徳川家康公(東照大権現)を祀る上野東照宮へ
上野動物園を出て、次に上野東照宮に向かいました。事前に地図を見て場所は確認してましたが、ほんの少しだけ歩いたら、もう鳥居に出ました。動物園からこんなに近いとは思ってもみなかったです。
大石鳥居と呼ばれる表参道に架かる大きな鳥居に驚きです。それより外国人観光客の多さには、本当に驚きました。
大石鳥居は、1633年(寛永10年)酒井忠世(さかいただよ・江戸時代初期の老中)によって建立。国指定の重要文化財。関東大震災でも傾かなかったとか。
この大石鳥居から続く表参道を歩いて行きます。せめて社殿前は空いてたら良いのになぁ・・・と。
すると中門がありました。「水舎門」と呼ばれてるようですが、門には「東照宮」と書かれた偏画もありました。
長く続く表参道の両側には石燈籠が約200基ほど、ほとんどが1651年(慶安4年)に諸大名から奉納されたものです。
ここで右手の奥に、先程、動物園で見た五重塔が見えています。金網があって、その先が動物園のため入れません。こちらからでは金網越しの見学となります。
「旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔)」は、こちら側が正面だそうです。その理由が書いてありまいた。
1631年(寛永8年)土井利勝によって上野東照宮の一部として五重塔が建立。1639年(寛永16年)火災により焼失後、同年再建されたのが現在の五重塔です。明治に入り、神仏分離令により、破壊されそうになりましたが、五重塔は寛永寺の所属であるとの申し出により、東照宮五重塔は寛永寺五重塔と名前を変え、取り壊しは免れました。ただ寛永寺から離れていることもあって、1958年(昭和33年)に東京都に寄付され、現在は動物園の敷地内となっています。
五重塔の手前にあった石碑ですが、案内も何も無いので・・・調べても分かりませんでした。
こちらは「神楽殿」でしょう。1874年(明治7年)の建立。屋根の勾配の美しさが都内随一とか。
その先には「銅灯籠」で、全48基。国の重要文化財に指定されいます。寛永・慶安年間に諸大名が奉納したものです。
こちらで手と口を清める手水舎だとおもいますが、ここでは「水舎」と呼ばれています。
向かいには・・・これも分かりません。由緒書きにも書いてなかったですし・・・大きな鈴がぶら下がっているように思えましたが・・・。
後で述べますが、中央の唐門横にある見るからに立派な銅灯籠葉。御三家・・・尾張・紀州・水戸家から奉納されたものです。
中央に金色に輝く「唐門」です。1651年(慶安4年)の造営で、正式には“唐破風造り四脚門“で国の重要文化財に指定されています。
この金色に輝く唐門前まで来たら、この奥に人が入っているのが見えました。事前に調べても拝観があるなんて、どこにも書いて無かったように思います。
唐門の左側に「拝観受付所」がありました。もちろん入ります・・・と、その前に朱印を先に貰いました。
拝観料は、500円でした。それと、朱印帳も後で受取じゃなくて、その場で書いてもらいます。そして受付で拝観料500円を納めて有料エリアに入りました。ただ東京では、拝観料を納めても、こちらが言わない限りバンフ(由緒書き)を貰えません・・・自由にお取りください・・・そんな風に感じましたね。
社殿を「透塀」が取り囲んでいます。“透塀”は後で詳しく見るとして、社殿の左側から入ってみると・・・。
と、その前に右手に小さな社があったので、急ぐ気持ちを抑えて先に寄りました。
「栄誉権現社」といい、御狸様とも呼ばれています。江戸時代の大奥など各所で災いをもたらしたが、大正年間に東照宮に寄贈されたから災いが無くなったといいます。他を抜く狸という縁起から強運開祖・受験・就職・必勝の神様として広く信仰されてるそうです。
“栄誉権現社”から少し戻った所に入口があるので、これから入ります。この有料エリアにも石灯籠がビッシリです。
中で、盛んに記念撮影されているのは全て外国人観光客でした。日本人は私だけ・・・でしたね。外国人の邪魔をしないように正面に回ります。
金色に輝く「社殿」は国の重要文化財に指定されています。1651年(慶安4年)の造営で、入口でも言われましたが、内部は非公開で入れません。本殿・幣殿・拝殿と三つの部屋から構成されてる“権現造り”となっており、別名“金色殿”とも呼ばれています。
「本殿」は屋根しか見えません。御祭神は、徳川家康(初代将軍)・徳川吉宗(8代将軍)・徳川慶喜(15代将軍)です。
1627年(寛永4年)に津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海増正により、東叡山寛永寺境内に江戸幕府初代将軍・徳川家康公を祀る神社として建立されました。
次に見るのが「唐門」です。有料エリアから見る唐門をじつくり鑑賞する・・・左甚五郎作の彫刻が楽しみです。ただ、外国人観光客は、こちらに感心が無かったように思います。だれも見てなかったので・・・。
案内には“昇り龍”“降り龍”の彫刻が、夜な夜な不忍池の水を飲みに行く・・・という伝説が書いてありましが、龍・・・分からない・・・です。
ただ彫刻は見事でした。次に、これも彫刻が見事な「透塀」を見て行きます。
こちらも国の重要文化財に指定されています。菱格子の向こう側が透けて見えるので“透塀”と呼ばれているとか。
社殿の右側にある少し遠目から見た「きささげの木」です。社殿造営時に雷よけの願いを込めて植えられました。樹齢は350年以上だと言われています。
日光東照宮には一度行ってますが、随分前のため殆ど記憶がありません。金色に輝く社殿や豪華な彫刻など見られて東京までやって来て本当に良かったです。このあと社殿右側から有料エリアを出て行きました。
帰りに「狛犬(高麗狗)」1914年(大正3年)の奉納。狛犬は三大石工の一人とされた“井亀衆”の酒井八右衛門の柵だと言われています。
事前に上野東照宮のHPで確認したんですが、唐門よりの内側を見られるとは書いて無かったので私にとってはサプライズでした。
12時25分に、こちらを出て、上野駅の方向を目指して歩いて行きました。
【上野東照宮】
大石鳥居と呼ばれる表参道に架かる大きな鳥居に驚きです。それより外国人観光客の多さには、本当に驚きました。
大石鳥居は、1633年(寛永10年)酒井忠世(さかいただよ・江戸時代初期の老中)によって建立。国指定の重要文化財。関東大震災でも傾かなかったとか。
この大石鳥居から続く表参道を歩いて行きます。せめて社殿前は空いてたら良いのになぁ・・・と。
すると中門がありました。「水舎門」と呼ばれてるようですが、門には「東照宮」と書かれた偏画もありました。
長く続く表参道の両側には石燈籠が約200基ほど、ほとんどが1651年(慶安4年)に諸大名から奉納されたものです。
ここで右手の奥に、先程、動物園で見た五重塔が見えています。金網があって、その先が動物園のため入れません。こちらからでは金網越しの見学となります。
「旧東叡山寛永寺五重塔(旧東照宮五重塔)」は、こちら側が正面だそうです。その理由が書いてありまいた。
1631年(寛永8年)土井利勝によって上野東照宮の一部として五重塔が建立。1639年(寛永16年)火災により焼失後、同年再建されたのが現在の五重塔です。明治に入り、神仏分離令により、破壊されそうになりましたが、五重塔は寛永寺の所属であるとの申し出により、東照宮五重塔は寛永寺五重塔と名前を変え、取り壊しは免れました。ただ寛永寺から離れていることもあって、1958年(昭和33年)に東京都に寄付され、現在は動物園の敷地内となっています。
五重塔の手前にあった石碑ですが、案内も何も無いので・・・調べても分かりませんでした。
こちらは「神楽殿」でしょう。1874年(明治7年)の建立。屋根の勾配の美しさが都内随一とか。
その先には「銅灯籠」で、全48基。国の重要文化財に指定されいます。寛永・慶安年間に諸大名が奉納したものです。
こちらで手と口を清める手水舎だとおもいますが、ここでは「水舎」と呼ばれています。
向かいには・・・これも分かりません。由緒書きにも書いてなかったですし・・・大きな鈴がぶら下がっているように思えましたが・・・。
後で述べますが、中央の唐門横にある見るからに立派な銅灯籠葉。御三家・・・尾張・紀州・水戸家から奉納されたものです。
中央に金色に輝く「唐門」です。1651年(慶安4年)の造営で、正式には“唐破風造り四脚門“で国の重要文化財に指定されています。
この金色に輝く唐門前まで来たら、この奥に人が入っているのが見えました。事前に調べても拝観があるなんて、どこにも書いて無かったように思います。
唐門の左側に「拝観受付所」がありました。もちろん入ります・・・と、その前に朱印を先に貰いました。
拝観料は、500円でした。それと、朱印帳も後で受取じゃなくて、その場で書いてもらいます。そして受付で拝観料500円を納めて有料エリアに入りました。ただ東京では、拝観料を納めても、こちらが言わない限りバンフ(由緒書き)を貰えません・・・自由にお取りください・・・そんな風に感じましたね。
社殿を「透塀」が取り囲んでいます。“透塀”は後で詳しく見るとして、社殿の左側から入ってみると・・・。
と、その前に右手に小さな社があったので、急ぐ気持ちを抑えて先に寄りました。
「栄誉権現社」といい、御狸様とも呼ばれています。江戸時代の大奥など各所で災いをもたらしたが、大正年間に東照宮に寄贈されたから災いが無くなったといいます。他を抜く狸という縁起から強運開祖・受験・就職・必勝の神様として広く信仰されてるそうです。
“栄誉権現社”から少し戻った所に入口があるので、これから入ります。この有料エリアにも石灯籠がビッシリです。
中で、盛んに記念撮影されているのは全て外国人観光客でした。日本人は私だけ・・・でしたね。外国人の邪魔をしないように正面に回ります。
金色に輝く「社殿」は国の重要文化財に指定されています。1651年(慶安4年)の造営で、入口でも言われましたが、内部は非公開で入れません。本殿・幣殿・拝殿と三つの部屋から構成されてる“権現造り”となっており、別名“金色殿”とも呼ばれています。
「本殿」は屋根しか見えません。御祭神は、徳川家康(初代将軍)・徳川吉宗(8代将軍)・徳川慶喜(15代将軍)です。
1627年(寛永4年)に津藩主藤堂高虎と天台宗僧侶天海増正により、東叡山寛永寺境内に江戸幕府初代将軍・徳川家康公を祀る神社として建立されました。
次に見るのが「唐門」です。有料エリアから見る唐門をじつくり鑑賞する・・・左甚五郎作の彫刻が楽しみです。ただ、外国人観光客は、こちらに感心が無かったように思います。だれも見てなかったので・・・。
案内には“昇り龍”“降り龍”の彫刻が、夜な夜な不忍池の水を飲みに行く・・・という伝説が書いてありましが、龍・・・分からない・・・です。
ただ彫刻は見事でした。次に、これも彫刻が見事な「透塀」を見て行きます。
こちらも国の重要文化財に指定されています。菱格子の向こう側が透けて見えるので“透塀”と呼ばれているとか。
社殿の右側にある少し遠目から見た「きささげの木」です。社殿造営時に雷よけの願いを込めて植えられました。樹齢は350年以上だと言われています。
日光東照宮には一度行ってますが、随分前のため殆ど記憶がありません。金色に輝く社殿や豪華な彫刻など見られて東京までやって来て本当に良かったです。このあと社殿右側から有料エリアを出て行きました。
帰りに「狛犬(高麗狗)」1914年(大正3年)の奉納。狛犬は三大石工の一人とされた“井亀衆”の酒井八右衛門の柵だと言われています。
事前に上野東照宮のHPで確認したんですが、唐門よりの内側を見られるとは書いて無かったので私にとってはサプライズでした。
12時25分に、こちらを出て、上野駅の方向を目指して歩いて行きました。
【上野東照宮】
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