令和元年度 第55回京都非公開文化財特別公開 大覚寺 秩父宮御殿・庭湖館へ
11月10日(日)は、奉祝 天皇陛下御即位「令和元年度 第55回京都非公開文化財特別公開」の最終日でした。そこで、11月6日(水)に一度は断念した 大覚寺 秩父宮御殿・庭湖館に行くことにしました。
地元なんで9時ちょうどに着くように家を出て、その通り着きましたが、既に20名程度の方が並ばれています。
私は、2010年(平成22年)の「京の夏の旅」で公開されたときに一度来ています。もう9年もたっていたんですね、それで懐かしさにつられて一度は断念しながら来てしまいました。拝観料は800円で、門を入ると出るまで撮影禁止でした。このことは11月6日に聞いていたので知ってます。それなら古い写真を探し出してアップすることに。
拝観入口は「明智門」で、そのまま進み「明智陣屋」から入ります。文字通り明智光秀の居城であった亀山城の一部を移築したものです。
ここを通るのは2度目です。2014年(平成26年)11月に行われた、京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」は、ここから出入りしました。
薄暗い陣屋の中を奥に進み北に向かって歩いていくと最初の見所である「庭湖館」に着きました。
「庭湖館(ていこかん)」には、前途したとおり2014年(平成26年)11月の京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」で内部に入りました。入ると既に案内が始まっていました。それより大人数のため身動きが取れません。話を聞くより、ここを脱出したくて・・・ですから、ここの話は頭に入ってなかったから2度聞き直しました。それでは「庭湖館」を見てみましょう。こちらは江戸時代中期に建てられたもので、木造入母屋造瓦葺となっています。
上段の間に架かる、「六大無碍常瑜伽」と書かれた、この大幅は江戸時代の高僧、慈雲尊者が揮毫されたものです。
そのため、「六大の間」と呼ばれいます。また、襖絵は浜田泰介筆の「琵琶湖の四季」が描かれています。
2014年(平成26年)11月に行われた、京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」では、ここで精進料理をいただきました。
庭湖館は、嵯峨大覚寺門跡の休息所として大沢池湖畔に建立されたものを、明治初年に現地へ移築。また、隣接した控え室として「龍池の間」「応接の間」を備えており、大覚寺唯一の客殿です。
左の建物が「秩父宮御殿」です。当日は、この角度からは庭園は見られなかったです。それと11月10日では、まだ紅葉はしてませんでした。
遠目から見た「秩父宮御殿」です。このあと9年振りに室内に入ります。
「第55回京都非公開文化財特別公開」では、「庭湖館」を抜けると、そのまま真っ直ぐ進み「秩父宮御殿」に入りました。
写真は2010年(平成22年)に公開された「京の夏の旅」のものです。このときは内部の写真のみ撮影禁止でした。
「京の夏の旅」では、2部屋を見学すると出ていくコースでしたが、今回は御殿を一周します。この部屋の裏側にはお風呂もあって、それを見た後、元に戻ってくるコースでしたので、2周はさせてもらいました。
前回の記憶が殆ど無いので新鮮な気持ちで見られました。なお、襖絵は松元道夫・吉田友一・林司馬氏によるものです。(写真はパンフより抜粋)
1923年(大正12年)に第123代・大正天皇によって東宮(後に昭和天皇)仮御所であった霞ヶ関離宮に建てられたもので、その後解体されて倉庫に保管されていました。1941年(昭和16年)に秩父宮邸として、保管されていた材料をつかい日本館として再建。秩父宮邸は空襲で焼失しますが、日本館は残りました。1971年(昭和46年)に大覚寺が貴賓館を計画しますが、その事が秩父宮妃殿下の耳に入り大覚寺の下賜されることになり移築・復元され1973年(昭和48年)に完成しました。現在は皇族方がお成りの際、休息される特別な建物です。
御殿前の庭園も綺麗でした。写真は5年前ですが、そんなに変化は無かったように思います。
最後に、庭湖館から見た正寝殿です。この角度からは滅多に見ることが出来ないので貴重な写真です。
この日は最終日でしたが拝観は午前中まででした。そのため張り紙が貼ってあったので、通常はこんな看板が大覚寺の前に置いてありました。
ここには9時15分には外に出てました。6日の日に断念したように、これだけで800円は高いなぁと思います。せめて大覚寺の通常拝観を割引で入れるぐらいの措置はあったも良かったのでは思いながら帰りました。
【大覚寺 秩父宮御殿】
地元なんで9時ちょうどに着くように家を出て、その通り着きましたが、既に20名程度の方が並ばれています。
私は、2010年(平成22年)の「京の夏の旅」で公開されたときに一度来ています。もう9年もたっていたんですね、それで懐かしさにつられて一度は断念しながら来てしまいました。拝観料は800円で、門を入ると出るまで撮影禁止でした。このことは11月6日に聞いていたので知ってます。それなら古い写真を探し出してアップすることに。
拝観入口は「明智門」で、そのまま進み「明智陣屋」から入ります。文字通り明智光秀の居城であった亀山城の一部を移築したものです。
ここを通るのは2度目です。2014年(平成26年)11月に行われた、京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」は、ここから出入りしました。
薄暗い陣屋の中を奥に進み北に向かって歩いていくと最初の見所である「庭湖館」に着きました。
「庭湖館(ていこかん)」には、前途したとおり2014年(平成26年)11月の京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」で内部に入りました。入ると既に案内が始まっていました。それより大人数のため身動きが取れません。話を聞くより、ここを脱出したくて・・・ですから、ここの話は頭に入ってなかったから2度聞き直しました。それでは「庭湖館」を見てみましょう。こちらは江戸時代中期に建てられたもので、木造入母屋造瓦葺となっています。
上段の間に架かる、「六大無碍常瑜伽」と書かれた、この大幅は江戸時代の高僧、慈雲尊者が揮毫されたものです。
そのため、「六大の間」と呼ばれいます。また、襖絵は浜田泰介筆の「琵琶湖の四季」が描かれています。
2014年(平成26年)11月に行われた、京都文化協会主催「旧嵯峨御所大覚寺門跡 伝狩野山楽筆『四季耕作図襖』特別鑑賞会」では、ここで精進料理をいただきました。
庭湖館は、嵯峨大覚寺門跡の休息所として大沢池湖畔に建立されたものを、明治初年に現地へ移築。また、隣接した控え室として「龍池の間」「応接の間」を備えており、大覚寺唯一の客殿です。
左の建物が「秩父宮御殿」です。当日は、この角度からは庭園は見られなかったです。それと11月10日では、まだ紅葉はしてませんでした。
遠目から見た「秩父宮御殿」です。このあと9年振りに室内に入ります。
「第55回京都非公開文化財特別公開」では、「庭湖館」を抜けると、そのまま真っ直ぐ進み「秩父宮御殿」に入りました。
写真は2010年(平成22年)に公開された「京の夏の旅」のものです。このときは内部の写真のみ撮影禁止でした。
「京の夏の旅」では、2部屋を見学すると出ていくコースでしたが、今回は御殿を一周します。この部屋の裏側にはお風呂もあって、それを見た後、元に戻ってくるコースでしたので、2周はさせてもらいました。
前回の記憶が殆ど無いので新鮮な気持ちで見られました。なお、襖絵は松元道夫・吉田友一・林司馬氏によるものです。(写真はパンフより抜粋)
1923年(大正12年)に第123代・大正天皇によって東宮(後に昭和天皇)仮御所であった霞ヶ関離宮に建てられたもので、その後解体されて倉庫に保管されていました。1941年(昭和16年)に秩父宮邸として、保管されていた材料をつかい日本館として再建。秩父宮邸は空襲で焼失しますが、日本館は残りました。1971年(昭和46年)に大覚寺が貴賓館を計画しますが、その事が秩父宮妃殿下の耳に入り大覚寺の下賜されることになり移築・復元され1973年(昭和48年)に完成しました。現在は皇族方がお成りの際、休息される特別な建物です。
御殿前の庭園も綺麗でした。写真は5年前ですが、そんなに変化は無かったように思います。
最後に、庭湖館から見た正寝殿です。この角度からは滅多に見ることが出来ないので貴重な写真です。
この日は最終日でしたが拝観は午前中まででした。そのため張り紙が貼ってあったので、通常はこんな看板が大覚寺の前に置いてありました。
ここには9時15分には外に出てました。6日の日に断念したように、これだけで800円は高いなぁと思います。せめて大覚寺の通常拝観を割引で入れるぐらいの措置はあったも良かったのでは思いながら帰りました。
【大覚寺 秩父宮御殿】
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