まるごと美術館 泉妙院(妙顕寺塔頭)へ
報恩寺を出て、再び寺之内通りに出て東に進みます。次の次に予定している妙顕寺の前を通りますが素通りして、10時48分に到着したのが、まるごと美術館 妙顕寺塔頭 泉妙院に着きました。
寺之内通り沿いに「表門」があって、通常は閉まっている門も今日は開いてます。ご近所の方でしょうか檀家の方でしょうか、先にお一人入っていかれたので安心して門をくぐれました。
門を入って奥に「尾形光琳・乾山及び尾形家一族の墓」があります。ここは尾形光琳・乾山ゆかりの寺なんです。
泉妙院(せんみょういん)は、1375年(永和元年)日縁上人によって創建。この地は代々尾形家の菩提寺であった興善院がありました。尾形光琳は1716年(享保元年)6月2日に59歳で亡くなっており、興善院に葬られました。その後、興善院は廃寺となりお墓は本行院の管理することとなります。本行院は1788年(天明8年)の大火により焼失し再建不能となり、1831年(天保2年)天徳院日法上人が泉妙院を興善院旧跡に創建。1819年(文政2年)酒井抱一が尾形光琳の供養碑を建立。1962年(昭和37年)尾形家の墓が泉妙院に移設された。
門を入って右手に民家・・・じゃなくお堂なんですね、そちらに向かいます。案内で2階が“まるごと美術館”の会場のようです。
入ると、「会場は2階です。上がって下さい」と声をかけて貰いました。そして階段を上がって行くと・・・。
2階が本堂でした。1階が住居・・・書院でしょう。2階に上がると、まるごと美術館の作者でしょうか、準備されてました。私は作品より、先ずはご本尊の確認です。
内陣の天井を見上げると綺麗な「花天井」が。内陣の中央には「日蓮上人像」が祀られていました。
この時、10時50分頃でしたが、ようやく組み立てが出来たように思えます。作品の説明も張り出されましたが、次の予定があるので読まずに、ここを出ました。
『ホシノタネの記憶〜多面体の宇宙銀河』尾形光琳は多面体の宇宙を作品に表していた!をコンセプトに、泉妙院の本堂にて多面体の宇宙を表現します。と案内ではありました。
さほど広くない本堂では、檀家の方が数名来られてました。ここではざっと見て出て行きました。
開催場所・・・泉妙院(妙顕寺塔頭)
開催期間・・・2019年11月17日(土)〜11月30日(土)
拝観時間・・・10時~17時
拝観料・・・・無料
ディレクター:小野 佳代子
ここには10時55分に出ました。帰ってから知ることになるのが、ここが「光琳菩提所 興善院旧跡」だったことです。次はお隣の“本家”に行きます。
【妙顕寺塔頭 泉妙院】
寺之内通り沿いに「表門」があって、通常は閉まっている門も今日は開いてます。ご近所の方でしょうか檀家の方でしょうか、先にお一人入っていかれたので安心して門をくぐれました。
門を入って奥に「尾形光琳・乾山及び尾形家一族の墓」があります。ここは尾形光琳・乾山ゆかりの寺なんです。
泉妙院(せんみょういん)は、1375年(永和元年)日縁上人によって創建。この地は代々尾形家の菩提寺であった興善院がありました。尾形光琳は1716年(享保元年)6月2日に59歳で亡くなっており、興善院に葬られました。その後、興善院は廃寺となりお墓は本行院の管理することとなります。本行院は1788年(天明8年)の大火により焼失し再建不能となり、1831年(天保2年)天徳院日法上人が泉妙院を興善院旧跡に創建。1819年(文政2年)酒井抱一が尾形光琳の供養碑を建立。1962年(昭和37年)尾形家の墓が泉妙院に移設された。
門を入って右手に民家・・・じゃなくお堂なんですね、そちらに向かいます。案内で2階が“まるごと美術館”の会場のようです。
入ると、「会場は2階です。上がって下さい」と声をかけて貰いました。そして階段を上がって行くと・・・。
2階が本堂でした。1階が住居・・・書院でしょう。2階に上がると、まるごと美術館の作者でしょうか、準備されてました。私は作品より、先ずはご本尊の確認です。
内陣の天井を見上げると綺麗な「花天井」が。内陣の中央には「日蓮上人像」が祀られていました。
この時、10時50分頃でしたが、ようやく組み立てが出来たように思えます。作品の説明も張り出されましたが、次の予定があるので読まずに、ここを出ました。
『ホシノタネの記憶〜多面体の宇宙銀河』尾形光琳は多面体の宇宙を作品に表していた!をコンセプトに、泉妙院の本堂にて多面体の宇宙を表現します。と案内ではありました。
さほど広くない本堂では、檀家の方が数名来られてました。ここではざっと見て出て行きました。
開催場所・・・泉妙院(妙顕寺塔頭)
開催期間・・・2019年11月17日(土)〜11月30日(土)
拝観時間・・・10時~17時
拝観料・・・・無料
ディレクター:小野 佳代子
ここには10時55分に出ました。帰ってから知ることになるのが、ここが「光琳菩提所 興善院旧跡」だったことです。次はお隣の“本家”に行きます。
【妙顕寺塔頭 泉妙院】
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