まるごと美術館 水火天満宮へ
本法寺から真っ直ぐ北に上がると、次の目的地であるまるごと美術館 水火天満宮に着きました。
12時3分に着きました。この日、コインパーキングから最初の訪問であった妙蓮寺に行くまでに、ここを通ってました。まだ10時前だったので素通りしたわけです。
ここには2016年(平成28年)9月16日に訪問しています。この時、社務所が留守だったため朱印は貰い損ねてます。
上御霊通りから扇町児童公園を横切り、「南鳥居」から入りました。ただ、正門である堀川通りを見たかったので、一旦外に出ます。
堀川通り沿いに「西鳥居」が建ってて、右には「水火天満宮」の社号標と「まるごと美術館」の幟があります。
その西鳥居の足元に「孝学堂跡石碑」がひっそり建っています。このあと社務所で由緒書きをいただいて分かったことです。
鳥居を入って南に「倉庫」、その先に「手水舎」があって、その前にまるごと美術館の作品が展示されてます。
出展アーティスト名は、アリモトコウタ氏だけしか分かりません。私一人が境内をウロウロしていて、スタッフの方は2名・・・でも、説明は無かったです。
今日は、「社務所」で、インターホンを押したら時間はかかりましたが、出て来られました。やっと御朱印と由緒書きをいただけました。
普段・・・と言っても一度しか来てませんが、まるごと美術館のスタッフが居るので開いてました。
923年(延長元年)延暦寺の天台宗13世座主・尊意僧正(そんいそうじょう)が第60代・醍醐天皇の勅願により、水難火難除けの守護神として、菅原道真公の神霊を勧請して建立されたのが起源です。醍醐天皇から「水火の社天満大神」という神号の勅許を得て「水火の社天満自在天神宮」を賜りました。このとにより、日本最初の天満宮といわれています。
次に社務所の向かいに注目です。こちらは「出世石」と呼ばれる神石です。大願成就、世に出る石として信仰されています。
その左横が「登天石(菅公影向松)」があります。ここを建立した尊意僧正が宮中に向かう際、鴨川に差し掛かると急に増水して川が氾濫すると、神剣を捧げて祈ると水が二分し、中央の岩に菅原道真公の神霊が現れ雷雨がやんだと言います。その石を持ち帰り供養して登天石と名付けられたそうです。「菅公 影向松」は、登天石の後ろにあり、神様が松に降りられることが多いようです。北野天満宮にもありもすね。
この南鳥居の端に文字が掠れた石標に注目です。「是より洛中 荷馬口付のもの乗べからず」と書かれています。京都市内で現存する石柱ですが、これは江戸時代の交通標識だそうで、かつては都への出入口に30ケ所もあったそうです。
お参りは本殿前の「拝殿」でします。ここにも“まるごと美術館”の作品が展示されてました。
「本殿」には、御祭神の菅原道真公が祀られています。御利益は、水難、火難、学業、災難厄除、和合成就、学業成就、起死回生でした。
次に末社「秋葉大神社」です。御祭神は、火之迦具土神((ひのかぐつちのかみ)とありました。加火難除けの神様だそうです。
次に末社「白太夫社」です。御祭神は、度会春彦(わたらいはるひこ)で、御利益は、子授けです。
さらに奥へ行き、「弁才天社」がありました。御祭神の名が玉姫弁才天・金玉龍王・福寿大明神とありました。
最後は「玉子神石」です。祠の中に、丸石が祀られています(もう少し近づいて撮れば良かったです)。妊娠5ケ月目に、この石にお祈りすると安産になると言われています。
最後に、赤い鳥居が目立つ「六玉稲荷大明神社」に寄りました。御祭神は六玉稲荷大明神、玉光稲荷大明神、生島稲荷大明神です。江戸時代まで東本願寺の飛地境内である渉成園内の枳殻亭にあったものが、明治維新以降に現在地に遷座されました。その前には、「金龍水」があって、枯れたとこの無い井戸水では、「眼病」に効くと伝わっています。
最後の寺院が上御霊通り沿いにあので「南鳥居」から12時10分に出て行きました。
開催場所・・・水火天満宮
開催期間・・・2019年11月18日(月)〜12月8日(日)
拝観時間・・・10時〜16時
拝観料・・・・無料
キュレーター:中川 直幸
ここは桜が綺麗だと言われています。朱印もいただけたので、今度は桜でも見に来ようと思いつつ次へと向かいました。
【水火天満宮】
12時3分に着きました。この日、コインパーキングから最初の訪問であった妙蓮寺に行くまでに、ここを通ってました。まだ10時前だったので素通りしたわけです。
ここには2016年(平成28年)9月16日に訪問しています。この時、社務所が留守だったため朱印は貰い損ねてます。
上御霊通りから扇町児童公園を横切り、「南鳥居」から入りました。ただ、正門である堀川通りを見たかったので、一旦外に出ます。
堀川通り沿いに「西鳥居」が建ってて、右には「水火天満宮」の社号標と「まるごと美術館」の幟があります。
その西鳥居の足元に「孝学堂跡石碑」がひっそり建っています。このあと社務所で由緒書きをいただいて分かったことです。
鳥居を入って南に「倉庫」、その先に「手水舎」があって、その前にまるごと美術館の作品が展示されてます。
出展アーティスト名は、アリモトコウタ氏だけしか分かりません。私一人が境内をウロウロしていて、スタッフの方は2名・・・でも、説明は無かったです。
今日は、「社務所」で、インターホンを押したら時間はかかりましたが、出て来られました。やっと御朱印と由緒書きをいただけました。
普段・・・と言っても一度しか来てませんが、まるごと美術館のスタッフが居るので開いてました。
923年(延長元年)延暦寺の天台宗13世座主・尊意僧正(そんいそうじょう)が第60代・醍醐天皇の勅願により、水難火難除けの守護神として、菅原道真公の神霊を勧請して建立されたのが起源です。醍醐天皇から「水火の社天満大神」という神号の勅許を得て「水火の社天満自在天神宮」を賜りました。このとにより、日本最初の天満宮といわれています。
次に社務所の向かいに注目です。こちらは「出世石」と呼ばれる神石です。大願成就、世に出る石として信仰されています。
その左横が「登天石(菅公影向松)」があります。ここを建立した尊意僧正が宮中に向かう際、鴨川に差し掛かると急に増水して川が氾濫すると、神剣を捧げて祈ると水が二分し、中央の岩に菅原道真公の神霊が現れ雷雨がやんだと言います。その石を持ち帰り供養して登天石と名付けられたそうです。「菅公 影向松」は、登天石の後ろにあり、神様が松に降りられることが多いようです。北野天満宮にもありもすね。
この南鳥居の端に文字が掠れた石標に注目です。「是より洛中 荷馬口付のもの乗べからず」と書かれています。京都市内で現存する石柱ですが、これは江戸時代の交通標識だそうで、かつては都への出入口に30ケ所もあったそうです。
お参りは本殿前の「拝殿」でします。ここにも“まるごと美術館”の作品が展示されてました。
「本殿」には、御祭神の菅原道真公が祀られています。御利益は、水難、火難、学業、災難厄除、和合成就、学業成就、起死回生でした。
次に末社「秋葉大神社」です。御祭神は、火之迦具土神((ひのかぐつちのかみ)とありました。加火難除けの神様だそうです。
次に末社「白太夫社」です。御祭神は、度会春彦(わたらいはるひこ)で、御利益は、子授けです。
さらに奥へ行き、「弁才天社」がありました。御祭神の名が玉姫弁才天・金玉龍王・福寿大明神とありました。
最後は「玉子神石」です。祠の中に、丸石が祀られています(もう少し近づいて撮れば良かったです)。妊娠5ケ月目に、この石にお祈りすると安産になると言われています。
最後に、赤い鳥居が目立つ「六玉稲荷大明神社」に寄りました。御祭神は六玉稲荷大明神、玉光稲荷大明神、生島稲荷大明神です。江戸時代まで東本願寺の飛地境内である渉成園内の枳殻亭にあったものが、明治維新以降に現在地に遷座されました。その前には、「金龍水」があって、枯れたとこの無い井戸水では、「眼病」に効くと伝わっています。
最後の寺院が上御霊通り沿いにあので「南鳥居」から12時10分に出て行きました。
開催場所・・・水火天満宮
開催期間・・・2019年11月18日(月)〜12月8日(日)
拝観時間・・・10時〜16時
拝観料・・・・無料
キュレーター:中川 直幸
ここは桜が綺麗だと言われています。朱印もいただけたので、今度は桜でも見に来ようと思いつつ次へと向かいました。
【水火天満宮】
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