丹後を行く 京都府宮津市字河原 重要文化財 旧三上家住宅へ
6月21日(金)は、毎年一回会っている、福知山在住の会社の先輩・・・と言っても2年前に退職されてて、今は福知山市内にお勤めですけどね。その先輩と京都府北部を散策する約束をしていました。
JR二条駅から7時37分発の特急「きのさき1号」に指定席車両に乗車。1年前も同じ電車に乗りましたが、その時はガラガラでしたが、この日は混雑してまたね、驚きです。そして8時47分に福知山駅に着きました。
福知山駅に着く前にラインが入って、当初の待ち合わせ場所が北口から南口に変更となりましたが、問題はありません。指定された南口に行くと、昨年も乗せて貰った愛車で待っててくれてました。そして所用のある農協に寄ってから車は、日本海側の宮津市を目指し北上します。この日の予定は、事前に私が郵送にて行きたい場所を指定してあって、順序は先輩にお任せのため、最初の目的地が何処か着いてみないと分かりませんが、車が宮津市に入ったので「重要文化財 旧三上家住宅」だと直ぐに分かりました。
この前に、3台だけ車が止められる駐車場があるのを事前に私が調べていたので、そこに先輩を誘導しました。それにしても、こんなに狭い道で申し訳なかったですね、大型車ですがさすがに運転は上手です。
ここは宮津市の観光情報を調べてて見つけました。駐車場には車が止まってなかったので誰も入ってないのは分かりましたが、ここには10時ちょうどに着きました。
旧三上家住宅は江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋等を営む、宮津城下有数の商家「元結屋(もっといや)三上家」の住宅でした。外観は美しい白壁の造りで、座敷等は非常に質の高い贅を尽くしたものとなっています。
先輩は、車が降りると旧家の案内版に釘付けです。私は先に入って拝観料350円を先に払うと、受付の方が「先にざっと案内します」と言われたので先輩と二人で入口で話を聞きました。
概要だけ聞くと、後は自由に見て回ります。なお、写真は何処を撮ってもOKでした。それでは靴を脱いで先輩と見て回ります。
主屋の座敷を最初に見て回ります。ここから係の方も付かれないので、写真を撮るのも見て回るのも自由です。
こたらは「新座敷棟」で、1820年(文久3年)主屋棟の東側に、ここ新座敷棟が増築されました。ここはあっさりと見て、奥に進みむと・・・。
庭座敷の北側には「式台」を備えた玄関があって、「表門」とともに1838年(天保9年)幕府巡見使を迎えるため、急遽増築されたものです。
この表門のある玄関棟を抜けると、綺麗な庭を見ることができます。あまり展示物には感心がなかったので、先を急ぎます・・・と言っても先輩は、じっくり鑑賞されていますが・・・。
こちらが京都府指定名勝「三上家庭園」です。この6月21日でも、まだ“梅雨入り宣言”をされてなかった関西地方ですが、蒸し蒸し暑い中、亀が気持ち良さそうに日向ぼっこをしています。
庭を見ながら廊下の奥から入り茶室に向かいます。その茶室の手前に「湯殿」があって、ここは 幕府巡見使、西園寺公望、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王の4人しか使ってないそうです。
“貴賓用の風呂”を見た後、さらに奥に進むと“3畳台目”の茶室がありました。ちゃんと躙り口や炉を吊す金具なんかもあって、そして外を見てみると・・・。
茶室からみる“露地庭園”も見応えありました。宮津藩御用庭師、江戸金の作と伝わる庭園です。
池の亀は日向ぼっこをしているんですけど、カメラを向けると逃げてしまいます。後で分かったことですが、この亀たち・・・名前があったんです。それは後程・・・。
次に「庭座敷棟」に入ります。ここからは綺麗な庭園を座敷が見ることができるので、高貴な客人達が楽しんだことでしょう。
ここは表門とともに、宮津藩視察に来た幕府巡見使を迎えるため、急遽増築されたもので、欄間の彫刻などじっくり見せてもらいました。
こちらは仏間にあった「仏壇」です。まるでお寺の本堂かと思わせる豪華さでしたね、驚きとともに当時の裕福な暮らしが分かります。
最後に「奥座敷」に出ました。ここには京の町屋の風景によく似ています。ここからは“おくどさん”も見えました。
ここで、再び靴を履いて見学です。三上家は前途したとおり元結いの製造・販売を手がけ、その後次第に反映し酒造業も手がけますが、それは最後に寄ることにして、一旦裏庭に出てみました。
案内はありませんが時代劇に出てきそうな「土蔵」です。扉の厚さを見て二人で驚いた次第です。防火意識の高さが伺えましたね。
裏には土蔵ぐらいしかないので、直ぐに戻って「土間」を撮りました。それにしても広いですよね、最初係の方にここで案内を聞きました。
台所・・・京では“おくどさん”と呼ばれていますが、丹後ではどうなんでしょうね。同じ京都府でも、前に電話で話した方の方言がきつくて、内容がわからなかった記憶が蘇りました。次に、酒造関連の施設を見て回ります。
私は何度か酒造会社の見学会に参加しているので、酒造りの流れは聞いています。ここは「麹室」で、実際には高温と湿気が保たれる部屋ですが、今は使われてないので普通に入れます。
“麹室”の前には「大釜」があります。薪で沸かしたのでしょう、さほど広いとはいえないこの場所で酒造りされてたんですね。
ここの入口あった、当時の銘柄だそうです。二人で興味津々見ていたら、係の方が教えてくれました・・・が、今は忘れてしまってます。
最後に後延すると言って池の亀です。30匹以上いる亀の中で、「みかちゃん」「かんちゃん」と名付けられた亀がいるそうです。大きい亀だそうで探せば良かったです。
10時50分過ぎに出てましたが、先程内側から見た「表門」を外からも見てみました。おそらく殆ど使われてないかも・・・です。高貴な方しか使われてないのでしょう。
ここには10時52分頃に出て行きました。京都府北部の重要文化財に指定されてる建物を見学できて良かったです。次は宮津市内の神社に行きますが、先輩の愛車に付いてるナビの扱いに不慣れなのか、中々設定できなかったのでスタートは遅れましたが・・・です。
余談ですが、このブログからリニューアル後、初めて書きました。以前と使い勝手が変わったので時間はかかりましが、何より慣れでしょう、今は我慢です。
【重要文化財 旧三上家住宅】
JR二条駅から7時37分発の特急「きのさき1号」に指定席車両に乗車。1年前も同じ電車に乗りましたが、その時はガラガラでしたが、この日は混雑してまたね、驚きです。そして8時47分に福知山駅に着きました。
福知山駅に着く前にラインが入って、当初の待ち合わせ場所が北口から南口に変更となりましたが、問題はありません。指定された南口に行くと、昨年も乗せて貰った愛車で待っててくれてました。そして所用のある農協に寄ってから車は、日本海側の宮津市を目指し北上します。この日の予定は、事前に私が郵送にて行きたい場所を指定してあって、順序は先輩にお任せのため、最初の目的地が何処か着いてみないと分かりませんが、車が宮津市に入ったので「重要文化財 旧三上家住宅」だと直ぐに分かりました。
この前に、3台だけ車が止められる駐車場があるのを事前に私が調べていたので、そこに先輩を誘導しました。それにしても、こんなに狭い道で申し訳なかったですね、大型車ですがさすがに運転は上手です。
ここは宮津市の観光情報を調べてて見つけました。駐車場には車が止まってなかったので誰も入ってないのは分かりましたが、ここには10時ちょうどに着きました。
旧三上家住宅は江戸時代に酒造業・廻船業・糸問屋等を営む、宮津城下有数の商家「元結屋(もっといや)三上家」の住宅でした。外観は美しい白壁の造りで、座敷等は非常に質の高い贅を尽くしたものとなっています。
先輩は、車が降りると旧家の案内版に釘付けです。私は先に入って拝観料350円を先に払うと、受付の方が「先にざっと案内します」と言われたので先輩と二人で入口で話を聞きました。
概要だけ聞くと、後は自由に見て回ります。なお、写真は何処を撮ってもOKでした。それでは靴を脱いで先輩と見て回ります。
主屋の座敷を最初に見て回ります。ここから係の方も付かれないので、写真を撮るのも見て回るのも自由です。
こたらは「新座敷棟」で、1820年(文久3年)主屋棟の東側に、ここ新座敷棟が増築されました。ここはあっさりと見て、奥に進みむと・・・。
庭座敷の北側には「式台」を備えた玄関があって、「表門」とともに1838年(天保9年)幕府巡見使を迎えるため、急遽増築されたものです。
この表門のある玄関棟を抜けると、綺麗な庭を見ることができます。あまり展示物には感心がなかったので、先を急ぎます・・・と言っても先輩は、じっくり鑑賞されていますが・・・。
こちらが京都府指定名勝「三上家庭園」です。この6月21日でも、まだ“梅雨入り宣言”をされてなかった関西地方ですが、蒸し蒸し暑い中、亀が気持ち良さそうに日向ぼっこをしています。
庭を見ながら廊下の奥から入り茶室に向かいます。その茶室の手前に「湯殿」があって、ここは 幕府巡見使、西園寺公望、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王の4人しか使ってないそうです。
“貴賓用の風呂”を見た後、さらに奥に進むと“3畳台目”の茶室がありました。ちゃんと躙り口や炉を吊す金具なんかもあって、そして外を見てみると・・・。
茶室からみる“露地庭園”も見応えありました。宮津藩御用庭師、江戸金の作と伝わる庭園です。
池の亀は日向ぼっこをしているんですけど、カメラを向けると逃げてしまいます。後で分かったことですが、この亀たち・・・名前があったんです。それは後程・・・。
次に「庭座敷棟」に入ります。ここからは綺麗な庭園を座敷が見ることができるので、高貴な客人達が楽しんだことでしょう。
ここは表門とともに、宮津藩視察に来た幕府巡見使を迎えるため、急遽増築されたもので、欄間の彫刻などじっくり見せてもらいました。
こちらは仏間にあった「仏壇」です。まるでお寺の本堂かと思わせる豪華さでしたね、驚きとともに当時の裕福な暮らしが分かります。
最後に「奥座敷」に出ました。ここには京の町屋の風景によく似ています。ここからは“おくどさん”も見えました。
ここで、再び靴を履いて見学です。三上家は前途したとおり元結いの製造・販売を手がけ、その後次第に反映し酒造業も手がけますが、それは最後に寄ることにして、一旦裏庭に出てみました。
案内はありませんが時代劇に出てきそうな「土蔵」です。扉の厚さを見て二人で驚いた次第です。防火意識の高さが伺えましたね。
裏には土蔵ぐらいしかないので、直ぐに戻って「土間」を撮りました。それにしても広いですよね、最初係の方にここで案内を聞きました。
台所・・・京では“おくどさん”と呼ばれていますが、丹後ではどうなんでしょうね。同じ京都府でも、前に電話で話した方の方言がきつくて、内容がわからなかった記憶が蘇りました。次に、酒造関連の施設を見て回ります。
私は何度か酒造会社の見学会に参加しているので、酒造りの流れは聞いています。ここは「麹室」で、実際には高温と湿気が保たれる部屋ですが、今は使われてないので普通に入れます。
“麹室”の前には「大釜」があります。薪で沸かしたのでしょう、さほど広いとはいえないこの場所で酒造りされてたんですね。
ここの入口あった、当時の銘柄だそうです。二人で興味津々見ていたら、係の方が教えてくれました・・・が、今は忘れてしまってます。
最後に後延すると言って池の亀です。30匹以上いる亀の中で、「みかちゃん」「かんちゃん」と名付けられた亀がいるそうです。大きい亀だそうで探せば良かったです。
10時50分過ぎに出てましたが、先程内側から見た「表門」を外からも見てみました。おそらく殆ど使われてないかも・・・です。高貴な方しか使われてないのでしょう。
ここには10時52分頃に出て行きました。京都府北部の重要文化財に指定されてる建物を見学できて良かったです。次は宮津市内の神社に行きますが、先輩の愛車に付いてるナビの扱いに不慣れなのか、中々設定できなかったのでスタートは遅れましたが・・・です。
余談ですが、このブログからリニューアル後、初めて書きました。以前と使い勝手が変わったので時間はかかりましが、何より慣れでしょう、今は我慢です。
【重要文化財 旧三上家住宅】
この記事へのコメント
「気持玉」代わりの足跡です。
残ってるんですね。地元の名家、
旧三上家の立派な庭園には驚きました。