令和元年5月1日に御朱印を貰いに行った車折神社へ

5月12日(日)は、“母の日”でしたが、我が家では前日に母を交えて食事をしました。その帰りに、車折神社に寄りました。

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車折神社には、「北鳥居」から入りました。何度も来てるので、カメラは不要かなぁ・・・と思ってきたんですけど・・・

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北鳥居の向かいには嵐電「車折神社」駅があります。ここから乗る機会が無いので知らなかったんですけど、時計と行き先の電光表示板が。ちなみに今は12時54分のようです

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鳥居をくぐり、北門から裏参道を南に進みます。会社に勤め始めて、毎日通った思い出の参道です。

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裏参道から入ると、最初に見えるのが「地主神社」で、御祭神が第52代・嵯峨天皇です。

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次が、1473年(文明5年)に創建の「滄海(そうかい)神社(辨天神社)」で、御祭神は、市杵島姫命です。

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次に右手に「清めの社」が見えてきます。石をモチーフにした円錐形の立砂が盛られており、不思議なパワースポットがあるそうです。

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その向かいを入ると、突き当たりに「天満天神社(そらみつあまつかみのやしろ)」が、左手に「神明神社」があります。

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“清めの社”の奥に鳥居があって、手水が2箇所ではなくて、手前のは“辨天神社”の手水でした。その先にあるのが「手水舎」で、躑躅の咲き具合はイマイチでしたが・・・。

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手前の「拝所」で参拝します。天井には“花天井”が、奥に「本殿」があって、御祭神は、清原 頼業(きよはらのよりなり)です。

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本殿の北側(裏側)には「八百萬神社」があって、ここでも参拝しました。日本の全ての神様をお祀りしているからです

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ここでは中々、本殿の全景を拝めません。お昼の時間でしたが、境内は比較的空いてました。

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本殿入り口の向かいに「社務所」があって、5月1日の9時頃に朱印を貰いに来ました。5名並んでいましたね、普段はガラガラなんですけど。

結局、5月1日は雨降りの予想が出ていたため、近所の車折神社だけ朱印を貰いました。あとはテレビの放送で知りましたが、2時間待ちもあったそうで、そこまでは・・・と思いました。

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参拝を終え、表参道を下がって行くと、早咲きの“溪仙桜”が、その奥には、5月19日(日)に行われた“三船祭”の主役をガラス越しで見られます。

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次が「芸能神社」で、ここは混雑してました。御祭神はが天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が祀られています。

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その“芸能神社”から見た「中門」です。参道は続いていますが、ここを通り抜けすることはできません。

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芸能神社の向かいには「清少納言社」があります。御祭神の清少納言は車折神社の祭神である清原頼業と同族だそうです。

第66代・一条天皇の中宮として仕えた才女で、"才色兼備"のあやかりたいと、多くの人が参拝されるそうですね。その清少納言社の裏にも二社あります。

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葵忠社(きちゅうしゃ)」(祭神・福田理兵衛)と、左隣(南側)には「祖霊社」がありました。ただ、ここまで来る参拝者は皆無です。

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次に、境内の東側にある駐車場の方に出ます。修学旅行生は、芸能人の「朱塗りの玉垣」を見つけて記念撮影に忙しそう

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駐車場の手前には三社あって、先ずは西側から。最初は「大国主神社」で、1957年(昭和32年)に創建されました。御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。

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その左隣(南側)には、赤い鳥居の「辰巳稲荷神社」があって、御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。古来より五穀豊穣の神様として親しまれてます。

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そして、向かい(東側)に移動します。石柱に「掘派祖霊舎」と書いてありますが詳しいことは分かりません。

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再び、表参道まで戻って「第三鳥居」をくぐります。遠くに三条通りにある大鳥居が見えていますが、今日もそちらには行きません。

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鳥居をくぐって、右手(西側)には「水神社(すいじんじゃ)」があって、かつてこの辺りに大堰川が流れていたことに由来します。なお、御祭神は、罔象女神(みずはのめのがみ)といい水の神様です。

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また、東側には「愛宕神社」があります。御祭神は、愛宕大神です。ただ愛宕山は、その向かい、京都市の北西に聳えています。

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三条通りにある「大鳥居」から入ると、次に車折神社の宮司でもあった富岡鉄斎筆による“社号柱”があります。

ここには最近まで石造りの鳥居がありましたが、観光バスに壊され再建されてませんし、されないのでしょう。5月1日は雨降りでしたが、この日は快晴、季節外れの暑さでした。お腹も一杯になったことから、ここから歩いて帰りました。

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