令和の特別公開 泉涌寺 即成院へ
雲龍院を出て、泉涌寺道を下って行きます。最初に訪れた新善光寺も通過。泉涌寺道沿いには泉涌寺七福神巡りで訪れた塔頭寺院が並んでおり懐かしいですね、団体で巡りました。
そして泉涌寺の「総門」まで戻ってきました。行きは、ここをタクシーで通過したので写真を撮ってなかったので振り向いて撮りました。
その総門前には、即成院があって那須与一の墓があるので有名です。本当は、ここも通過するつもりでした・・・が、「山門」前の看板に目が行きました。
看板には「令和の大公開 内陣特別拝観のご案内」とありました。ここの内陣は入ったことがありません。それなら寄って行こう・・・と山門を13時13分にくぐりました。
「山門」を入って境内に入ると、誰も居ません。寒気で雲が多く雨が降りそうな天気ですが、参道を進んで行くと左手には「地蔵堂」がありますが非公開です。
ここは那須与一の墓があるからでしょう手水も「与一の手洗所」と呼ばれています。
また左手には「弘法大師」と書かれた石標と、不動明王立像などの石仏群を見ながら本堂の手前まで行きました。
こちらは「本堂」で、過去2012年(平成24年)3月14日と2016年(平成28年)1月23日(土)の「泉涌寺 七福神めぐり」に来てるので3回目の訪問となります。
本堂前で靴を脱いで上がると、僧侶の方が受付されたました。そこで「表の看板を見て来たんですけど」と言うと「500円を納めてください」と言われ、簡単に拝観の案内をいただき、私一人で奥へと進んで行きました。
内陣に入る手前に、「金色の菩薩のお面」が展示されてました。毎年10月第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養法会」が行われる際に被られるお面です。
内陣の仏像がお目当てでしたが、金色菩薩のお面まで見られるとは寄って大正解でした。そして初めて内陣に入り、「阿弥陀如来と二十五菩薩像」(重要文化財)にお参りさせてもらいました。弓の名手と伝説の人物である那須与一が信仰されたと伝わり現世極楽浄土と呼ばれる仏像群は圧巻でした。
そして受付で案内された那須与一の墓に向かいます。こちらには何度か足を運んでいますがせっかく来たので寄っていきます。
その前に、2016年(平成28年)1月23日(土)の「泉涌寺 七福神めぐり」でも見せてもらった「福禄寿」に寄っていきました。
スリッパに履き替えて、奥に進むと、以前はお堂の中にひっそりと佇んでいた「那須与一の墓」も大きく変わっていました。
以前の暗かったお堂とは違って、そのお堂を撤去されたのでしょうね。随分明るい所へ移されたようです。こんなに変わってるとは・・・来て見て良かったです。
このお墓は、鎌倉時代に造られたとされる石造宝塔で、高さ約3㍍もあります。あとはお寺の由緒書きですが、那須与一は屋島の合戦以前に、義経の命を受けて出陣の途中、今の栃木県大田原市から京都に向かう道中で病にかかり突然倒れ、京都伏見で療養し、即成院の本尊・阿弥陀如来の霊験にすがり、院にこもって病気回復を祈ると共に、戦いにおける戦功を強く願い続けました。与一の祈りは通じ、阿弥陀如来の霊験で病が癒え、見事健康をとり戻した与一はまさに体調万全のかたちで屋島の戦いに挑むことが出来きたそうです。
ここには13時23分に出てきたので、約10分程度の訪問でした。だれも入って来られなかったので、ゆっくりさせて貰ったほうです。
ここから京阪東福寺駅まで歩いていき、そこから帰路に着きました。「泉涌寺 霊明殿・御座所」に行けなかったのは想定外でしたが、スタンプラリーは最低六カ所は回る予定にしているので頑張ります。
【泉涌寺 即成院】
そして泉涌寺の「総門」まで戻ってきました。行きは、ここをタクシーで通過したので写真を撮ってなかったので振り向いて撮りました。
その総門前には、即成院があって那須与一の墓があるので有名です。本当は、ここも通過するつもりでした・・・が、「山門」前の看板に目が行きました。
看板には「令和の大公開 内陣特別拝観のご案内」とありました。ここの内陣は入ったことがありません。それなら寄って行こう・・・と山門を13時13分にくぐりました。
「山門」を入って境内に入ると、誰も居ません。寒気で雲が多く雨が降りそうな天気ですが、参道を進んで行くと左手には「地蔵堂」がありますが非公開です。
ここは那須与一の墓があるからでしょう手水も「与一の手洗所」と呼ばれています。
また左手には「弘法大師」と書かれた石標と、不動明王立像などの石仏群を見ながら本堂の手前まで行きました。
こちらは「本堂」で、過去2012年(平成24年)3月14日と2016年(平成28年)1月23日(土)の「泉涌寺 七福神めぐり」に来てるので3回目の訪問となります。
本堂前で靴を脱いで上がると、僧侶の方が受付されたました。そこで「表の看板を見て来たんですけど」と言うと「500円を納めてください」と言われ、簡単に拝観の案内をいただき、私一人で奥へと進んで行きました。
内陣に入る手前に、「金色の菩薩のお面」が展示されてました。毎年10月第3日曜日に「二十五菩薩お練り供養法会」が行われる際に被られるお面です。
内陣の仏像がお目当てでしたが、金色菩薩のお面まで見られるとは寄って大正解でした。そして初めて内陣に入り、「阿弥陀如来と二十五菩薩像」(重要文化財)にお参りさせてもらいました。弓の名手と伝説の人物である那須与一が信仰されたと伝わり現世極楽浄土と呼ばれる仏像群は圧巻でした。
そして受付で案内された那須与一の墓に向かいます。こちらには何度か足を運んでいますがせっかく来たので寄っていきます。
その前に、2016年(平成28年)1月23日(土)の「泉涌寺 七福神めぐり」でも見せてもらった「福禄寿」に寄っていきました。
スリッパに履き替えて、奥に進むと、以前はお堂の中にひっそりと佇んでいた「那須与一の墓」も大きく変わっていました。
以前の暗かったお堂とは違って、そのお堂を撤去されたのでしょうね。随分明るい所へ移されたようです。こんなに変わってるとは・・・来て見て良かったです。
このお墓は、鎌倉時代に造られたとされる石造宝塔で、高さ約3㍍もあります。あとはお寺の由緒書きですが、那須与一は屋島の合戦以前に、義経の命を受けて出陣の途中、今の栃木県大田原市から京都に向かう道中で病にかかり突然倒れ、京都伏見で療養し、即成院の本尊・阿弥陀如来の霊験にすがり、院にこもって病気回復を祈ると共に、戦いにおける戦功を強く願い続けました。与一の祈りは通じ、阿弥陀如来の霊験で病が癒え、見事健康をとり戻した与一はまさに体調万全のかたちで屋島の戦いに挑むことが出来きたそうです。
ここには13時23分に出てきたので、約10分程度の訪問でした。だれも入って来られなかったので、ゆっくりさせて貰ったほうです。
ここから京阪東福寺駅まで歩いていき、そこから帰路に着きました。「泉涌寺 霊明殿・御座所」に行けなかったのは想定外でしたが、スタンプラリーは最低六カ所は回る予定にしているので頑張ります。
【泉涌寺 即成院】
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