室町幕府足利将軍家ゆかりの等持院へ
11月13日(水)は、母が退院してから最初の受診日でした。予約時間が10時20分でしたが、早く着きすぎて9時30分頃だったように記憶してます。ただ院内が大変混んでて、呼ばれたのが12時頃。母が入院中は営業をしてなかった食堂が11月1日からオープンしていたため、お昼をそこでいただいて、病院を出たのが13時を回っていました。
そこから等持院の和尚に会うため、事前に電話を入れ向かいました。車で行くと少し入り組んだ所にあるため分かりづらい等持院ですが、何度も行ってるので完璧に今では覚えています。
等持院の「表門」前に13時36分に着きました。普段は車椅子で移動している母も、ここから歩いてもらいます。
退院してから家では、ほぼ寝ているので、このままで寝たきりになりそうで、それで連れて来た次第です。入院時のリハビリでは出来ていたことも、退院してから出来なくなってしまって・・・。
先ず表門の敷居が超えられない。私が足を持ち上げてやっと上げることができました。また庫裏から上がる階段・・・3段もやっとのことで上げられましたが、家に帰ってきたら相当足が弱ってます。
表門を入って3分もかかって、やっと書院に入れました。そこで椅子を借りて母には座って貰いました。
お会いしたかった和尚さんは多忙のため現在、打ち合わせ中と聞きました。それで私だけ先に庭を散策することに。庭も10月11日に見てますが・・・。
茶室「清漣亭」まで、どうしても登る必要があるので、母は無理なんです。ここに結界がある理由を後程和尚さんかに聞きました。
茶室「清漣亭」の外観は完成したが、畳がまだ古いのと、現在本堂が工事中で、ご本尊は居ません。(何処に避難?されてるか聞きましたが内緒です)来年の6月頃に開眼供養をされるので、そのときに結界を外されると聞きました。
庭園内には私の前に一組5名と、後ろに一組2名が降りてます。最初の一組を茶室「清漣亭」で追い抜いて、次に紅葉が期待できる心字池に向かいます。
後ろが気になりますが、足利家15代の供養塔という「十三重塔」には寄りました。この塔は室町時代の作と伝わり、下部に基礎石がその上に一重の笠石。さらに12枚の笠石がのり、最上部に相輪が乗る構造となっています。
心字池に突き出た蓬莱島に、久しぶりに渡ります。この辺りは紅葉が綺麗なんです。ただ一部は綺麗に色づいてましたが、まだ早かったです。
この島には以前、“妙音閣”がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。
再び苑路に戻って心字池の周りを巡ります。ここは今の和尚さんが来られてから庭園も綺麗に整備され紅葉の色も鮮やかになりました。
この先に工事中の本堂が見えて来ました。聞くと本堂は解体されるようで、この記事がアップされる頃には更地になっているでしょう。12月上旬には更地になると聞きました。
それで、この等持院で紅葉が一番綺麗な所までやって来ました。若干早いですが、もう少ししたり見事な彩りになるでしょう。
この日も職人さんが松の手入れをされていました。地道な努力をされてて、この綺麗な庭園を維持されてます。
次に「霊光殿」の背後に来ました。ここには足利将軍の13軀の肖像彫刻が安置されていました。私は前から疑問に思ってて・・・ところで今は何処に安置されてるのか・・・と。
ここには第5代将軍・足利義量(よしかず)(長得院)と第14代・足利義栄(よしひで)(光徳院)を除く、13軀の肖像彫刻が安置されてました。室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院)、第2代将軍・足利義詮(寶篋院)、第3代将軍・足利義満(鹿苑院)、第4代将軍・足利義持(勝定院)、第6代将軍・足利義教(普広院)、第7代将軍・足利義勝(慶雲院)、第8代将軍・足利義政(慈照院)、第9代将軍・足利義尚(常徳院)、第10代将軍・足利義稙(よしたね)(恵林院)、第11代将軍・足利義澄(法住院)、第12代将軍・足利義晴(萬松院)、第13代将軍・足利義輝(光源院)、第15代将軍・足利義昭(霊陽院)は、現在、九州国立博物館に出張されてます。3年間無償で貸し出されてるようで、初代将軍足利尊氏が挙兵あと、一旦九州に落ち延びた史実に基づいた縁で九州に里帰り?されたようです。収益は熊本地震の被災者支援に回されると聞きました。
その先の「足利尊氏公のお墓」までは行けます。私がしつこく見ていたので後続の方も見に行かれました。
本堂が工事中でなければ、ここから真っ直ぐにに進み書院に出られるですけど、再び少しだけ登ります。
ゆっくり苑内を一周して戻ってきました。するとお忙しい和尚さんが来られたので少しお話が出来た次第です。
和尚さんとお話をしながらお茶とお菓子をいただきました。そうこうしているとお客様が来られたようで、まだ戻って行かれましたが、母は久しぶりお会いして喜んでました。
14時20分頃に、ここを出て行きました。帰りもゆっくりゆっくりゆっくり歩いて表門まで行き、車を横付けにして母を乗せ出発しました。
最後に「牧野省三銅像」を撮りました。母は知らなかったようです、ここに等持院撮影所があったことを・・・。
入院中のリハビリで出来ていたことが、退院してほぼ寝てばっかりのため出来なく足がまた弱ってしまってた事に少しショックでした。それが分かっただけでも良かったかもと思いつつ、ディサービスの担当者に階段の上り下りの練習をこのあとお願いしました。
【等持院】
そこから等持院の和尚に会うため、事前に電話を入れ向かいました。車で行くと少し入り組んだ所にあるため分かりづらい等持院ですが、何度も行ってるので完璧に今では覚えています。
等持院の「表門」前に13時36分に着きました。普段は車椅子で移動している母も、ここから歩いてもらいます。
退院してから家では、ほぼ寝ているので、このままで寝たきりになりそうで、それで連れて来た次第です。入院時のリハビリでは出来ていたことも、退院してから出来なくなってしまって・・・。
先ず表門の敷居が超えられない。私が足を持ち上げてやっと上げることができました。また庫裏から上がる階段・・・3段もやっとのことで上げられましたが、家に帰ってきたら相当足が弱ってます。
表門を入って3分もかかって、やっと書院に入れました。そこで椅子を借りて母には座って貰いました。
お会いしたかった和尚さんは多忙のため現在、打ち合わせ中と聞きました。それで私だけ先に庭を散策することに。庭も10月11日に見てますが・・・。
茶室「清漣亭」まで、どうしても登る必要があるので、母は無理なんです。ここに結界がある理由を後程和尚さんかに聞きました。
茶室「清漣亭」の外観は完成したが、畳がまだ古いのと、現在本堂が工事中で、ご本尊は居ません。(何処に避難?されてるか聞きましたが内緒です)来年の6月頃に開眼供養をされるので、そのときに結界を外されると聞きました。
庭園内には私の前に一組5名と、後ろに一組2名が降りてます。最初の一組を茶室「清漣亭」で追い抜いて、次に紅葉が期待できる心字池に向かいます。
後ろが気になりますが、足利家15代の供養塔という「十三重塔」には寄りました。この塔は室町時代の作と伝わり、下部に基礎石がその上に一重の笠石。さらに12枚の笠石がのり、最上部に相輪が乗る構造となっています。
心字池に突き出た蓬莱島に、久しぶりに渡ります。この辺りは紅葉が綺麗なんです。ただ一部は綺麗に色づいてましたが、まだ早かったです。
この島には以前、“妙音閣”がありましたが、1950年(昭和25年)にジェーン台風により倒壊し、今は礎石しか残っていません。
再び苑路に戻って心字池の周りを巡ります。ここは今の和尚さんが来られてから庭園も綺麗に整備され紅葉の色も鮮やかになりました。
この先に工事中の本堂が見えて来ました。聞くと本堂は解体されるようで、この記事がアップされる頃には更地になっているでしょう。12月上旬には更地になると聞きました。
それで、この等持院で紅葉が一番綺麗な所までやって来ました。若干早いですが、もう少ししたり見事な彩りになるでしょう。
この日も職人さんが松の手入れをされていました。地道な努力をされてて、この綺麗な庭園を維持されてます。
次に「霊光殿」の背後に来ました。ここには足利将軍の13軀の肖像彫刻が安置されていました。私は前から疑問に思ってて・・・ところで今は何処に安置されてるのか・・・と。
ここには第5代将軍・足利義量(よしかず)(長得院)と第14代・足利義栄(よしひで)(光徳院)を除く、13軀の肖像彫刻が安置されてました。室町幕府初代将軍・足利尊氏(等持院)、第2代将軍・足利義詮(寶篋院)、第3代将軍・足利義満(鹿苑院)、第4代将軍・足利義持(勝定院)、第6代将軍・足利義教(普広院)、第7代将軍・足利義勝(慶雲院)、第8代将軍・足利義政(慈照院)、第9代将軍・足利義尚(常徳院)、第10代将軍・足利義稙(よしたね)(恵林院)、第11代将軍・足利義澄(法住院)、第12代将軍・足利義晴(萬松院)、第13代将軍・足利義輝(光源院)、第15代将軍・足利義昭(霊陽院)は、現在、九州国立博物館に出張されてます。3年間無償で貸し出されてるようで、初代将軍足利尊氏が挙兵あと、一旦九州に落ち延びた史実に基づいた縁で九州に里帰り?されたようです。収益は熊本地震の被災者支援に回されると聞きました。
その先の「足利尊氏公のお墓」までは行けます。私がしつこく見ていたので後続の方も見に行かれました。
本堂が工事中でなければ、ここから真っ直ぐにに進み書院に出られるですけど、再び少しだけ登ります。
ゆっくり苑内を一周して戻ってきました。するとお忙しい和尚さんが来られたので少しお話が出来た次第です。
和尚さんとお話をしながらお茶とお菓子をいただきました。そうこうしているとお客様が来られたようで、まだ戻って行かれましたが、母は久しぶりお会いして喜んでました。
14時20分頃に、ここを出て行きました。帰りもゆっくりゆっくりゆっくり歩いて表門まで行き、車を横付けにして母を乗せ出発しました。
最後に「牧野省三銅像」を撮りました。母は知らなかったようです、ここに等持院撮影所があったことを・・・。
入院中のリハビリで出来ていたことが、退院してほぼ寝てばっかりのため出来なく足がまた弱ってしまってた事に少しショックでした。それが分かっただけでも良かったかもと思いつつ、ディサービスの担当者に階段の上り下りの練習をこのあとお願いしました。
【等持院】
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