2020年(令和2年) 京都十六社 朱印めぐり 満願 長岡天満宮へ
1月17日(金)は、2020年(令和2年) 京都十六社朱印めぐりの最後の1社である長岡天満宮に行きました。
10数年前まで、大阪に通勤していた時に利用していた阪急嵐山駅を8時13分発の電車に乗って桂駅で京都線に乗り換え、8時25分発の準急に乗れました。通勤特急なら座れませんが運良く座って長岡天神駅に8時34分に着きました。
そこから膝を痛めているのでゆっくりゆっくり長岡天満宮に向かって歩いて行きます。
そして8時41分にようやく「正面大鳥居」が見えてきます。私の前に数名が天満宮に向かって歩いて行かれましたが、通勤ルートなんでしょうね。
信号待ちして、青信号になって渡りきると、先ずは「大絵馬」を撮りました。その間に先に渡られた方は石段を上がられて・・・。
8時43分に、この石段を上がります。先に歩いてた皆さんは、後で分かったことですが、この境内を横切りって会社に行かれたようです。
1998年(平成10年)に建立された鳥居ですが、今年は足元が変わっていました。昨年の今頃は無かったので、最近でしょうね。
この鳥居をくぐると、4月から5月にかけてキリシマツツジが咲き誇りますが、この時期は通行止めになっているため、左側の参道を進みます。
左手を見ると1638年(寛永15年)当時の領主・八条宮が造るように命じた、「八条ケ池」が広がっています。池の向こうには「錦水亭」が見えています。一度は行きたい名店です。
太鼓橋を渡ると前方に、これも新しい石碑を目にしました。「古今伝授の間ゆかりの地」と「恩故知新(おんこちしん)」と書かれています。
そして参道が南側に変わると、そこには「一の鳥居」が建っています。ここからの参道に菅公ゆかりの石碑があるので見ていきます。
最初は、「長岡保勝会の事業竣工記念碑」です。中小路宗城元宮司が保勝会を組織して、その収益で社殿、社務所、池周辺の境内整備を行った記念して1922年(大正11年)に建立されました。
次に「以誠接萬事」と書かれた石碑です。御祭神の菅原道真の至誠の心を現した「誠を以って萬事に接する」と書いてあるそうです。。
「塩田藪柑子、花野里美夫妻句碑」で「文道の宮の余光につつしせ燃ゆ(藪柑子)、風韻に心耳を澄ます梅の宮(里美)」と書かれています。2002年(平成14年)に建立されました。
吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されましたもの。頌徳詩文は千阪先生の作詞によるものです。1992年(平成4年)建立。内容は、「冤罪左遷されて一身を・・・」です。長いの割愛します。
参道を南に、次に東に曲がるが角に2018年(平成30年)9月2日に襲来した台風21号の強風により、「二の鳥居」が倒壊してました。その名残を見ることができます。
次に石段を上がり左に折れると「三の鳥居」をくぐります。すると右手に「大絵馬」が架かっており、これも毎年楽しみの一つです。
全国の酒造会社から奉納された「酒樽奉献舎」には酒樽が一杯です。その前に菅公歌碑が「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」。
最後の「四の鳥居」をくぐり右手にある「手水舎」に寄り、「本殿」にて参拝を済ませました。このとき8時50分・・・社務所の開く9時には10分もあるので、境内を散策します。
社務所は9時から開きますが、すでに1名待たれています。私は、今日はここだけの予定のため急ぎません。それで本殿の左から散策すると「長岡稲荷大明神」の朱塗りの鳥居が、くぐっていきます。
くぐって行くと、最初に「山神社」で、御祭神が大山祇神。次に「松尾竜神」「菅竜神」が、そして「長岡稲荷社」で、祭神が宇迦之御霊神です。1900年(明治33年)に建立されました。
8時55分に社務所に戻って来ましたが、まだ開いてませんし、お一人は辛抱強く待たれています。その前には胸像があって、中小路宗城大人之像(左)と中小路宗康大人之像(右)がありました。
次に本殿の右側を散策します。その社殿の右側には大きな石碑があって、「清廉潔白 至誠一貫」と書いてありました。
さらに社殿の右側を進むと「八幡宮神社本殿」(右)で御祭神は応神天皇。「春日大明神本殿」(左)で御祭神が、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神でした。
その向かいが「白梅殿」で、お隣が「交通安全祈祷殿」がありました。そしてまだまだ奥に進みます。
このまま進むと“錦景苑”に出ます。入口の反対側ですが、そこには社殿があって「白太夫社」(右)があって御祭神が、渡会晴彦翁。「和泉殿社」(左)の御祭神が、菅原定義卿でした。
苑内を下って行くと、「笠松地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが二体祀られています。1974年(昭和49年)に池を改修した際に池の底から発見され、その後1977年(昭和52年)にもさらに一体が発見され祀られました。
「錦景苑」の下まで降りてくると“四阿”もあって、ここで休憩できます。ここにも菅公の歌碑があって「このたびは 幣もとりあへず 手向く山 紅葉の錦 神のままに」と書いてあります。
ここが「錦景苑」の入口で、三の鳥居近くです。この時、時計を見ると8時59分・・・社務所に戻りました。
社務所に着く頃には9時になっていた筈ですが、まだ開いてません。前から待たれて方がお一人、私のあとにも3名、合計5人が待ってるなか、ようやく9時3分に開きました。寒い朝に遅すぎです。ここでようやく京都十六社朱印めぐりの御朱印をいただき満願となりました。最後の十六社目には特別な朱印も押して貰い記念品を貰って出て行きました。
帰りもそんなに急がないので、最後に菅公歌碑を見ていきました。「桜花 主をわすれぬ ものならば 吹き込む風に ことづてはせよ」。
雨降りが心配でしたが大丈夫でした。この長岡天満宮のある長岡京市には、細川幽斎・細川忠興ゆかりの「勝竜寺城公園」があります。もうすぐ始まるNHK大河「麒麟がくる」は楽しみです。その幟を見つけました。
再び阪急「長岡天神駅」に戻って、9時26分の普通電車に乗れました。桂駅まで乗って、そこで嵐山線に乗り換えです。私が大阪に通勤していた時代なら平日の昼間はガラガラでしたが・・・。
私も、ゆっくり座って嵐山まで帰れると思っていましたが、嵐山・・・なめてました。電車を待ってる間、ホームには外国人観光客であふれかえっています。私一人ですので座れましたが、これには参りました。冬の平日の昼間でも、こんなに外国人観光客が多いとは・・・です。
これが今年の「京都十六社朱印めぐり」の記念品です。今年の干支であるネズミの置物は可愛いです。
阪急嵐山駅から戻って、早速「京都十六社朱印めぐり」の朱印を飾りました。今年一年無事で平穏で暮らせたらと思っています。今年も十六社、ほぼ私一人で回りきりました。
【長岡天満宮】
10数年前まで、大阪に通勤していた時に利用していた阪急嵐山駅を8時13分発の電車に乗って桂駅で京都線に乗り換え、8時25分発の準急に乗れました。通勤特急なら座れませんが運良く座って長岡天神駅に8時34分に着きました。
そこから膝を痛めているのでゆっくりゆっくり長岡天満宮に向かって歩いて行きます。
そして8時41分にようやく「正面大鳥居」が見えてきます。私の前に数名が天満宮に向かって歩いて行かれましたが、通勤ルートなんでしょうね。
信号待ちして、青信号になって渡りきると、先ずは「大絵馬」を撮りました。その間に先に渡られた方は石段を上がられて・・・。
8時43分に、この石段を上がります。先に歩いてた皆さんは、後で分かったことですが、この境内を横切りって会社に行かれたようです。
1998年(平成10年)に建立された鳥居ですが、今年は足元が変わっていました。昨年の今頃は無かったので、最近でしょうね。
この鳥居をくぐると、4月から5月にかけてキリシマツツジが咲き誇りますが、この時期は通行止めになっているため、左側の参道を進みます。
左手を見ると1638年(寛永15年)当時の領主・八条宮が造るように命じた、「八条ケ池」が広がっています。池の向こうには「錦水亭」が見えています。一度は行きたい名店です。
太鼓橋を渡ると前方に、これも新しい石碑を目にしました。「古今伝授の間ゆかりの地」と「恩故知新(おんこちしん)」と書かれています。
そして参道が南側に変わると、そこには「一の鳥居」が建っています。ここからの参道に菅公ゆかりの石碑があるので見ていきます。
最初は、「長岡保勝会の事業竣工記念碑」です。中小路宗城元宮司が保勝会を組織して、その収益で社殿、社務所、池周辺の境内整備を行った記念して1922年(大正11年)に建立されました。
次に「以誠接萬事」と書かれた石碑です。御祭神の菅原道真の至誠の心を現した「誠を以って萬事に接する」と書いてあるそうです。。
「塩田藪柑子、花野里美夫妻句碑」で「文道の宮の余光につつしせ燃ゆ(藪柑子)、風韻に心耳を澄ます梅の宮(里美)」と書かれています。2002年(平成14年)に建立されました。
吟道賀堂流長岡京吟詠会(主宰 故千阪賀秀先生)の結成20周年の記念に奉納されましたもの。頌徳詩文は千阪先生の作詞によるものです。1992年(平成4年)建立。内容は、「冤罪左遷されて一身を・・・」です。長いの割愛します。
参道を南に、次に東に曲がるが角に2018年(平成30年)9月2日に襲来した台風21号の強風により、「二の鳥居」が倒壊してました。その名残を見ることができます。
次に石段を上がり左に折れると「三の鳥居」をくぐります。すると右手に「大絵馬」が架かっており、これも毎年楽しみの一つです。
全国の酒造会社から奉納された「酒樽奉献舎」には酒樽が一杯です。その前に菅公歌碑が「海ならず たたへる水の 底までも 清き心は 月ぞ照らさむ」。
最後の「四の鳥居」をくぐり右手にある「手水舎」に寄り、「本殿」にて参拝を済ませました。このとき8時50分・・・社務所の開く9時には10分もあるので、境内を散策します。
社務所は9時から開きますが、すでに1名待たれています。私は、今日はここだけの予定のため急ぎません。それで本殿の左から散策すると「長岡稲荷大明神」の朱塗りの鳥居が、くぐっていきます。
くぐって行くと、最初に「山神社」で、御祭神が大山祇神。次に「松尾竜神」「菅竜神」が、そして「長岡稲荷社」で、祭神が宇迦之御霊神です。1900年(明治33年)に建立されました。
8時55分に社務所に戻って来ましたが、まだ開いてませんし、お一人は辛抱強く待たれています。その前には胸像があって、中小路宗城大人之像(左)と中小路宗康大人之像(右)がありました。
次に本殿の右側を散策します。その社殿の右側には大きな石碑があって、「清廉潔白 至誠一貫」と書いてありました。
さらに社殿の右側を進むと「八幡宮神社本殿」(右)で御祭神は応神天皇。「春日大明神本殿」(左)で御祭神が、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神でした。
その向かいが「白梅殿」で、お隣が「交通安全祈祷殿」がありました。そしてまだまだ奥に進みます。
このまま進むと“錦景苑”に出ます。入口の反対側ですが、そこには社殿があって「白太夫社」(右)があって御祭神が、渡会晴彦翁。「和泉殿社」(左)の御祭神が、菅原定義卿でした。
苑内を下って行くと、「笠松地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが二体祀られています。1974年(昭和49年)に池を改修した際に池の底から発見され、その後1977年(昭和52年)にもさらに一体が発見され祀られました。
「錦景苑」の下まで降りてくると“四阿”もあって、ここで休憩できます。ここにも菅公の歌碑があって「このたびは 幣もとりあへず 手向く山 紅葉の錦 神のままに」と書いてあります。
ここが「錦景苑」の入口で、三の鳥居近くです。この時、時計を見ると8時59分・・・社務所に戻りました。
社務所に着く頃には9時になっていた筈ですが、まだ開いてません。前から待たれて方がお一人、私のあとにも3名、合計5人が待ってるなか、ようやく9時3分に開きました。寒い朝に遅すぎです。ここでようやく京都十六社朱印めぐりの御朱印をいただき満願となりました。最後の十六社目には特別な朱印も押して貰い記念品を貰って出て行きました。
帰りもそんなに急がないので、最後に菅公歌碑を見ていきました。「桜花 主をわすれぬ ものならば 吹き込む風に ことづてはせよ」。
雨降りが心配でしたが大丈夫でした。この長岡天満宮のある長岡京市には、細川幽斎・細川忠興ゆかりの「勝竜寺城公園」があります。もうすぐ始まるNHK大河「麒麟がくる」は楽しみです。その幟を見つけました。
再び阪急「長岡天神駅」に戻って、9時26分の普通電車に乗れました。桂駅まで乗って、そこで嵐山線に乗り換えです。私が大阪に通勤していた時代なら平日の昼間はガラガラでしたが・・・。
私も、ゆっくり座って嵐山まで帰れると思っていましたが、嵐山・・・なめてました。電車を待ってる間、ホームには外国人観光客であふれかえっています。私一人ですので座れましたが、これには参りました。冬の平日の昼間でも、こんなに外国人観光客が多いとは・・・です。
これが今年の「京都十六社朱印めぐり」の記念品です。今年の干支であるネズミの置物は可愛いです。
阪急嵐山駅から戻って、早速「京都十六社朱印めぐり」の朱印を飾りました。今年一年無事で平穏で暮らせたらと思っています。今年も十六社、ほぼ私一人で回りきりました。
【長岡天満宮】
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