東京国立博物館「三国志展」へ
東京国立博物館では、日中文化交流協定締結40周年記念 特別展「三国志」が、平成館 特別展示室にて、7月9日~9月16日まで開催されました。高校生のとき、吉川英治筆「三国志」を読んで、その面白さに夢中になって読んだ記憶があります。それ以来“三国志”には強い関心を持っていたところ、8月に放送されたNHK「歴史秘話ヒストリア 徹底解明!三国志 英雄たちの秘密}」を見たとき、この特別展も紹介されたかと思います。この時は、何となく行ってみたいなぁ・・・と、そんな程度でしたが、9月に入って日帰りでも良いから行ってみようと思いたったのが出発の5日前・・・日程的には、9月12日にしか行けないので、当日の天気は気になりましたが、東京の姉から朝から晴れていると聞き、安心して新幹線“のぞみ”に乗車。そして9時45分頃にやってきた訳です。

前から後ろから次々に「平成館」に入って行かれます。平日でも結構な人が来られてますが、行列がないだけ良かったです。
入ると、チケットの確認をされ、半券を切られます。そして案内に従って会場の2階へエスカレーターで上がります。
2階へ上がると、先ずは“第一会場”から見て行きます。入口では“音声ガイド”の貸し出しに並ばれてましたが、私はスルーして会場内へ。
案内では、「何処から見て貰ったいいので空いている展示物から見て行ってください」と声を掛けられました。入口では多くの人が展示物を見ているので、中々進みません・・・が、私は我慢して最初から見て行くことに・・・。それと事前に分かったことですが、ここで写真が自由に撮れます。フラッシュさえ使わなかったら大丈夫、もちろん写真は撮りました
。
「プロローグ 英雄たちの三国志」
写真は、いきなり「関羽像」から。本を読んだイメージの通りですね、個人的な感想ですが
。
こちらは「孔明出山図」(上海博物館所蔵)、劉備が三顧の礼をもって、諸葛孔明を軍師に迎えるシーンだそうです。
また、こちらには、横山光輝「三国志」の原画が展示してありました。個人的には読んでないんですけど・・・。


「関帝廟壁画」(内蒙古博物館)、皆さん写真を撮られるので、ゆっくりゆっくり進みます。暑くて、もうお疲れ気味のようです。

こちらは趙雲像」(亳州市博物館蔵)、曹操の襲撃を受け、逃げ遅れた劉備の子・阿斗を懐に抱いて疾駆する姿だそうです。
張飛は有名ですが、趙雲は記憶に無かったです。本を読んでから数十年たってるからね・・・と思いながら、次へと・・・京都から休憩なしで、ここまで来たので風は冷たいとはいえ、気温が高かったので・・・。




このコーナー最後は「三国故事図」(天津博物館所蔵)です。何枚か忘れましたが、5枚だけアップしました
。三国志が終わった頃に書かれたようですが、こちらも一枚一枚読んで見て行きました。
「第一章 曹操・劉備・孫権~英雄たちのルーツ~」
次はお隣の部屋に移動です。余談ですが、この日の翌日に、30万人達成の記事が出てましたね、残念・・・記念品貰えたのに・・・冗談
・・・と、その前に、面白いものが展示されていました。1982年(昭和57年)から放送された「NHK人形劇 三国志」で使われた人形達です。
右から曹操・劉備・孫権です。ここも人気があって、少し我慢して並びました。
曹操(155~220)字は孟徳(もうとく)、祖父は宦官の曹騰(そうとう)、父は曹嵩(そうすう)。機知に富み文学を愛し、職務にあっては厳格な態度でのぞんだ。213年に魏公、216年には魏王へ位を進めた。220年に洛陽で生涯を閉じる。武王の名をおくられ、魏王朝が成立したあとは武皇帝の称号がおくられた。
劉備(161~223)字は玄徳。前漢の中山靖王劉勝の末裔と伝わる。219年に漢中王となり、221年に皇帝に即位した。同年、腹心関羽の訃報を受けてみずから兵を挙げるも、呉の陸遜(りんそん)の前に大敗して白帝城に陣を引いた。223年、諸葛亮を呼び後事を託して永眠し、成都に葬られた。
孫権(182~252)字は仲謀(ちゅうぼう)。孫堅、兄の孫策(そんさく)の地盤を引き継ぎ、229年に皇帝に即位した。孫策は生前、孫堅の人材任用の才と統治能力を高く評価した。孫堅は三国鼎立の難局をよくしのぎ、政権は長期にわたり維持された。
先ずは“権勢を誇った曹氏一族”から。余談ですが、ここは列が中々進まなかったですね。前の人と「全然進みませんね」と会話したことを思い出しました。
「玉豚」(亳州市博物館蔵)と呼ばれる副葬品で、あの世でも豚肉が食べられるように手に握らせたと言われています。
「会稽曹君喪軀磚」(亳州市博物館)。地下に墓室を築くの用いたレンガ。「会稽郡の長官であった曹様の墓」という意味の文字が刻まれています。

「人物画像磚」(亳州市博物館)。曹氏一族の墓から発見された。八の字形の髭を生やし、冠を被り、袖の大きな着物を着た年配の男性の姿を巧みに描いている。
次は“発掘された劉備の祖先”です。

上が「玉装剣」(河北博物院)。美しく飾った宝剣。下が「壺」(河北省文物研究所)。蓋を伴う壺で、銅製で金メッキし、ガラスがはめ込まれています。
「豹」(河北博物院)。蜀の劉備は前漢6代皇帝の景帝の子である中山靖王劉勝が始祖でした。その劉勝夫婦の墓から発掘された豪華な出土品の一つです。
「貨客船」(広西文物保護与考古研究所)。呉の沿岸部の墓では船形模型が集中的に出土すし、対外交易がさかんだった海洋国家・呉ならではの文物である。
次に「第二章 漢王朝の光と影」に移動します。

「獅子」(山東博物館蔵)。後漢時代・2~3世紀の石彫で造られた逞しい姿で表現されている。
「酒樽(しゅそん)」(甘粛省博物館)。全体に龍や白虎などの神獣が刻まれており、青銅製容器のなかでは、最も贅沢な例の一つ。



「儀仗桶」(甘粛省博物館)。この車列は、涼州(現甘粛省)の有力者の墓に副葬されたもの。同じ涼州出身の軍閥である董卓と関連がある可能性もある。
「網代文陶棺」(涿州市博物館)。土器の棺桶。墓の規模から中流階層の埋葬者と思われる。
「鏡台」(涿州市博物館)涿州市博物館。三国志の登場人物も使用したであろう鏡台です。墓に納めるためにつくった土製品である。
ここで、またまたNHK人形劇「三国志」の人形達の登場です。
「曹丕」(187~226)字は、子桓。三国時代の魏の初代皇帝。父曹操の勢力を受け継ぎ、後漢の献帝から禅譲を受けて王朝を開いた。
「献帝」(181~234)字は、伯和。後漢王朝の最後の皇帝。
「五層穀倉楼」(焦作市博物館)。物見櫓を備えた穀倉で、河南省焦作市という献帝が退位後に余生を過ごした地域で出土しました。
「多層灯」(涿州市博物館)。死語の世界を照らす土製の灯り。4つの部品を積み重ねています。
「四層穀倉楼」(焦作市博物館)。2層までは穀倉、3層以上は物見櫓である。
「三連穀倉楼」(焦作市博物館)。サイロに似た穀倉3基を並列し、その上に瓦葺き建物を載せている。
次の「第三章 魏・蜀・呉~三国の鼎立~」に移動すると・・・もう驚きの光景が
。
私は見てませんが、映画「レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-」を思わせる風景ですね、いきなり驚かされました
。
こちらは写真では分からないかも知れませんが、大きさに驚きです。「三国志演義 張飛蛇矛レプリカ」が展示してありました。
「軍船模型」長江とその周辺で戦った魏と呉は「楼船」を造ったと考えられ、その書物などを参考に造られた模型です。
ここのは呉の武器が展示されています。「環頭太刀」(綿陽市博物館蔵)、金象嵌による銘文と文様で飾られた太刀です。
奥に見えていたのが「武士俑」(赤壁市博物館)。呉の墓の入口付近に置かれていたもの。冑を着けた姿は大変貴重なものです。
「環頭太刀」(綿陽市博物館蔵)。柄頭が環状となる鉄刀で、拵を失っている。実用武器として漢代に完成し、三国志の時代に広く復旧した。
「弩」(湖北省博物館)。どことなく現在のクロスボウに似ていますが、三国時代の、呉で使用されていた弓だそうです。
「鉤鑲」(綿陽市博物館)。盾の一種で裏面に持ち手がつく。上下の棒状部位と中央の突起で相手の攻撃を受け、ときに押し返すもの。
これで、第一会場を出て、お隣の第二会場に向かいます。その間には売店があるので少しばかり寄りましたが、この先のスケジュールを考えて何も買ってません
。
第二会場は、後編に続きます。
【東京国立博物館】





案内では、「何処から見て貰ったいいので空いている展示物から見て行ってください」と声を掛けられました。入口では多くの人が展示物を見ているので、中々進みません・・・が、私は我慢して最初から見て行くことに・・・。それと事前に分かったことですが、ここで写真が自由に撮れます。フラッシュさえ使わなかったら大丈夫、もちろん写真は撮りました

「プロローグ 英雄たちの三国志」


こちらは「孔明出山図」(上海博物館所蔵)、劉備が三顧の礼をもって、諸葛孔明を軍師に迎えるシーンだそうです。






張飛は有名ですが、趙雲は記憶に無かったです。本を読んでから数十年たってるからね・・・と思いながら、次へと・・・京都から休憩なしで、ここまで来たので風は冷たいとはいえ、気温が高かったので・・・。






「第一章 曹操・劉備・孫権~英雄たちのルーツ~」
次はお隣の部屋に移動です。余談ですが、この日の翌日に、30万人達成の記事が出てましたね、残念・・・記念品貰えたのに・・・冗談


曹操(155~220)字は孟徳(もうとく)、祖父は宦官の曹騰(そうとう)、父は曹嵩(そうすう)。機知に富み文学を愛し、職務にあっては厳格な態度でのぞんだ。213年に魏公、216年には魏王へ位を進めた。220年に洛陽で生涯を閉じる。武王の名をおくられ、魏王朝が成立したあとは武皇帝の称号がおくられた。
劉備(161~223)字は玄徳。前漢の中山靖王劉勝の末裔と伝わる。219年に漢中王となり、221年に皇帝に即位した。同年、腹心関羽の訃報を受けてみずから兵を挙げるも、呉の陸遜(りんそん)の前に大敗して白帝城に陣を引いた。223年、諸葛亮を呼び後事を託して永眠し、成都に葬られた。
孫権(182~252)字は仲謀(ちゅうぼう)。孫堅、兄の孫策(そんさく)の地盤を引き継ぎ、229年に皇帝に即位した。孫策は生前、孫堅の人材任用の才と統治能力を高く評価した。孫堅は三国鼎立の難局をよくしのぎ、政権は長期にわたり維持された。
先ずは“権勢を誇った曹氏一族”から。余談ですが、ここは列が中々進まなかったですね。前の人と「全然進みませんね」と会話したことを思い出しました。




次は“発掘された劉備の祖先”です。




次に「第二章 漢王朝の光と影」に移動します。








「鏡台」(涿州市博物館)涿州市博物館。三国志の登場人物も使用したであろう鏡台です。墓に納めるためにつくった土製品である。
ここで、またまたNHK人形劇「三国志」の人形達の登場です。
「曹丕」(187~226)字は、子桓。三国時代の魏の初代皇帝。父曹操の勢力を受け継ぎ、後漢の献帝から禅譲を受けて王朝を開いた。
「献帝」(181~234)字は、伯和。後漢王朝の最後の皇帝。

「多層灯」(涿州市博物館)。死語の世界を照らす土製の灯り。4つの部品を積み重ねています。


次の「第三章 魏・蜀・呉~三国の鼎立~」に移動すると・・・もう驚きの光景が

私は見てませんが、映画「レッドクリフ Part II -未来への最終決戦-」を思わせる風景ですね、いきなり驚かされました










第二会場は、後編に続きます。
【東京国立博物館】
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