2020年(令和2年) 京都十六社 朱印めぐり わら天神宮へ
2020年(令和2年) 京都十六社朱印めぐりも残り6社となりました。昨日の疲れも残る1月10日(金)は、朝に2社、夕方に1社訪問する予定にしていましたので早速朝から回ります。
先ずはわら天神宮で、車で出発し西大路通りに面して建つ神社の北側に小さな駐車場があり、そこに止めます。9時55分に着きましたが、まだ1台も止まってなくて良かったです・・・と言うのは、ここは狭いからです。
駐車場にあった案内版です。西大路通り沿いにある駐車場には4台しか止められません。わら天神宮の南側・・・“はま寿司 金閣寺店”の北側にある駐車場は広いです。
西大路通り沿いにある大きな社標には「敷地神社(しきちじんじゃ)」と書かれています。それが正式名称で、、通称の「わら天神」で広く知られています。
西大路通り沿いの大鳥居をくぐって、境内に入ります。参道は西に進み、それから北に向きを変えます。そこには「二の鳥居」がたっており、それをくぐると左手に「手水舎」があります。
手水舎の向かいが社務所ですが、朱印はあとにします。先に本殿に向かいます。
石段を上がって「本殿」でお参りです。御祭神は、木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)で、御利益は安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就でした。
次に右横に移動します。こちらには「六勝稲荷(ろくしょういなり)神社」で、御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛でした。
次に、その右奥に移動します。こちらは「八幡神社」で、鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀され、1907年(明治40年)ここ衣笠の地に建立されました。御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神(ひめのおおかみ)で、御利益は、開運厄除、そして武家の守護神としての“必勝”です。
次に本殿の背後を回り込んで西側に移動します。こちらは「大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)」で、御祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ)で、御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は「わら天神」の御祭神である木花開耶姫命の父神にあたります。
最後は、「綾杉明神」で、樹齢千百年に及ぶ神木綾杉が、1896年(明治29年)の暴風で倒壊したそうです。そのため幹から2㍍の高さを残し、ここに祀られています。
境内には、参拝者が常に誰かが来られています。ガラガラでは無かったですね。最後に、ここの社務所によって御朱印をいただきました。
今年から「京都十六社朱印めぐり」の御朱印が変わりました。最初の豊国神社に朱印帳をいただいたときは「あれっ」と思い思わず「変わったんですか?」と聞いてしまいました。
最近、出掛けると雨降りに出会すので、このように天気が良いのは珍しいです。何より朱印帳が濡れるのを気にしないで済みのが良いです。
ここには、10時4分に出て行きました。駐車したとき、後ろ向きに車を入れたので、交通量の多い西大路通りに出るときスムーズに出られます。車は西大路通りを北に向いて走らせました。
【わら天神宮】
先ずはわら天神宮で、車で出発し西大路通りに面して建つ神社の北側に小さな駐車場があり、そこに止めます。9時55分に着きましたが、まだ1台も止まってなくて良かったです・・・と言うのは、ここは狭いからです。
駐車場にあった案内版です。西大路通り沿いにある駐車場には4台しか止められません。わら天神宮の南側・・・“はま寿司 金閣寺店”の北側にある駐車場は広いです。
西大路通り沿いにある大きな社標には「敷地神社(しきちじんじゃ)」と書かれています。それが正式名称で、、通称の「わら天神」で広く知られています。
西大路通り沿いの大鳥居をくぐって、境内に入ります。参道は西に進み、それから北に向きを変えます。そこには「二の鳥居」がたっており、それをくぐると左手に「手水舎」があります。
手水舎の向かいが社務所ですが、朱印はあとにします。先に本殿に向かいます。
石段を上がって「本殿」でお参りです。御祭神は、木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)で、御利益は安産、子授け、家内安全、災難厄除、開運必勝、心願成就でした。
次に右横に移動します。こちらには「六勝稲荷(ろくしょういなり)神社」で、御祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、御利益は、開運必勝、試験合格、商売繁盛でした。
次に、その右奥に移動します。こちらは「八幡神社」で、鎌倉の鶴岡八幡宮から分祀され、1907年(明治40年)ここ衣笠の地に建立されました。御祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神(ひめのおおかみ)で、御利益は、開運厄除、そして武家の守護神としての“必勝”です。
次に本殿の背後を回り込んで西側に移動します。こちらは「大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)」で、御祭神は、大山祇神(おおやまつみのかみ)で、御利益は、海上守護、農業守護、鉱山守護だそうです。大山祇神は「わら天神」の御祭神である木花開耶姫命の父神にあたります。
最後は、「綾杉明神」で、樹齢千百年に及ぶ神木綾杉が、1896年(明治29年)の暴風で倒壊したそうです。そのため幹から2㍍の高さを残し、ここに祀られています。
境内には、参拝者が常に誰かが来られています。ガラガラでは無かったですね。最後に、ここの社務所によって御朱印をいただきました。
今年から「京都十六社朱印めぐり」の御朱印が変わりました。最初の豊国神社に朱印帳をいただいたときは「あれっ」と思い思わず「変わったんですか?」と聞いてしまいました。
最近、出掛けると雨降りに出会すので、このように天気が良いのは珍しいです。何より朱印帳が濡れるのを気にしないで済みのが良いです。
ここには、10時4分に出て行きました。駐車したとき、後ろ向きに車を入れたので、交通量の多い西大路通りに出るときスムーズに出られます。車は西大路通りを北に向いて走らせました。
【わら天神宮】
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