第54回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 泉涌寺 雲龍院へ
泉涌寺塔頭の新善光寺を出て、けっこうな坂を登って行きます。途中、泉涌寺の大門の前を通りましたが素通りしてその奥にある雲龍院に、12時41分に着きました。
新善光寺から6分で着きましたが、ずっと登りで疲れました。先に雲龍院で帰りに新善光寺も考えましたが、この日の目的はあくまで新善光寺でしたので先に訪問した訳です。
雲龍院は通常拝観しているので、特別感は無いです無いです。雲龍院は、この日で5度目の訪問ですね、何故来たのは・・・。
最初に来たのは、2012年(平成24年)3月14日の「第46回 京の冬の旅」でした。次に2014年(平成26年)9月15日に京都定期観光バスにのって「織部流武家点前」で、そして2016年(平成28年)1月23日に「泉涌寺 七福神めぐり」に。最後に2017年(平成29年)11月24日に「ライトアップ」でした。
「山門」を入って、ほぼ東に向いて参道が延びています。途中にある「鐘楼」付近には既に梅が咲き始めていました。
正面にある「庫裏」を見ながら右手に行くと玄関があるので、そこで靴を袋に入れて上がり、そこにある受付で京都市文化観光資源保護財団からいただいた第54回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開の招待券で入りました。
受付を済ませると、ここではお馴染みの「雲龍図」が迎えてくれます。先の新善光寺はガラガラでしたが、ここは十数名の肩が来られてました。
案内にしたがって「本堂(龍華殿)」に向かいますが、その前に「蓮華の間」に寄りました。ここで雪見障子の四角いガラス窓越しに庭を見ますが、何度も来ているのであっさり通過・・・しました。
案内にしたがって進むと「霊明殿」に出て来ますが、こちらは後で入ります。その前には徳川幕府15代将軍・徳川慶喜が寄進した灯籠が建っています。
それで「本堂(龍華殿)」までやってくると、正面に「勅使門」がありますが、ここは皇室の方しか通られません。
この日、ここに来たのは2012年(平成24年)3月14日に「第46回 京の冬の旅」で見た、水墨画家・堂野夢酔(どうのむすい)が描いた襖絵「双龍風雷図」を見に来たのと、“京の冬の旅”ではスタンプラリーをやっていて、三箇所回る毎にお菓子やお茶の特典が受けられるので、その目的もありました。それで堂内に入ると、ガイドさんより「堂内は撮影禁止です」と案内があって、それでガイドさんの話は聞かずに襖絵だけ見て出て来ました。
2012年(平成24年)では写真が撮れたのにね、最新のスマホカメラで撮りに来たのに残念です。
「本堂(龍華殿)」ではガイドさんの話はスルーして、次に「霊明殿」に行きました。ただ内部は外から覗くだけでした。1868年(明治元年)に孝明天皇や静寛院宮(和宮親子内親王)の援助で建立された皇室の位牌を祀るお堂です。内陣には、後光巌天皇や後円融天皇の木像が安置されています。
霊明殿から案内にしたがって、書院の前を通ると、この日はお昼を抜いてきたので、お腹が空いてました。そこで「大輪の間」に入り、お茶菓子をいただくことにしました。
一人で入るのは少し恥ずかしい気がしましたが、ここから庭園も見たかったので500円を払い、ここのオリジナル菓子と抹茶をいただきました。
こちらには忠臣蔵で有名な大石良雄(内蔵助)による「龍淵」の書が展示されています。山科に籠もっていた内藏助は、この泉涌寺の塔頭寺院である来迎院を度々訪れていたと伝わっています。
最初は、私一人でしたが庭園を見に数名が入って来られました。お茶菓子を注文しなくとも入れるみたいです。私は食べ終わると早々に次へと向かいました。
ここでは有名な「走り大黒天」がありますが、こちらは最後に見ようと思い、一番奥の「悟りの間」まで行ってみました。
最初に「迷いの窓」、そして「悟りの窓」と見ていきます。ただこの部屋には数名が写真を撮られているので、少し待つことにはなりました。
中の人が退いてくれないから、ねばらずこの部屋を出ていきました。そしていよいよ台所に行ってみます・・・そこには・・・。
少々怖いお顔の「走り大黒天」は、家の方まで幸福を持って来て下さいます。
出口付近にある、この箱庭には京都産の加茂川真黒石で造られた「観音石像」が祀られています。
ここは13時1分に出ました。新善光寺に比べて、ここは人が多かったけど、通常拝観しているからでしょうか。
この日の最後に泉涌寺に入るつもりでした。これでスタンプラリーが三個溜まる予定でしたが、まさかの拝観中止でした。
帰ってからHPで予定を見てみると、29日と30日は終日拝観停止でした。前もって調べたつもりでしたが見過ごしてしまっていました。ここから駅までは下る一方となるため、急ぎ泉涌寺道を下って行きます。
【泉涌寺 雲龍院】
新善光寺から6分で着きましたが、ずっと登りで疲れました。先に雲龍院で帰りに新善光寺も考えましたが、この日の目的はあくまで新善光寺でしたので先に訪問した訳です。
雲龍院は通常拝観しているので、特別感は無いです無いです。雲龍院は、この日で5度目の訪問ですね、何故来たのは・・・。
最初に来たのは、2012年(平成24年)3月14日の「第46回 京の冬の旅」でした。次に2014年(平成26年)9月15日に京都定期観光バスにのって「織部流武家点前」で、そして2016年(平成28年)1月23日に「泉涌寺 七福神めぐり」に。最後に2017年(平成29年)11月24日に「ライトアップ」でした。
「山門」を入って、ほぼ東に向いて参道が延びています。途中にある「鐘楼」付近には既に梅が咲き始めていました。
正面にある「庫裏」を見ながら右手に行くと玄関があるので、そこで靴を袋に入れて上がり、そこにある受付で京都市文化観光資源保護財団からいただいた第54回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開の招待券で入りました。
受付を済ませると、ここではお馴染みの「雲龍図」が迎えてくれます。先の新善光寺はガラガラでしたが、ここは十数名の肩が来られてました。
案内にしたがって「本堂(龍華殿)」に向かいますが、その前に「蓮華の間」に寄りました。ここで雪見障子の四角いガラス窓越しに庭を見ますが、何度も来ているのであっさり通過・・・しました。
案内にしたがって進むと「霊明殿」に出て来ますが、こちらは後で入ります。その前には徳川幕府15代将軍・徳川慶喜が寄進した灯籠が建っています。
それで「本堂(龍華殿)」までやってくると、正面に「勅使門」がありますが、ここは皇室の方しか通られません。
この日、ここに来たのは2012年(平成24年)3月14日に「第46回 京の冬の旅」で見た、水墨画家・堂野夢酔(どうのむすい)が描いた襖絵「双龍風雷図」を見に来たのと、“京の冬の旅”ではスタンプラリーをやっていて、三箇所回る毎にお菓子やお茶の特典が受けられるので、その目的もありました。それで堂内に入ると、ガイドさんより「堂内は撮影禁止です」と案内があって、それでガイドさんの話は聞かずに襖絵だけ見て出て来ました。
2012年(平成24年)では写真が撮れたのにね、最新のスマホカメラで撮りに来たのに残念です。
「本堂(龍華殿)」ではガイドさんの話はスルーして、次に「霊明殿」に行きました。ただ内部は外から覗くだけでした。1868年(明治元年)に孝明天皇や静寛院宮(和宮親子内親王)の援助で建立された皇室の位牌を祀るお堂です。内陣には、後光巌天皇や後円融天皇の木像が安置されています。
霊明殿から案内にしたがって、書院の前を通ると、この日はお昼を抜いてきたので、お腹が空いてました。そこで「大輪の間」に入り、お茶菓子をいただくことにしました。
一人で入るのは少し恥ずかしい気がしましたが、ここから庭園も見たかったので500円を払い、ここのオリジナル菓子と抹茶をいただきました。
こちらには忠臣蔵で有名な大石良雄(内蔵助)による「龍淵」の書が展示されています。山科に籠もっていた内藏助は、この泉涌寺の塔頭寺院である来迎院を度々訪れていたと伝わっています。
最初は、私一人でしたが庭園を見に数名が入って来られました。お茶菓子を注文しなくとも入れるみたいです。私は食べ終わると早々に次へと向かいました。
ここでは有名な「走り大黒天」がありますが、こちらは最後に見ようと思い、一番奥の「悟りの間」まで行ってみました。
最初に「迷いの窓」、そして「悟りの窓」と見ていきます。ただこの部屋には数名が写真を撮られているので、少し待つことにはなりました。
中の人が退いてくれないから、ねばらずこの部屋を出ていきました。そしていよいよ台所に行ってみます・・・そこには・・・。
少々怖いお顔の「走り大黒天」は、家の方まで幸福を持って来て下さいます。
出口付近にある、この箱庭には京都産の加茂川真黒石で造られた「観音石像」が祀られています。
ここは13時1分に出ました。新善光寺に比べて、ここは人が多かったけど、通常拝観しているからでしょうか。
この日の最後に泉涌寺に入るつもりでした。これでスタンプラリーが三個溜まる予定でしたが、まさかの拝観中止でした。
帰ってからHPで予定を見てみると、29日と30日は終日拝観停止でした。前もって調べたつもりでしたが見過ごしてしまっていました。ここから駅までは下る一方となるため、急ぎ泉涌寺道を下って行きます。
【泉涌寺 雲龍院】
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