奈良大和 四寺巡礼 山深い森に包まれた 室生寺へ
阿部文殊院を出たら、三重県の県境を目指します。次の目的地が、このツアーでもっとも遠方です。運転手さんも40分はかかると言われてましたから。土地勘が無いので、どの道を通ったか分かりませんが、ずっとスマホの地図を見てました
。随分山手に入っていたなぁ・・・と思うっていると12時32分に目的地に着きました。
ここは女人高野 室生寺です。今回のツアーで、ここが一番の目的で申し込んだようなものです
。
車は、ここで降りました。タクシーは、この先の駐車場に行かれたので、私はこの先に進みます。



今日は、旅行会社からオプションで昼食もお願いしてました。その昼食会場が車を降りた所です。予定では13時からとなっていたので、帰りに寄ることにします。
そして先ずは、室生川に架かる太鼓橋を渡ります。ここも阿部文殊院と同じで初めての訪問でした。こんなに山間の寺は車でしか来られないですね。
太鼓橋を渡ると、正面に「表門」が見えましたが、ここが入口ではなさそうです。

「女人高野 室生寺」と書かれた大きな石碑があって、右手に進みます。運転手さんに聞いてほど拝観者は来られてないようです。
この先に、「拝観受付所」がありました。“奈良大和四寺巡礼”のチケットをだし、受付でチケットを切られます。そして由緒書きをいただき、いよいよ境内へ。
入ると正面に「納経所」があったので先に寄りました。ここは必ず先に寄るほうが良いです。それは・・・。
納経所は、ここと本堂と奥之院の三ヵ所あるそうです。それぞれいただける朱印が違うようで、ここで朱印をいただいてる間に説明を聞きました。あともう一つ「トイレは上にはありませんので、されるのでしたら、ここでして行って下さい」と、もちろん済ませました
。
授与所から出たら、現在工事中の「仁王門」をくぐりました。工事前の姿は・・・と考えてしまいますね。

「仁王門」をくぐって参道を進むと、正面に「水盤」がありましが、ここはスルーです。
ここから長い石段を上がることになります。この急な石段は「鎧坂」と呼ばれています。

この“鎧坂”の手前に「バン字池」があり、その上には「弁才天社」があります。登る途中に寄って見た次第です。
急な石段「鎧坂」を登り切った左手には「弥勒堂」がありました。鎌倉時代の建築で、江戸時代に改修されてます。堂内では弥勒像が安置されています。
また、その向かい側には「天神社 拝殿」、その左隣には「軍茶利明王石仏」が、それは岩に彫られた明王像です・・・遠くて、見えないですね、望遠するべきでした。
次の“金堂”へ通じる石段を少しだけ上がると「天神社 本殿」が見えました。足が疲れるので、そこまで行きませんが・・・。


こちらは平安時代前期の建築である「国宝 金堂」です。内部には入れませんが、堂外を一周できます。ここでは“国宝 釈迦如来立像”などが祀られています。
“奈良大和 四寺巡礼”でいただいた散華です。国宝 釈迦如来立像は、平安前期を代表する榧の一木像です。
“金堂”から次の本堂まで、また石段を上がります。今日は涼しい空気だから良かったけど、夏場なら相当堪えるでしょうね。
その本堂に至る途中の石段上に「桂昌院塔」があります。桂昌院から多額の寄付で寺の大修復をされた縁で、供養の五輪塔が建てられました。
金堂からさらに石段を登った先に「灌頂堂(本堂)」があります。ここが室生寺の本堂にあたるのは、ここで真言密教の最も大切な法儀である灌頂が行われるからです。
堂内には“納経所”があって、ここでしかいただけない御朱印があります。これは下の納経所で聞いたので良かったです。この灌頂堂も国宝に指定されています。
堂内では、重要文化財に指定されている如意輪観音像が祀られいます。観心寺・神咒寺の如意輪とともに日本三如意輪の一つと称されて、御朱印も如意輪観音でした。
この室生寺での目的はただ一つ、国宝「五重塔」です。そこまで一気に上がります。
この屋外に立つ五重塔は、“日本一小さな五重塔”で有名です。奥深い樹林に包まれて格別の風情があって、その風景を撮りたく来たようなものです。
この五重塔を1998年(平成10年)に台風7号が襲来しも高さ50㍍の古木が倒れ、屋根が損壊する被害を受けました。
この五重塔は、奈良時代後期の建造で、天平時代の建築様式を受け継いでおり法隆寺五重塔に次ぐ古塔です。
修復には2年ほどかかったそうですが、現在は優美な姿を取り戻しています。この日は参拝者が少なく、人の写り込みの心配が無かったです。
ここまで上がって来られた運転手さんも、「いつもなら人が多いのに、今日は少ないですね」と言われてました。ここの写真が撮りたくて、このツアーを申し込んだようなものです。

この五重塔の左側から、まだまだ続く石段があります。その先には奥之院がありますが、今日は行かないです。
奥之院は御影堂があり、ここも、ここでしかいただけない御朱印があります。ただ、本堂で御朱印をいただいてる時に、「聞くとあと10分は石段を登る」と言われました。膝を痛めていると言うと、「無理することはない」と言われたので断念しました。

奥之院までは行きませんが、この辺りを散策してました。こちらは「修円僧都廟」です。
この辺りに誰も居なかったので、ゆっくりたっぷり写真を撮れました
。眼下に見えているが「灌頂堂(本堂)」です。
帰りも同じ石段を降りて行きます。正面には「金堂」が、右に「弥勒堂」が見えています。

正面に見える「金堂」、眼下に見える「弥勒堂」です。数名の方が登ってこられます・・・良いときに五重塔へ来ましたね
。


奥之院に行けなかったのは残念ですが、この膝では無理です。ゆっくり下まで降りてきて13時10分、旅行会社のオプションで予約している昼食会場へ向かいます。
室生寺は、奈良時代末、東宮(のちの桓武帝)の病気平癒を願った興福寺の僧賢憬(賢璟)が創建。それは8世紀の頃とされており以来、1200年余りの時が過ぎ山中の霊地として神々しいさを失っていません。多くの寺が女性の立ち入りを許さなかった時代にも、女性を慈悲深く受け入れ、徹底した女人禁制の高野山に対比して、“女人高野”と呼ばれ親しまれてきた歴史を持ちます。
運転手さんからは、ここを14時頃の出発と聞いてましたが、これからお昼を食べても少し早まりそうです。
【室生寺】


ここは女人高野 室生寺です。今回のツアーで、ここが一番の目的で申し込んだようなものです






そして先ずは、室生川に架かる太鼓橋を渡ります。ここも阿部文殊院と同じで初めての訪問でした。こんなに山間の寺は車でしか来られないですね。





納経所は、ここと本堂と奥之院の三ヵ所あるそうです。それぞれいただける朱印が違うようで、ここで朱印をいただいてる間に説明を聞きました。あともう一つ「トイレは上にはありませんので、されるのでしたら、ここでして行って下さい」と、もちろん済ませました













“奈良大和 四寺巡礼”でいただいた散華です。国宝 釈迦如来立像は、平安前期を代表する榧の一木像です。


金堂からさらに石段を登った先に「灌頂堂(本堂)」があります。ここが室生寺の本堂にあたるのは、ここで真言密教の最も大切な法儀である灌頂が行われるからです。

堂内では、重要文化財に指定されている如意輪観音像が祀られいます。観心寺・神咒寺の如意輪とともに日本三如意輪の一つと称されて、御朱印も如意輪観音でした。


この五重塔を1998年(平成10年)に台風7号が襲来しも高さ50㍍の古木が倒れ、屋根が損壊する被害を受けました。
この五重塔は、奈良時代後期の建造で、天平時代の建築様式を受け継いでおり法隆寺五重塔に次ぐ古塔です。

ここまで上がって来られた運転手さんも、「いつもなら人が多いのに、今日は少ないですね」と言われてました。ここの写真が撮りたくて、このツアーを申し込んだようなものです。


奥之院は御影堂があり、ここも、ここでしかいただけない御朱印があります。ただ、本堂で御朱印をいただいてる時に、「聞くとあと10分は石段を登る」と言われました。膝を痛めていると言うと、「無理することはない」と言われたので断念しました。











室生寺は、奈良時代末、東宮(のちの桓武帝)の病気平癒を願った興福寺の僧賢憬(賢璟)が創建。それは8世紀の頃とされており以来、1200年余りの時が過ぎ山中の霊地として神々しいさを失っていません。多くの寺が女性の立ち入りを許さなかった時代にも、女性を慈悲深く受け入れ、徹底した女人禁制の高野山に対比して、“女人高野”と呼ばれ親しまれてきた歴史を持ちます。
運転手さんからは、ここを14時頃の出発と聞いてましたが、これからお昼を食べても少し早まりそうです。
【室生寺】
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