まるごと美術館 本法寺へ
本山 叡昌山 本法寺は、本阿弥光悦ゆかり寺と知られ通常でも拝観されています。私も何度か来てますが、2010年(平成22年)6月が初訪問だったように記憶しています。ここでもまるごと美術館が開催されていたので来て見ました。
11時29分に金剛力士像が祀られている「仁王門」(京都府指定有形文化財)に着きました。
境内に入ると綺麗な紅葉が見え、その先に「多宝塔」(京都府指定有形文化財)が、その手前に「摩利支天堂」の鳥居がありました。
多宝塔から正面に1797年(寛政9年)に再建された「本堂」(京都府指定有形文化財)が、その手前に「本阿弥光悦の手植えと伝わる松」と本法寺を支えた有力な檀家であった「長谷川等伯像」が見えます。
このあと、御朱印の看板を見て本法寺の塔頭寺院である「尊陽院」に11時31分から11時37分まで寄った訳です。少し寄り道しましたが、本法寺の拝観受付所に向かいます。
本法寺には最近では、2015年(平成27年)2月の「京の冬の旅」や2017年(平成29年)11月の「夜間拝観ライトアップ」に来てました。
拝観料は通常では800円ですが、1000円でした。入ってみると、どうも私一人だけのようで、まるごと美術館のスタッフの方が案内されるのでついて行きます。
最初に案内されたのが「十の庭(つなし)」です。数字を数える時に、一つ二つ・・・九つと・・・つが付きます。10は"つ"が付きません。そのことから10をつなしと読ませています・・・知ってましたが・・・。
最初に案内されたのが、通常非公開の「開山堂」です。事前には分からなかったことで、少々驚きです。
出店者や案内の人には申し訳なかったけど、内陣が気になりましたが・・・厨子は閉まってます。内陣中央には日親上人像が安置されてるそうで、1796年(寛政8年)に再建されたものです。
「伝統工芸 美のあとさき~糸、道具、さまざまな試作、廃棄される部分~(和絞房)」私の生まれ育った家が“呉服の店”でしたので、これらのものを見て懐かしかったですし、案内の人も説明していただいて良かったです。
次は「涅槃会館」に入ります。こちらにも付いて来られました。ここでは、長谷川等伯筆「大涅槃図」のレプリカを見ます。本物も見たことがあるので、本当はスルーしようと思ってましたが・・・。
次に「巴の庭」に向かうと、驚いたことに、いつもは閉まっている「書院」が開いてます。何度か来てますが、初めてですね、書院が開いてたのは。
「巴の庭」の説明もしていただきました。目立つ10角形の蓮池の左横にある石を日と読みます。そして蓮池を蓮と読ませて、日蓮となります。作庭者の本阿弥光悦は熱心な日蓮宗信者で、この本法寺が菩提寺でもあります。
次に「書院」に入ります。こうして書院の中に入れたのは初めてだと思います。普段は閉まってますが「夜間拝観ライトアップ」時も襖は開いてました。
こちらの「書院」は、紀州徳川家の寄進によるもので、1828年(文政11年)の再建。こちらの絵は法橋観山筆によるもの。
ここを出たのがちょうど12時でした。そろそろお昼ですが、あと2ケ所回る予定です。
本法寺は、山号を叡昌山と言い、1436年(永享8年)に日親上人が創建した日蓮宗本山のお寺です。その後、室町幕府6代将軍・足利義教の怒りをかったため、寺は破却されます。また、1536年(天文5年)の天文法華の乱によって、京都から日蓮宗は追放され、以後6年間日蓮宗は禁教とされてしまいます。その後、後奈良天皇の時代に一条戻橋付近で復興。豊臣秀吉の時代、1587年(天正15年)に聚楽第建設に伴い現在地に移りました。その時、伽藍整備に尽力したのが、本阿弥光二・光悦親子でした。しかし1788年(天明8年)の大火により本法寺の伽藍も経蔵と宝庫とを残すのみとなりました。その後、檀信徒の寄進により現在の姿が完成しました。境内諸堂のうち、本堂、開山堂、多宝塔、庫裡、書院、大玄関、唐門、鐘楼、経蔵、宝蔵、石橋等が京都府有形文化財に指定されています。
開催場所・・・本法寺
開催期間・・・2019年11月2日(土)〜12月8日(日)
拝観時間・・・昼の部10時〜16時 夜の部18時〜20時(金土日のみ)
拝観料・・・・1000円 中高生、障がい者500円(小学生以下無料)
キュレーター:鳴橋 明美
庫裏を出て、庫裏の西側を回り込むように北に上がります。上御霊通りに出ると次の目的地に出る筈です。
【本法寺】
11時29分に金剛力士像が祀られている「仁王門」(京都府指定有形文化財)に着きました。
境内に入ると綺麗な紅葉が見え、その先に「多宝塔」(京都府指定有形文化財)が、その手前に「摩利支天堂」の鳥居がありました。
多宝塔から正面に1797年(寛政9年)に再建された「本堂」(京都府指定有形文化財)が、その手前に「本阿弥光悦の手植えと伝わる松」と本法寺を支えた有力な檀家であった「長谷川等伯像」が見えます。
このあと、御朱印の看板を見て本法寺の塔頭寺院である「尊陽院」に11時31分から11時37分まで寄った訳です。少し寄り道しましたが、本法寺の拝観受付所に向かいます。
本法寺には最近では、2015年(平成27年)2月の「京の冬の旅」や2017年(平成29年)11月の「夜間拝観ライトアップ」に来てました。
拝観料は通常では800円ですが、1000円でした。入ってみると、どうも私一人だけのようで、まるごと美術館のスタッフの方が案内されるのでついて行きます。
最初に案内されたのが「十の庭(つなし)」です。数字を数える時に、一つ二つ・・・九つと・・・つが付きます。10は"つ"が付きません。そのことから10をつなしと読ませています・・・知ってましたが・・・。
最初に案内されたのが、通常非公開の「開山堂」です。事前には分からなかったことで、少々驚きです。
出店者や案内の人には申し訳なかったけど、内陣が気になりましたが・・・厨子は閉まってます。内陣中央には日親上人像が安置されてるそうで、1796年(寛政8年)に再建されたものです。
「伝統工芸 美のあとさき~糸、道具、さまざまな試作、廃棄される部分~(和絞房)」私の生まれ育った家が“呉服の店”でしたので、これらのものを見て懐かしかったですし、案内の人も説明していただいて良かったです。
次は「涅槃会館」に入ります。こちらにも付いて来られました。ここでは、長谷川等伯筆「大涅槃図」のレプリカを見ます。本物も見たことがあるので、本当はスルーしようと思ってましたが・・・。
次に「巴の庭」に向かうと、驚いたことに、いつもは閉まっている「書院」が開いてます。何度か来てますが、初めてですね、書院が開いてたのは。
「巴の庭」の説明もしていただきました。目立つ10角形の蓮池の左横にある石を日と読みます。そして蓮池を蓮と読ませて、日蓮となります。作庭者の本阿弥光悦は熱心な日蓮宗信者で、この本法寺が菩提寺でもあります。
次に「書院」に入ります。こうして書院の中に入れたのは初めてだと思います。普段は閉まってますが「夜間拝観ライトアップ」時も襖は開いてました。
こちらの「書院」は、紀州徳川家の寄進によるもので、1828年(文政11年)の再建。こちらの絵は法橋観山筆によるもの。
ここを出たのがちょうど12時でした。そろそろお昼ですが、あと2ケ所回る予定です。
本法寺は、山号を叡昌山と言い、1436年(永享8年)に日親上人が創建した日蓮宗本山のお寺です。その後、室町幕府6代将軍・足利義教の怒りをかったため、寺は破却されます。また、1536年(天文5年)の天文法華の乱によって、京都から日蓮宗は追放され、以後6年間日蓮宗は禁教とされてしまいます。その後、後奈良天皇の時代に一条戻橋付近で復興。豊臣秀吉の時代、1587年(天正15年)に聚楽第建設に伴い現在地に移りました。その時、伽藍整備に尽力したのが、本阿弥光二・光悦親子でした。しかし1788年(天明8年)の大火により本法寺の伽藍も経蔵と宝庫とを残すのみとなりました。その後、檀信徒の寄進により現在の姿が完成しました。境内諸堂のうち、本堂、開山堂、多宝塔、庫裡、書院、大玄関、唐門、鐘楼、経蔵、宝蔵、石橋等が京都府有形文化財に指定されています。
開催場所・・・本法寺
開催期間・・・2019年11月2日(土)〜12月8日(日)
拝観時間・・・昼の部10時〜16時 夜の部18時〜20時(金土日のみ)
拝観料・・・・1000円 中高生、障がい者500円(小学生以下無料)
キュレーター:鳴橋 明美
庫裏を出て、庫裏の西側を回り込むように北に上がります。上御霊通りに出ると次の目的地に出る筈です。
【本法寺】
この記事へのコメント