第54回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 三時知恩寺へ

朝に金閣寺に行ったあと、午後は母を病院に連れていきました。ただ待ち時間が長いので、その間に私は、地下鉄を利用して、第54回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開で公開中の三時知恩寺に行きました。

最初に訪れたのは、2006年(平成18年)でした・・・が、まったく覚えていません。次に2013年(平成25年)の第47回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開に来てるので、7年振りの訪問です。

今日の目的はただ一つ、スタンプラリーのスタンプがあと一カ所残っていたからで、スタンプを押してもらうためでした

IMG_1102.jpgIMG_1101.jpgIMG_1099.jpg13時53分に「山門」をくぐりました。表からみえませんでしたが、バスガイドさんが立っていたので、堂内に団体さんがいることは察しがつきました。

靴を袋に入れて上がると、受付で拝観料600円を納めます。そして忘れずにスタンプを押してもらったので、これで2枚スタンプが貯まったので妻と一緒にお菓子を食べに行こうと思っています。前回は庭の撮影はOKでしたが、今回は堂内も庭園も撮影禁止でした。


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先ずは「本堂」に行くように案内されますが、7年振りに来たので忘れてます。案内にしたがって本堂に行くと、先客は一組2名で、私も一緒に話しを聞きました。ここではガイドを学生さんがされています。

室町時代に北朝第4代・後光厳天皇の皇女・見子(けんし)内親王が、伯父にあたる北朝第3代・崇光天皇の旧御所・入江殿を寺院に改めて創建されたため「入江御所」と呼ばれた浄土宗の尼門跡寺院です。室町幕府3代将軍・足利義満の息女、覚窓性仙尼(かくそうしょうせんに)が入寺し「知恩寺」と称しましたが、宮中で毎日行われていた六時勤行(ろくじごんぎょう)(一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時(みとき)(三回)の勤行は、この寺で行うように第104代・後柏原天皇の勅命により「三時知恩寺」と改められました。明治維新まで代々皇女や摂関家の姫君が入寺されていた尼門跡寺院です。

本堂は、1788年(天明8年)の「天明の大火」により焼失してしまいますが、大徳寺山内にあった学問所を移築したものです。本堂の内陣中央には「善導大師像」がご開帳されていました。2010年(平成22年)の解体修理により、1596年(文禄5年)に仏師によって作成されたことが分かりました。この善導大師像は、毎年3月14日の善導忌のみご開帳されています。

また、堂内右側には三時知恩寺とゆかりの深い五摂家の筆頭である近衛家によって紙で造られた仏像が祀られていました。次に堂内左側の寺宝についての案内です。

34-2aaa.jpg江戸時代初期・京狩野の絵師・狩野永納(狩野永徳のひ孫)によって描かれた「四季花鳥図屏風」は、梅・桜・椿・木瓜とその木に戯れる鳥も描かれています。

あと、「涅槃図」や「妖怪絵巻」(江戸時代作)など見せてもらい次の書院へと向かいました。

CIMG1400.jpgCIMG1407.jpgその前に、庭園です。今回は撮影禁止のため前回の写真です。庭園は「蓬莱の庭」と呼ばれ、仙人の住む神仙島を表した枯山水庭園となっています。

34-4.jpg最初に案内されたのは書院「一の間」で応接間として使われていた部屋です。襖絵は「源氏絵扇面貼交襖(げんじえせんめんはりまぜふすま)」といい、源氏物語の様々な場面が扇の面に描かれたものを襖に貼付たものです。

次に「三の間」に移動します。こちらは武士が寝泊まりした部屋です。襖絵は円山応挙が描いた「魞魚図」で、比叡山と琵琶湖が描かれ、そこには魚を追い込んで漁をする“魞魚”の風景が・・・こちらは現在でも行われているので、湖西線から見えるそうです。また、手前の杉戸絵には亀が描かれていますが、裏に回ると“二の間”には鶴が描かれています。鶴と亀・・・大変縁起が良い杉戸絵ですね

IMG_1097.jpgIMG_1098.jpgIMG_1100.jpgここには14時13分に出ていきました。今回、庭の写真がNGであったのは残念でしたね、来年の3月14日の善導忌は多分行かないでしょう・・・無料では入れるようですが・・・。

【三時知恩寺】

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