東大寺の鎮守の社であった手向山八幡宮へ

東大寺大仏殿を出ると目の前が“鏡池”がありますが、東に目を向けると朱塗りの鳥居が見えます。

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ここは、すっかり忘れていましたが、以前大仏殿を訪れた写真を見ると、ここにも寄ってたようです。何度も言いますが記憶はありません

社号標には「手向山神社」と書かれていますが、手向山八幡宮といいます。案内を読むと紅葉の名所だそうで、青もみじが綺麗です。

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手向山八幡宮の“一の鳥居”をくぐり、長い参道を歩いて行きます。あれだけ大仏殿に来られてた多くの修学旅行生も、こちらには来ないみたいです。

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参道を進むと、階段があるので上がると左手には「鑰取神社(かぎとりじんじゃ)」があったので寄ってみました。

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次に本殿に向かって少しだけ歩くと、右手に「手向山八幡宮宝庫(神宝殿)」が見えてきます。奈良時代の建てられた校倉造の建物は重要文化財に指定されています。

この少し前に、汗がレンズを濡らしたようで、この先の写真は少し焦点がぼやけてしまいました

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世界文化遺産の春日大社の楼門に似てるなぁ・・・と思ったんですけど、こちらの「神門」から入ります。

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神門を入ると、本殿の前に拝所・「拝殿」があります。後で分かりますが、この本殿は特徴があって・・・

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ここから南に行けば階段があって、下に境内社があるようですが、この先の体力を考慮し行きませんでした。階段下に見えているのは「神楽所」のようです。

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また、本殿の南側には摂社の「若宮神社本殿」があって、北に「高良神社」、南に「若殿神社」が見えています。

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こちらが手向山八幡宮の「本殿」です。随分と南北に長い社殿だと思いました。御祭神は五柱で後程詳しく・・・です。

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元に戻って神門から東大寺大仏殿の方向を見ています。先程、こちらから歩いて来ました。前途しますが、こちらには殆ど来られないです。

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御祭神は、第15代・応神天皇姫大神、第14代・仲哀天皇神功皇后(仲哀天皇の皇后)、第16代・仁徳天皇の五柱でした。

749年(天平勝宝元年)に第45代・聖武天皇が大仏を造営するにあたり、九州大分県にある宇佐八幡宮より東大寺の守護神として勧請されたのが始まり。以来、東大寺の鎮守社として崇敬を集めていたところ、明治時代になって神仏分離によって、東大寺から独立し現在の形になりました。

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ここには8時34分に着きました。鞄は重たくなりますが“朱印帳”を持参してきたので、ここの社務所を探した所、あったことはありましたが、まだ閉まってました。

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“朱印300円”と張り紙があったので、朱印はあるのでしょう・・・残念です。「手水舎」は境内北側にありました。

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帰りは境内の北側が出ることにしました。その先には次に訪問する“東大寺法華堂(三月堂)”が見えています。

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境内の北側にも鳥居があって、ここにも社号標がありました。ここのは「手向山八幡宮」と書かれています。ここから入って、神門を入り手水舎によって参拝するのが正式でしょうか。

次に奈良へ来たら、ここの朱印はいただきたいですね、それともう少しゆっくり散策することにします。次は向かいの東大寺法華堂(三月堂)に向かいます。つづく。

【手向山八幡宮】



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