織田信長が足利義昭のために築城した旧二条城跡へ
新型コロナウイルスが問題になって、世間ではあらゆることが自粛となっています。我が社も会議は集合ではなく電話会議に、送別会の禁止、通勤時のマスク着用、不要不急の外出はしないようにと申し合わせがありました。そこまですることは・・・と思いますが、この時期は私にとっては天敵の花粉が最盛期を迎えており、例年外出は控えます。そこで、こんなネタでも思い撮りだめしていたものをアップします。
ある日、京都御所の西側、室町通りを南に向かって歩いていくと、下立売通りにさしかかったときにある石碑を見付けました。そこには「旧二条城跡」と書かれていたので案内文を興味深く読みました。
地図も書かれていて、案内文の通り結構大きな城郭のようです。1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)に行われた地下鉄烏丸線の工事に先立つ発掘調査で石垣の一部が発見されたようです。
1569年(永禄12年)に織田信長が、室町幕府15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390㍍四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの記録より)その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王(さねひとしんのう)を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。1576年(天正4年)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材として再利用された。なお、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の将軍の居館として、1602年(慶長7年)に築かれた。
現在、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀が主役ですが、織田信長も当然登場するので、ここも紹介されるかも知れませんね。
【旧二条城跡】
ある日、京都御所の西側、室町通りを南に向かって歩いていくと、下立売通りにさしかかったときにある石碑を見付けました。そこには「旧二条城跡」と書かれていたので案内文を興味深く読みました。
地図も書かれていて、案内文の通り結構大きな城郭のようです。1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)に行われた地下鉄烏丸線の工事に先立つ発掘調査で石垣の一部が発見されたようです。
1569年(永禄12年)に織田信長が、室町幕府15代将軍・足利義昭の将軍座所(居城)として、この石碑を中心に、約390㍍四方の敷地にほぼ70日間の短期間で、二重の堀や三重の「天主」を備えた堅固な城を築いた。周辺からは金箔瓦も発掘されており、急ごしらえにしては、四方に石垣を高く築き、内装は金銀をちりばめ、庭は泉水・築山が構えられた豪華な城郭であったと推測される。(ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスの記録より)その後、信長は旧二条城から義昭を追放し、東宮誠仁親王(さねひとしんのう)を迎え入れ、城は「二条御所」として使われていたが、室町幕府の滅亡に伴い廃城となった。1576年(天正4年)に旧二条城は解体され、安土城築城に際し建築資材として再利用された。なお、現在の二条城は、徳川家康によって上洛の際の将軍の居館として、1602年(慶長7年)に築かれた。
現在、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀が主役ですが、織田信長も当然登場するので、ここも紹介されるかも知れませんね。
【旧二条城跡】
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