令和元年度 京都浄土宗寺院 特別大公開 護念寺へ
10月18日(金)は、天気予報のとおり朝から雨降り、結果一日中雨降りでした。当初の予定では奈良へ行くか、京都府宮津市に行くか考えていましたが、この天候ではどちらも諦めて近場で探していると令和元年度 京都浄土宗寺院 特別大公開の護念寺を見つけたので、そちらに行くことに。しかし、先に膝の治療で病院に行き、思ってたらより空いてたので予定より早く出られました。そして車で向かったのが護念寺です。
場所は、千本通り今出川を少しだけ西に入った南側にあります。そこで車は六軒通り元誓願寺通りの交差点にあるコインパーキングに9時56分に入庫し、寺に向かうと・・・。
今出川沿いに「山門」があって、その山門の前がバス停です。雨が降っているので山門の中で雨宿りもされているので、この写真を撮るのは大変でした。
山門を入って奥に進むと「本堂」は東向きに建っていました。後で住職さんに聞いた話で、今出川通りが出来た時に、新たに境内の北側に山門が造られたために現在の形になったとか。
傘を置いて、本堂に上がると住職さんがおられ、「どうぞお入り下さい」と案内されました。そこで御朱印を2種類(ここのご本尊・阿弥陀如来と洛陽延命六地蔵巡りの一つである延命地蔵尊)、それと由緒書きをいただき、堂内の中央へ、
堂内には誰も居ません。雨も結構降っていのし、平日だからでしょう。それと写真撮影の有無は伺いました。答えはOKです。私が写真を撮っている間にご住職は、寺の由緒について話してくれました。
堂内内陣に「阿弥陀三尊像」が安置。中央に「阿弥陀如来立像」、右に「観音菩薩」、左に「勢至菩薩」が祀られています。観音菩薩と勢至菩薩は、少し前屈みになって“来迎菩薩”の造りとなっています。
堂内の右側の厨子には、右に「善導大師像」中央に当山開祖の「慈應上人位牌」が、左に「法然上人像」が祀られていました。
左には当山を再興した「重譽(十誉)上人(じゅうよじょうにん)」が安置されています。こちらには何も書いて無かったので、ご住職に伺いました。
本堂の左右には、円山應挙のひ孫にあたる円山應文によって描かれた屏風絵が展示されてました。四季の様子が描かれています。
ご住職に御朱印を書いて貰っている間に、勧められたのでお茶とお菓子を若干いたたぎました。
最後に、堂内に貼ってあった写真について尋ねました。「ご本尊の阿弥陀如来立像の胸に卍の文字がありますが、小さいのて写真で拡大してある」と言われたので、確認しにいくと、肉眼でも見えました。
護念寺は、鎌倉時代初期に護念慈應上人が父・源為義の菩提を弔うため創建したのが始まり。その後、1346年(貞和2年)能登の守護・藤原利顕が護念寺の伽藍を造営。鎌倉時代から室町時代にかけては臨済宗の尼寺でしたが、応仁の乱で衰退するも、1596年(慶長元年)伏見桃山城が倒壊した伏見地震の後、重譽(十誉)上人がこの地に来られて浄土宗として再興され現在に至っています。
10時27分に住職さんにお礼を言って、ここを出ました。さほど広くない堂内でゆっくりし、拝観料は不要でしたので、お賽銭で若干の支納をさせてもらいました。
本堂を出て、左手にあった「平和観音」です。一般に戦時中空襲は無かったと言われていますが、市内には数回の空襲があり負傷者や死者も出たようです。この観音様は争いの無い社会を祈念し、平和な世界を祈念されています。
最後に、御朱印もいただいた「地蔵堂」によりました。堂内には中央には「延命地蔵菩薩像」が、右隣には白像に乗り合掌する「普賢菩薩」が祀られています。
山門から正面に見えていた建物の中にトイレがあったので、ここで用を済ませて出て行くことに。雨は止みません。
10時32分に山門を出て、コインパーキング戻らず、ここから直ぐの京都で唯一カステラ専門店 越後家多齢堂によりました。2016年(平成28年)以来久しぶり来て、カステラを買って帰りました。
コインパーキングには10時45分に出て行き、料金は200円でした。まだ少しお昼には早い時間ですが、次の予定もあるので、寄っていくことに、そちらに向かいました。
【護念寺】
場所は、千本通り今出川を少しだけ西に入った南側にあります。そこで車は六軒通り元誓願寺通りの交差点にあるコインパーキングに9時56分に入庫し、寺に向かうと・・・。
今出川沿いに「山門」があって、その山門の前がバス停です。雨が降っているので山門の中で雨宿りもされているので、この写真を撮るのは大変でした。
山門を入って奥に進むと「本堂」は東向きに建っていました。後で住職さんに聞いた話で、今出川通りが出来た時に、新たに境内の北側に山門が造られたために現在の形になったとか。
傘を置いて、本堂に上がると住職さんがおられ、「どうぞお入り下さい」と案内されました。そこで御朱印を2種類(ここのご本尊・阿弥陀如来と洛陽延命六地蔵巡りの一つである延命地蔵尊)、それと由緒書きをいただき、堂内の中央へ、
堂内には誰も居ません。雨も結構降っていのし、平日だからでしょう。それと写真撮影の有無は伺いました。答えはOKです。私が写真を撮っている間にご住職は、寺の由緒について話してくれました。
堂内内陣に「阿弥陀三尊像」が安置。中央に「阿弥陀如来立像」、右に「観音菩薩」、左に「勢至菩薩」が祀られています。観音菩薩と勢至菩薩は、少し前屈みになって“来迎菩薩”の造りとなっています。
堂内の右側の厨子には、右に「善導大師像」中央に当山開祖の「慈應上人位牌」が、左に「法然上人像」が祀られていました。
左には当山を再興した「重譽(十誉)上人(じゅうよじょうにん)」が安置されています。こちらには何も書いて無かったので、ご住職に伺いました。
本堂の左右には、円山應挙のひ孫にあたる円山應文によって描かれた屏風絵が展示されてました。四季の様子が描かれています。
ご住職に御朱印を書いて貰っている間に、勧められたのでお茶とお菓子を若干いたたぎました。
最後に、堂内に貼ってあった写真について尋ねました。「ご本尊の阿弥陀如来立像の胸に卍の文字がありますが、小さいのて写真で拡大してある」と言われたので、確認しにいくと、肉眼でも見えました。
護念寺は、鎌倉時代初期に護念慈應上人が父・源為義の菩提を弔うため創建したのが始まり。その後、1346年(貞和2年)能登の守護・藤原利顕が護念寺の伽藍を造営。鎌倉時代から室町時代にかけては臨済宗の尼寺でしたが、応仁の乱で衰退するも、1596年(慶長元年)伏見桃山城が倒壊した伏見地震の後、重譽(十誉)上人がこの地に来られて浄土宗として再興され現在に至っています。
10時27分に住職さんにお礼を言って、ここを出ました。さほど広くない堂内でゆっくりし、拝観料は不要でしたので、お賽銭で若干の支納をさせてもらいました。
本堂を出て、左手にあった「平和観音」です。一般に戦時中空襲は無かったと言われていますが、市内には数回の空襲があり負傷者や死者も出たようです。この観音様は争いの無い社会を祈念し、平和な世界を祈念されています。
最後に、御朱印もいただいた「地蔵堂」によりました。堂内には中央には「延命地蔵菩薩像」が、右隣には白像に乗り合掌する「普賢菩薩」が祀られています。
山門から正面に見えていた建物の中にトイレがあったので、ここで用を済ませて出て行くことに。雨は止みません。
10時32分に山門を出て、コインパーキング戻らず、ここから直ぐの京都で唯一カステラ専門店 越後家多齢堂によりました。2016年(平成28年)以来久しぶり来て、カステラを買って帰りました。
コインパーキングには10時45分に出て行き、料金は200円でした。まだ少しお昼には早い時間ですが、次の予定もあるので、寄っていくことに、そちらに向かいました。
【護念寺】
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