校倉造りが特徴の宝物庫 正倉院 正倉へ

東大寺戒壇院 戒壇堂を出て、約5分で遠くに次の目的地である正倉院 正倉の看板が見えてきました。

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遠くに、正倉院の屋根が見えています。この時は、正倉院とは分かりませんでしたが、ここまで来ると、多くの小学生が参観開始を待っています。

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ここが正倉院の入口です。ちょうど9時59分に着きましたが開門はされてますが、まだ行けません。小学生の添乗員か引率の先生方も、さかんに聞かれますが・・・。

宮内庁の職員の方でしょうか、ほんとうに無愛想なんですね。誰が聞いても「まだ」しか答えません。無料で見せて貰えるし文句は言いませんが・・・。

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10時ちょっと過ぎで、「いいよ」と一言。痛む膝でも頑張って先を歩きました。後方から小学生の団体が来ているので急ぎます。

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有名な正倉院を初めて自分の目で見た瞬間です。ただ見るのは、ここからだけ、全景を撮るのは、門を入って直ぐにしか撮れません。

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こうして柵まで行くと、全景は無理なんですね。ただ後続の小学生の集団が来られてると、引率者が説明されるので、私も横で聞けました

奈良・平安時代には、重要物品を納める正倉が設けられていたそうです。た、あちこちに置かれた正倉は,歳月の経過とともにいつしか亡んでしまい、わずかに東大寺正倉院内の正倉一棟だけが往時のまま今日まで残った訳です。この正倉院宝庫は、千有余年の間、朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきましたが、1875年(明治8年)宝物の重要性にかんがみ内務省の管轄となり、次いで農商務省を経て宮内省に移り、引き続き宮内庁の所管するところとなりました。

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たちまち、この混雑ですが、小学生らは説明を聞くと直ぐに出て行くので、ここでは回転は早いです

倉は、三倉に仕切られ、有名な、校倉造りは北倉と南倉で、中倉は板造りとなっているのは添乗員さんから聞いて分かったことです。でも、見るのはこれだけですので、普通は1分もかからないでしょう、私も写真を撮ったら直ぐに出ました。

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正倉院の北側に小さな祠が見えます。柵より内は入れないので詳細は見えませんが、正倉院の鎮守社「杉本神社」だそうです。

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ここは宮内庁の管轄のため、無料で正倉院のパンフレットがテントの前に置いてあるので、帰りに忘れずに貰って帰りました。

ここには10時10分前には出て行ったかと思います。次から次へと小学生の遠足か修学旅行か分かりませんが来られます。でも頑張って前途したとおり、ここは回転が早いので少し待てば良い写真は撮れるかと思いますね。

【正倉院 正倉】



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