山科疎水沿いを散策
安祥寺から次は、同じく今日まで特別公開していた毘沙門堂を目指します。ただ毘沙門堂は、この日に行かなくても、秋にも同じような特別公開があるので、膝を痛めているため無理はしません。ただ4月26日(金)に、疎水船で見た風景をあらためて、今度は歩いて山科疎水沿いを巡って行きます。
4月26日の疎水船には、私は右側に乗っていたので、見覚えある風景は疎水の右側です。その疎水の右側に散策路が整備されています。
安祥寺を出て、琵琶湖疎水を左に曲がると、散策路が整備されてて、ゆっくり歩いて行きます。暫くは先程訪れた安祥寺の外塀を眺め上流へ向かって歩いて行きます。
次に見えて来たのが、「京都府立洛東高等学校」です。疎水船のガイドさんも紹介してくれた高校で、ここの卒業生には、近藤正臣さん、小林薫さん、中島知子さんらがいます。
鳥の囀りを聞きながら遊歩道を上流に向かって歩いて行きます。疎水の流れって、結構早いんですね。すると疎水と川が交差している場所に着きました。
ここを疎水船のガイドさんが案内してくれたかどうか記憶は定かではありませんが、安祥寺川が琵琶湖第一疎水の下に流れているんですね、知らなかったです。
安祥寺から毘沙門堂に向かわれる方も数名います。私の後ろからも数名ついて来られました。そして前方にようやく「安朱(あんしゅ)橋」が見えてきました。
遊歩道を歩いていると、こんな看板を見つけました。この辺りは住宅街ですが、イノシシが出るみたいですね、怖いです。
安朱橋から山側に約15分程度歩いていくと毘沙門堂に着きます・・・と安祥寺では案内されてました。一度駅から歩いて行ったことがありまが、そんなにはかからないと思いますが・・・。
4月26日には、まだ綺麗に咲いてた菜の花も、今はすっかり花を落としました。少しだけ歩いてみると、向かいにお地蔵さんが見えたので行って見ることにしました。
そこには「母子地蔵」がありました。第一疎水が完成した頃、誤って疎水に落ち亡くなる子供が数名でたそうで、その子供の命を守るため地蔵堂を建てられお地蔵さんが祀られたそうです。
前途したとおり、膝の調子が悪いので、ここから帰ることにしました。ここから登りになるので膝の負担を考えた訳です。
やっぱり安祥寺は良かったです。予算の都合で、三箇所しか回れませんでしたが二箇所は招待券でしたので、実際は安祥寺のみ拝観料を払いました。最近は未訪の寺院が少なくなってきたのが少々・・・不満です。
4月26日の疎水船には、私は右側に乗っていたので、見覚えある風景は疎水の右側です。その疎水の右側に散策路が整備されています。
安祥寺を出て、琵琶湖疎水を左に曲がると、散策路が整備されてて、ゆっくり歩いて行きます。暫くは先程訪れた安祥寺の外塀を眺め上流へ向かって歩いて行きます。
次に見えて来たのが、「京都府立洛東高等学校」です。疎水船のガイドさんも紹介してくれた高校で、ここの卒業生には、近藤正臣さん、小林薫さん、中島知子さんらがいます。
鳥の囀りを聞きながら遊歩道を上流に向かって歩いて行きます。疎水の流れって、結構早いんですね。すると疎水と川が交差している場所に着きました。
ここを疎水船のガイドさんが案内してくれたかどうか記憶は定かではありませんが、安祥寺川が琵琶湖第一疎水の下に流れているんですね、知らなかったです。
安祥寺から毘沙門堂に向かわれる方も数名います。私の後ろからも数名ついて来られました。そして前方にようやく「安朱(あんしゅ)橋」が見えてきました。
遊歩道を歩いていると、こんな看板を見つけました。この辺りは住宅街ですが、イノシシが出るみたいですね、怖いです。
安朱橋から山側に約15分程度歩いていくと毘沙門堂に着きます・・・と安祥寺では案内されてました。一度駅から歩いて行ったことがありまが、そんなにはかからないと思いますが・・・。
4月26日には、まだ綺麗に咲いてた菜の花も、今はすっかり花を落としました。少しだけ歩いてみると、向かいにお地蔵さんが見えたので行って見ることにしました。
そこには「母子地蔵」がありました。第一疎水が完成した頃、誤って疎水に落ち亡くなる子供が数名でたそうで、その子供の命を守るため地蔵堂を建てられお地蔵さんが祀られたそうです。
前途したとおり、膝の調子が悪いので、ここから帰ることにしました。ここから登りになるので膝の負担を考えた訳です。
やっぱり安祥寺は良かったです。予算の都合で、三箇所しか回れませんでしたが二箇所は招待券でしたので、実際は安祥寺のみ拝観料を払いました。最近は未訪の寺院が少なくなってきたのが少々・・・不満です。