(ひょうしんてい)」です。
新薬師寺に使われていた天平古材を用いて明治期に作られた書院造りの茶室です。
この茶室を抜けると、急に視界が広がり、目の前に見事な庭園が広がっています。“前園”とまったく趣が異なり、あまりの見事さに息をのみました。
奥に若草山や東大寺南大門を借景にしています。あれだけの観光客が押し寄せる東大寺の喧噪が嘘のように、ここは静かです。
西から東に庭園へ入った来たので、この時間では逆行です。そして西側に振り向くと、先程通ってきた“氷心亭”と、その隣にあるのが“柳生堂”です。
柳生一族の菩提寺であった「芳徳寺」にあったお堂を、明治期に移築したもの。その前には人工に作られた“築山”が美しい。
園内を西から東に、奥へ奥へ川の流れに逆らって苑路を歩いて行きます。ここには外国人観光客の他に、小学生も来られていますが、遠足か修学旅行生でしょう。
庭園の東奥まで行くと、「水車小屋」を見つけました。近づいてと見てみると、実際に動いているですよね。
帰りは園内の南側を通りますが、“後園”の最後にあったのが「挺秀軒(ていしゅうけん)」です。江戸期に建てられた茶室を、明治期に入って裏千家の待合にも使えるように縁を取り付けた茶室です。
ここを抜けると、再び前園に入ります。余談ですが、ここのお隣も庭園なんですね、そこを行き交う人が見えるんです。ここの次に行く予定にしています。
再び「三秀亭(さんしゅうてい)」が見えてきました。最初に入った時、ここに人が居たので写真を撮るのを遠慮したので、今は誰も居ないのを確認してます。
“三秀亭”は、清須美道清が江戸時代前期に別邸として移築した建物です。また、池に浮かぶ睡蓮が綺麗に咲いていました。
庭園を10時10分頃に出てきました。足さえ元気ならもう一周したいところ、次にお隣の庭園にも入りたいので出てきました。
次は、料金の900円に含まれている寧楽美術館に入ります。つづく。
【依水園】
9時51分に「正門」前に着きました。ここは9時30分から開門です。以前から庭園が綺麗だと聞いていたので来たかった所です。
アメリカの日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が毎年日本庭園のランキングを発表しています。ここ依水園は20位で、私はこれで、この庭園を知りました。
ここには初めて来たので受付を知りません。門を入って暫く奥に歩いていくと、左手に受付がありました。入園料は900円で、庭園と寧楽美術館込みの料金でした。
多分、外国人観光客が多いだろうなぁ・・・と思って来ました。料金を払うと案内に従って庭園から先に見ます。
依水園は、二つの庭園からなる奈良を代表する池泉回遊式庭園です。前園は江戸時代に奈良晒(ならざらし)の御用商人・清須美道清(きよすみどうせい)が作り、後園は若草山、東大寺南大門、春日山や御蓋山を借景とし、明治時代の実業家・関 藤次郎(せき とうじろう)により作られました。
門を入ると「前園」です。池越しに“三秀亭”が見えています。江戸時代に造られた見事な庭園をいきなり目にし感激です。
ここは帰りに戻ってるコースのため、帰りにじっくり見ることにし、次に「清秀庵(せいしゅうあん)」に入ります。
京都にある裏千家の茶室「又隠(ゆういん)」を模して造られたのが“清秀庵”です。ただ内部は見られませんでした。
ここを抜けると“前園”から“後園”に変わります。ここから先にあるのが「氷心亭(ひょうしんてい)」です。
新薬師寺に使われていた天平古材を用いて明治期に作られた書院造りの茶室です。
この茶室を抜けると、急に視界が広がり、目の前に見事な庭園が広がっています。“前園”とまったく趣が異なり、あまりの見事さに息をのみました。
奥に若草山や東大寺南大門を借景にしています。あれだけの観光客が押し寄せる東大寺の喧噪が嘘のように、ここは静かです。
西から東に庭園へ入った来たので、この時間では逆行です。そして西側に振り向くと、先程通ってきた“氷心亭”と、その隣にあるのが“柳生堂”です。
柳生一族の菩提寺であった「芳徳寺」にあったお堂を、明治期に移築したもの。その前には人工に作られた“築山”が美しい。
園内を西から東に、奥へ奥へ川の流れに逆らって苑路を歩いて行きます。ここには外国人観光客の他に、小学生も来られていますが、遠足か修学旅行生でしょう。
庭園の東奥まで行くと、「水車小屋」を見つけました。近づいてと見てみると、実際に動いているですよね。
帰りは園内の南側を通りますが、“後園”の最後にあったのが「挺秀軒(ていしゅうけん)」です。江戸期に建てられた茶室を、明治期に入って裏千家の待合にも使えるように縁を取り付けた茶室です。
ここを抜けると、再び前園に入ります。余談ですが、ここのお隣も庭園なんですね、そこを行き交う人が見えるんです。ここの次に行く予定にしています。
再び「三秀亭(さんしゅうてい)」が見えてきました。最初に入った時、ここに人が居たので写真を撮るのを遠慮したので、今は誰も居ないのを確認してます。
“三秀亭”は、清須美道清が江戸時代前期に別邸として移築した建物です。また、池に浮かぶ睡蓮が綺麗に咲いていました。
庭園を10時10分頃に出てきました。足さえ元気ならもう一周したいところ、次にお隣の庭園にも入りたいので出てきました。
次は、料金の900円に含まれている寧楽美術館に入ります。つづく。
【依水園】