丹後を行く 福知山市大江町 元伊勢三社 元伊勢内宮皇大神社へ
元伊勢外宮豊受大神社を出たら、次は元伊勢内宮皇大神社に向かいました。ここは私が膝を痛めたことを先輩に申し上げると、「ここは少し階段を上る必要があるけど、大丈夫?」と尋ねてくれました。そして内宮に向かう車中でも階段を相当数登るけど・・・と。
外宮から約8分で、13時21分に着きました。車から降りると先輩が、あの石段をずっと登って行くけど・・・と。ここまで来たら膝の痛みなんか言えないですよね。
登り初めて約3分・・・それでも先が見えません。外宮と違って、先輩が毎年初詣に行かれるので、励まされながら登って行くと・・・。
そして登り初めて約7分で、元伊勢の厄神さん「御門神社」がありましたが、前まで行きません。まだ続く登りに体力を備えました。
それで後ろを振り返ると、あの階段を登ってきたんだなぁ・・・と実感できます。距離もありますが、高低差もきついです。ただ膝の怪我の前だったら、難なく登ったでしょうけど。
それでやっと登り切ったのでしょう、その先に「手水舎」が見えました。膝は下りの方が堪えるんですけど、やっと登れました。
最後の石段を上がると、左手には「神楽殿」があって、正面に「社務所」がありました。暑さと湿気で相当バテましたね、先に社務所にて朱印をいただき、ここも由緒書きは有料でしたが、こちらもいただきました。
先程、外宮でも見かけた「黒木鳥居」です。皮のついた杉でつくる古式ゆかしい鳥居のようですね。
外宮では全て回りましたが、もう暑さと湿気と、膝を怪我していらいこんなに階段を登ったこともなかったので、正直体力が無くなりました。ここはいきなり「本殿」に直行です。
御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)で、皇室のご先祖が祀られています。
次に「脇宮」です。写真上が「栲機千々姫社」で祭神が栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)。写真下が「天手力雄命社」で祭神が天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。
第10代・崇神天皇39年(紀元前59年)に、「別に大宮地を求め鎮め祭れ」との皇大神の教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎されていた倭(やまと)笠縫邑を出御されたという。そしてまず最初に丹波へ御遷幸、その由緒に創建されたという。
こちらは御神木で「龍灯の杉」と呼ばれる、樹齢2000年もの古木です。別宮の栲機千々姫社と本殿の間にあり、節分の夜、龍が灯りを献すると伝わります。
本殿を取り囲むように、小さな社が連なっています。外宮では一つ一つ見て行きましたが、もう気力は残っていません。調べると80もの小宮があるそうです。
その小宮を見ていると「變若水(おちみず)の榎」と奥に「天手力雄命社」がありました。
こちらは「岩長姫命社」と案内板に書いてありました。1973年(昭和48年)4月1日に、この地に建立されたようです。
境内を散策していると、「神池」に、モリアオガエルの卵を見つけました。勝手にモリアオガエルと書きましたが・・・。
お参りを済ませたら、外宮で見かけた二組の方が上がって来られました。私らと同じ外宮から内宮へ来られたみたいです。
参道の途中には、「和泉式部歌塚」もありましたが、100円でいただいた由緒書きにも書いてないので詳細は分からないです。ここから約300㍍、220段もの階段を下って行きますが、さすがにバテので帰りの写真は撮ってません・・・疲れて・・・撮れなかったです。ゆっくり下り13時44分に下まで降りて来られました。
駐車場に戻る途中に、お地蔵さんが祀られていたので、地元先輩から説明を受けました。お化粧をされているお地蔵さんは、日本側の京都北部の習慣だそうです。(反対かも忘れました)
内宮に至る道は、このように狭くありません。次に元伊勢三社の最後の社に行きますが、どうも山の中らしいです。本来は皇大神社から歩いて向かうのが通常コースだそうですが・・・。
次の社が、山中で駐車場が無いそうです。本来は車では行けませんが、私の膝の状態を考えてくれ車で行ってくれるみたいです。
【元伊勢内宮皇大神社】
外宮から約8分で、13時21分に着きました。車から降りると先輩が、あの石段をずっと登って行くけど・・・と。ここまで来たら膝の痛みなんか言えないですよね。
登り初めて約3分・・・それでも先が見えません。外宮と違って、先輩が毎年初詣に行かれるので、励まされながら登って行くと・・・。
そして登り初めて約7分で、元伊勢の厄神さん「御門神社」がありましたが、前まで行きません。まだ続く登りに体力を備えました。
それで後ろを振り返ると、あの階段を登ってきたんだなぁ・・・と実感できます。距離もありますが、高低差もきついです。ただ膝の怪我の前だったら、難なく登ったでしょうけど。
それでやっと登り切ったのでしょう、その先に「手水舎」が見えました。膝は下りの方が堪えるんですけど、やっと登れました。
最後の石段を上がると、左手には「神楽殿」があって、正面に「社務所」がありました。暑さと湿気で相当バテましたね、先に社務所にて朱印をいただき、ここも由緒書きは有料でしたが、こちらもいただきました。
先程、外宮でも見かけた「黒木鳥居」です。皮のついた杉でつくる古式ゆかしい鳥居のようですね。
外宮では全て回りましたが、もう暑さと湿気と、膝を怪我していらいこんなに階段を登ったこともなかったので、正直体力が無くなりました。ここはいきなり「本殿」に直行です。
御祭神は、天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)で、皇室のご先祖が祀られています。
次に「脇宮」です。写真上が「栲機千々姫社」で祭神が栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)。写真下が「天手力雄命社」で祭神が天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)です。
第10代・崇神天皇39年(紀元前59年)に、「別に大宮地を求め鎮め祭れ」との皇大神の教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまで奉斎されていた倭(やまと)笠縫邑を出御されたという。そしてまず最初に丹波へ御遷幸、その由緒に創建されたという。
こちらは御神木で「龍灯の杉」と呼ばれる、樹齢2000年もの古木です。別宮の栲機千々姫社と本殿の間にあり、節分の夜、龍が灯りを献すると伝わります。
本殿を取り囲むように、小さな社が連なっています。外宮では一つ一つ見て行きましたが、もう気力は残っていません。調べると80もの小宮があるそうです。
その小宮を見ていると「變若水(おちみず)の榎」と奥に「天手力雄命社」がありました。
こちらは「岩長姫命社」と案内板に書いてありました。1973年(昭和48年)4月1日に、この地に建立されたようです。
境内を散策していると、「神池」に、モリアオガエルの卵を見つけました。勝手にモリアオガエルと書きましたが・・・。
お参りを済ませたら、外宮で見かけた二組の方が上がって来られました。私らと同じ外宮から内宮へ来られたみたいです。
参道の途中には、「和泉式部歌塚」もありましたが、100円でいただいた由緒書きにも書いてないので詳細は分からないです。ここから約300㍍、220段もの階段を下って行きますが、さすがにバテので帰りの写真は撮ってません・・・疲れて・・・撮れなかったです。ゆっくり下り13時44分に下まで降りて来られました。
駐車場に戻る途中に、お地蔵さんが祀られていたので、地元先輩から説明を受けました。お化粧をされているお地蔵さんは、日本側の京都北部の習慣だそうです。(反対かも忘れました)
内宮に至る道は、このように狭くありません。次に元伊勢三社の最後の社に行きますが、どうも山の中らしいです。本来は皇大神社から歩いて向かうのが通常コースだそうですが・・・。
次の社が、山中で駐車場が無いそうです。本来は車では行けませんが、私の膝の状態を考えてくれ車で行ってくれるみたいです。
【元伊勢内宮皇大神社】
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