初詣 北野天満宮へ
タイトルに初詣と書きましたが、お正月三ケ日には北野天満宮に行けませんでした。しかし12月28日(土)に正月用の写真を撮りに行ったこともあって、まだ“まるごと美術館”の続きがありますが、先に北野天満宮をアップします。
今出川沿い、表参道の南端に立っている「大鳥居」の横には“初詣”と書かれた大きな幟が、また鳥居前の巨大な「狛犬」には驚かされます。
大鳥居を入って直ぐの松の前に、また狛犬が鎮座しています。「影向松(ようこうのまつ)」と呼ばれ、伝説では、立冬から節分の間で初雪が降ると天神様が、この松に降りられて雪見の歌を詠まれるとか。
さらに奥には石碑がありました。日本最初の落語家、露の五郎兵衛の偉業をたたえたもので「人艸(草)や来た野(北野)の露の五郎兵衛」とありました。
また表参道に戻って、次は「二の鳥居」をくぐります。この前にも“狛犬”が鎮座しています。なお、お正月には、この参道には露店が建ち並びます。
次は「三の鳥居」をくぐります。こちらにも“狛犬”が鎮座していますが、この鳥居の前の左手に注目です。
末社「伴氏社(ともうじしゃ)」で、この鳥居の足元が「京都三珍鳥居」と呼ばれる由縁です。台座に蓮弁が刻まれおり、鎌倉時代の作だそうです。
1587年(天正15年)、豊臣秀吉が秋に開催した「北野大茶湯」を記念して建てられた石碑と、その時に茶の水を汲んだとされた「太閤井戸」が残っています。
この三の鳥居をくぐると、いよいよ今日来た目的の「楼門」が見えてきます。その両脇には「神牛像」が。北野天満宮では全部で20体も奉られています。
このとき8時30分頃で、まだ境内は空いてました。それでこの大絵馬もゆっくり撮影できました。
この楼門には、「随神像」が祀られています。この日はスマホで撮影しているので、隋神像上手く撮れてないですね。
楼門をくぐると右手に「手水舎」があって、ここで手と口を清めました。この時間では空いてます。
楼門の裏に昨年もあったように人形が飾られています。普段は見ないので、お正月の期間だけでしょうね。
参道は、ここで曲がっており、その先には「三光門」が建っています。この門をくぐると、いよいよ菅原道真公が祀られている本殿があります。
三光門をくぐると本殿がありますが、何処のTV局が分かりませんが、撮影に来られてました。そんなの気にしないで、私は誰も居ない拝殿前で参拝しました。
私も受験の時、親に連れられてお参りにきました。お正月は大変な人で、お参りも行列は必至です。交通規制もされるので、昼からだと近寄ることも困難です。
撮影の邪魔にならないように・・・こちらは拝殿前の「飛梅」です。飛梅伝説・・・道真公が流罪となった後、道真公を慕う屋敷内にあった庭木の梅の木・桜の木・松の木のうち、桜の木は悲しみのあまり枯れてしまい、松の木は空を飛びますが途中で力尽き摂津国八部郡板宿で根を下ろした。梅の木だけは主人のいる太宰府まで飛んで行き、そこで根を下ろした・・・と。
帰りに、もう一度「三光門」によって、「天神さんの七不思議」を探しました。このことは覚えてましたが、肝心の「星欠けの三光門」伝説を探すことができませんでした。
あとは、境内北西角にある「牛社・絵馬掛所」によりました。毎年10万枚以上の絵馬が奉納されるとか。
本殿裏にある「御后三柱(ごこうのみはしら)」に忘れず参拝しました。北野天満宮では拝殿で、天神様をお参りして、そして本殿の裏に回って御后三柱(天神様のご先祖)をお参りするのか常だったことを覚えてました。
北野天満宮より歴史がふるい「地主神社」にも寄りました。祭神は、天地すべての神々「天神地祇」が祀られています。
あと、境内の正月風景を探しながら楼門まで戻り、表参道からここを出て行きました。
これでお正月の記事はひとまず置いて、次の7日(火)から“まるごと美術館”の記事に戻ります。
【北野天満宮】
今出川沿い、表参道の南端に立っている「大鳥居」の横には“初詣”と書かれた大きな幟が、また鳥居前の巨大な「狛犬」には驚かされます。
大鳥居を入って直ぐの松の前に、また狛犬が鎮座しています。「影向松(ようこうのまつ)」と呼ばれ、伝説では、立冬から節分の間で初雪が降ると天神様が、この松に降りられて雪見の歌を詠まれるとか。
さらに奥には石碑がありました。日本最初の落語家、露の五郎兵衛の偉業をたたえたもので「人艸(草)や来た野(北野)の露の五郎兵衛」とありました。
また表参道に戻って、次は「二の鳥居」をくぐります。この前にも“狛犬”が鎮座しています。なお、お正月には、この参道には露店が建ち並びます。
次は「三の鳥居」をくぐります。こちらにも“狛犬”が鎮座していますが、この鳥居の前の左手に注目です。
末社「伴氏社(ともうじしゃ)」で、この鳥居の足元が「京都三珍鳥居」と呼ばれる由縁です。台座に蓮弁が刻まれおり、鎌倉時代の作だそうです。
1587年(天正15年)、豊臣秀吉が秋に開催した「北野大茶湯」を記念して建てられた石碑と、その時に茶の水を汲んだとされた「太閤井戸」が残っています。
この三の鳥居をくぐると、いよいよ今日来た目的の「楼門」が見えてきます。その両脇には「神牛像」が。北野天満宮では全部で20体も奉られています。
このとき8時30分頃で、まだ境内は空いてました。それでこの大絵馬もゆっくり撮影できました。
この楼門には、「随神像」が祀られています。この日はスマホで撮影しているので、隋神像上手く撮れてないですね。
楼門をくぐると右手に「手水舎」があって、ここで手と口を清めました。この時間では空いてます。
楼門の裏に昨年もあったように人形が飾られています。普段は見ないので、お正月の期間だけでしょうね。
参道は、ここで曲がっており、その先には「三光門」が建っています。この門をくぐると、いよいよ菅原道真公が祀られている本殿があります。
三光門をくぐると本殿がありますが、何処のTV局が分かりませんが、撮影に来られてました。そんなの気にしないで、私は誰も居ない拝殿前で参拝しました。
私も受験の時、親に連れられてお参りにきました。お正月は大変な人で、お参りも行列は必至です。交通規制もされるので、昼からだと近寄ることも困難です。
撮影の邪魔にならないように・・・こちらは拝殿前の「飛梅」です。飛梅伝説・・・道真公が流罪となった後、道真公を慕う屋敷内にあった庭木の梅の木・桜の木・松の木のうち、桜の木は悲しみのあまり枯れてしまい、松の木は空を飛びますが途中で力尽き摂津国八部郡板宿で根を下ろした。梅の木だけは主人のいる太宰府まで飛んで行き、そこで根を下ろした・・・と。
帰りに、もう一度「三光門」によって、「天神さんの七不思議」を探しました。このことは覚えてましたが、肝心の「星欠けの三光門」伝説を探すことができませんでした。
あとは、境内北西角にある「牛社・絵馬掛所」によりました。毎年10万枚以上の絵馬が奉納されるとか。
本殿裏にある「御后三柱(ごこうのみはしら)」に忘れず参拝しました。北野天満宮では拝殿で、天神様をお参りして、そして本殿の裏に回って御后三柱(天神様のご先祖)をお参りするのか常だったことを覚えてました。
北野天満宮より歴史がふるい「地主神社」にも寄りました。祭神は、天地すべての神々「天神地祇」が祀られています。
あと、境内の正月風景を探しながら楼門まで戻り、表参道からここを出て行きました。
これでお正月の記事はひとまず置いて、次の7日(火)から“まるごと美術館”の記事に戻ります。
【北野天満宮】
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