長楽寺 天皇陛下御即位記念秘仏 御本尊御開帳へ
6月14日(金)は、朝から車に乗って円山公園内にある京都市円山駐車場に向け出発し、8時30分過ぎに着くことが出来ました。そこから歩いて、大谷祖廟に向かいます。まだお盆には早い時期ですが、そこには祖父母が眠っているので、墓参を済ませました。その大谷祖廟の山門下を降りると、今日の目的地である長楽寺あります。
長楽寺では5月1日にご本尊「准胝観音像」がご開帳されました。御開帳期間は、令和元年6月16日(日)までのため、この日に訪れてお参りに来た次第です。
「長楽寺 天皇陛下御即位記念秘仏 御本尊御開帳」と題して、天皇陛下の御即位の時のみ、ご開帳される秘仏御本尊「准胝観音像」は、805年(延暦24年)桓武天皇の勅命により創建されて以来、秘仏として御厨子の中に安置されています。
令和元年5月1日~10日まで「春季京都非公開文化財」では、ガイドさんが案内してくれましたが、寺独自で6月16日まで公開されてました。
5月1日では、テレビや新聞報道で、朱印を貰うのに4時間待ちと出ていたので、6月のこの時期に来て見たんですが、それでも先客は3名でしたね。
「三門」をくぐると、いきなり石段を登ります。膝を痛めているので、石段は堪えます。登ると左手に拝観受付所があるので、そこで拝観料600円と、御朱印をお願いしました。
拝観料を納めると、再び石段を登って「本堂」を目指します。私には最初で最後でしょう、ここのご本尊を見られるのは・・・と思い、痛い膝でも頑張って登り切ると・・・。
堂内は撮影禁止でした。入ると内陣中央に、本尊がご開帳されています。右手には、お前立「准胝観音菩薩像」や「辨財天」が、左手には泥像の「布袋尊像」が祀られていました。
ここには2013年(平成25年)に来て以来で、NHK大河ドラマ「平清盛」ゆかりの長楽寺に来た覚えがあります。
堂内には双眼鏡も用意されてて、じっくりと見せてもらったあとは、収蔵庫も入れると聞いたので、次にそちらに向かいます。
ここは、前途したとおりNHK大河ドラマ「平清盛」の舞台にもなった建礼門院ゆかりの寺でも知られています。“壇ノ浦の戦い”のあと、失意の中で建礼門院は長楽寺で出家します。その「建礼門院塔」に寄りました。
ここには建礼門院の遺髪を納められており、“御髪塔”とも言われています。出家したあと建礼門院は、そのあと大原寂光院に移り、安徳天皇と平家一門の菩提を弔い生涯を閉じます。
ここで歌碑がありますが、「百八の一つをつきぬ 除夜の鐘」(村田橙重)だそうです。それで案内にしたがって進みます。
こちらは「平安の滝」です。この前で本堂内で案内されてた(詳しくは案内されまんが質問には答えてくれました)ガイドさん・・・でもないか・・・ここ出会い、あるものを見て欲しいと・・・。
この流れ落ちる“滝”を囲むようにある石垣をよく見てみます。すると石壁に多くの石仏があることを教えてくれました。聞かなかったら多分、そのまま帰っていたでしょう。
こちらは、“平安の滝”の前にある石碑です。右横に解説がありました。「有往皆収 無垂不縮」武元登々庵(とうとうあん)の書とありますが詳しい事は分かりません。
後ろを振り返ると本堂と鐘楼が見えています。収蔵庫は、その先ありますが、ここも石碑がありました。「山にゐて 寂しきものか草原の 子馬のひとつ 我が後を追ふ」と書いてあります。
「収蔵庫」も以前入ったことがあるので、ここはあっさりと見て出て行きました。時宗宗祖一遍上人尊像(重要文化財)は、やっぱり見応えありました。
ここから階段を上がること約100㍍とありましたが、京都市街を見渡せる展望台に出られるみたいです。でも、この蒸し暑さと膝の怪我による影響で断念しました。
参考までに2013年(平成25年)に登っています。眺望所からは京都市街地を一望できました。
収蔵庫から石段を降りて、客殿前に出ました。ここには「相阿弥作の庭園」があるので見て行きます。
ここには誰も来られませんでした。汗を拭い庭をゆっくり鑑賞といいたいところ、蚊が怖かったので長居は出来なかったです。
ここには9時26分に出て行きました。秘仏「准胝観音菩薩像」は、もう二度と見ることはないでしょうし、2度ばかり本堂に入ってお参りさせてもらいました。
ここから別に急ぎはしませんでしたが、駐車場に戻り帰りました。昭和から平成に変わった時は、このことを知らなかったので行けてませんでした。平成から令和に変わった新元号の時代に行けたのが何よりです。
【長楽寺 本堂】

長楽寺では5月1日にご本尊「准胝観音像」がご開帳されました。御開帳期間は、令和元年6月16日(日)までのため、この日に訪れてお参りに来た次第です。
「長楽寺 天皇陛下御即位記念秘仏 御本尊御開帳」と題して、天皇陛下の御即位の時のみ、ご開帳される秘仏御本尊「准胝観音像」は、805年(延暦24年)桓武天皇の勅命により創建されて以来、秘仏として御厨子の中に安置されています。
令和元年5月1日~10日まで「春季京都非公開文化財」では、ガイドさんが案内してくれましたが、寺独自で6月16日まで公開されてました。
5月1日では、テレビや新聞報道で、朱印を貰うのに4時間待ちと出ていたので、6月のこの時期に来て見たんですが、それでも先客は3名でしたね。
「三門」をくぐると、いきなり石段を登ります。膝を痛めているので、石段は堪えます。登ると左手に拝観受付所があるので、そこで拝観料600円と、御朱印をお願いしました。
拝観料を納めると、再び石段を登って「本堂」を目指します。私には最初で最後でしょう、ここのご本尊を見られるのは・・・と思い、痛い膝でも頑張って登り切ると・・・。
堂内は撮影禁止でした。入ると内陣中央に、本尊がご開帳されています。右手には、お前立「准胝観音菩薩像」や「辨財天」が、左手には泥像の「布袋尊像」が祀られていました。
ここには2013年(平成25年)に来て以来で、NHK大河ドラマ「平清盛」ゆかりの長楽寺に来た覚えがあります。
堂内には双眼鏡も用意されてて、じっくりと見せてもらったあとは、収蔵庫も入れると聞いたので、次にそちらに向かいます。
ここは、前途したとおりNHK大河ドラマ「平清盛」の舞台にもなった建礼門院ゆかりの寺でも知られています。“壇ノ浦の戦い”のあと、失意の中で建礼門院は長楽寺で出家します。その「建礼門院塔」に寄りました。
ここには建礼門院の遺髪を納められており、“御髪塔”とも言われています。出家したあと建礼門院は、そのあと大原寂光院に移り、安徳天皇と平家一門の菩提を弔い生涯を閉じます。
ここで歌碑がありますが、「百八の一つをつきぬ 除夜の鐘」(村田橙重)だそうです。それで案内にしたがって進みます。
こちらは「平安の滝」です。この前で本堂内で案内されてた(詳しくは案内されまんが質問には答えてくれました)ガイドさん・・・でもないか・・・ここ出会い、あるものを見て欲しいと・・・。
この流れ落ちる“滝”を囲むようにある石垣をよく見てみます。すると石壁に多くの石仏があることを教えてくれました。聞かなかったら多分、そのまま帰っていたでしょう。
こちらは、“平安の滝”の前にある石碑です。右横に解説がありました。「有往皆収 無垂不縮」武元登々庵(とうとうあん)の書とありますが詳しい事は分かりません。
後ろを振り返ると本堂と鐘楼が見えています。収蔵庫は、その先ありますが、ここも石碑がありました。「山にゐて 寂しきものか草原の 子馬のひとつ 我が後を追ふ」と書いてあります。
「収蔵庫」も以前入ったことがあるので、ここはあっさりと見て出て行きました。時宗宗祖一遍上人尊像(重要文化財)は、やっぱり見応えありました。
ここから階段を上がること約100㍍とありましたが、京都市街を見渡せる展望台に出られるみたいです。でも、この蒸し暑さと膝の怪我による影響で断念しました。
参考までに2013年(平成25年)に登っています。眺望所からは京都市街地を一望できました。
収蔵庫から石段を降りて、客殿前に出ました。ここには「相阿弥作の庭園」があるので見て行きます。
ここには誰も来られませんでした。汗を拭い庭をゆっくり鑑賞といいたいところ、蚊が怖かったので長居は出来なかったです。
ここには9時26分に出て行きました。秘仏「准胝観音菩薩像」は、もう二度と見ることはないでしょうし、2度ばかり本堂に入ってお参りさせてもらいました。
ここから別に急ぎはしませんでしたが、駐車場に戻り帰りました。昭和から平成に変わった時は、このことを知らなかったので行けてませんでした。平成から令和に変わった新元号の時代に行けたのが何よりです。
【長楽寺 本堂】