梅が咲く車折神社へ
2月14日(金)は、梅が咲いてると聞いたので車折神社に行きました。ただ所用のついでに寄っただけなんですけどね。
嵐電車折駅の前にある「北鳥居」から裏参道を通って「北門」をくぐり入りました。このとき7時46分で、境内は通勤通学の人が行き来されるなか奥へと進んでいきます。
最初に見るのが「地主神社」で、御祭神が嵯峨天皇です。ここにはかつて柳鶯寺があって、嵯峨天皇が行幸されたことに因み、祀られましたが、柳鶯寺が廃寺となったため、車折神社の境内に移し、地主の神さまとして祀られることになりました。
次に、1473年(文明5年)に創建の「滄海(そうかい)神社(辨天神社)」があります。御祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、「金銀財宝」や「幸福」を授けて下さる女神様だそうです。
裏参道の終わりに鳥居があって、その手前に車折神社では有名なパワースポットがあります。「清めの社」といい、石をモチーフにした円錐形の立砂が盛られています。不思議なパワースポットがあるそうです。
その向かいには正面に見えているのが「天満天神社(そらみつあまつかみのやしろ)」で、御祭神は天満大神(雷除け、園芸、農業の神様)です。また南に向いて「神明神社」で、御祭神は天照大神でしょう。
せっかく車折神社に寄ってきたのでお参りは済ませます。先に「手水舎」によりました。
本殿のこのエリアには誰も居ません。通勤通学の人は忙しく行きすぎて足早に去っていきます。そのなかで私は先に枝垂れ梅を見にいきました。
今年は暖冬の影響で咲くのも早かったので散るのも早いようです。この「紅枝垂れ梅」は綺麗に咲いててくれてました。
「本殿」前の拝所にてお参りは済ませました。この拝殿の天井は「花天井」で、画家・山口玲熙(やまぐちれいき 1894~1979)師の作品です。御祭神は、清原 頼業(きよはらのよりなり)です。
「本殿」は拝所の奥にあって、1752年(宝暦2年)の造営で、入母屋造・銅板葺総檜造の建物。2014年(平成26年)に全面改修工事が行われました。
本殿右側から回り込んで裏手に回るとそこには、日本の全ての神様をお祀りしている「八百萬神社」があります。いつも私はここもお参りしています。
殿の前には「祈念神石」が奉納されています。この石によって願いが成就された方が奉納されたものです。
本殿のエリアを出ると正面に「社務所」がありますが、まだ早朝のため開いてません。ここで御朱印なんかいたたげます。
このあと表参道を下がっていくと、春には見事な花を咲かせる「溪仙桜」が見えてきます。少し早咲きかも知れませんね。
1928年(昭和3年)から始められた「三船祭」は車折神社のお祭りです。その船遊び使われる「鷁首(げきす)」と「龍頭」がガラス越しで見られます。
この先に、車折神社でもっとも有名な「芸能神社」があって、この時間では居ませんが修学旅行生がわざわざお参りに来られます。御祭神の天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が祀られており、芸能・芸術上達を皆さん祈願されます。
早朝で誰も居ないと安心しきってたら、どこから若い女性の集団が、この「朱塗りの玉垣」を見にこられてました。やっぱり好きな芸能人を探しては早朝やのに賑やかこと・・・参考までに、この玉垣は、2年間で13000円、どなたでも奉納できます。
その向かいにあにあるのが「清少納言社」です。御祭神は、車折神社の御祭神である清原頼業と同族である清少納言です。清少納言は、第66代一条天皇の中宮として仕えた才女で、"才色兼備"のあやかりたい・・・と親しまれてるそうです。
さらに奥に進むと「祖霊社」があります。御祭神は、車折神社歴代の神職と信徒総代であった方、または功績のあった方々が祀られています。
表参道から見えない境内の片隅にある石碑は、「車折神社碑」といい、この車折神社の宮司であった富岡鉄斎筆によるものです。
このエリアの最後は、「葵忠社(きちゅうしゃ)」です。御祭神は、福田理兵衛で、嵯峨村の総年寄りとして、村人から信頼を集めていた材木問屋だそうです。長州藩に財産・自分の命・家族までも捧げた勤皇商人でした。そして維新の功績により従五位が贈られ福田邸内に祀られあと、現在地に移されました。
ここで、いったん表参道を外れます。東側の駐車場に出てみることに・・・そこには何社か末社があるためですが・・・。
鳥居の足元には石碑があって、文字が読みにくいので何とも言えませんが「関西舞踏会の発展にかかわる各流の活躍を祝う」とあります。
こちらは「筆塚」です。近代日本画家で有名な富岡鉄斎が、生前に用いた筆が2、000本以上納められてるとか。
その右隣には「小唄堀派祖霊社」があって、右横の石碑には歌詞が書かれているようでした。
向かいに移動して南側から・・・「辰巳稲荷神社」です。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、古来より五穀豊穣の神様として親しまれてます。神号は、御本社が辰巳の方向にあるためだとか。
このエリア最後が「大国主神社」で、1957年(昭和32年)に創建されました。御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
また、表参道に戻って、「第三鳥居」をくぐります。すると三条通りにあった大鳥居が無くなっているのが分かるかと思います。
最近、この通りを3日ほど通行止めにして大鳥居を撤去されました。解体大修理かと思ってるんですけど、何も境内に書いて無いので、ほんまに撤去されたのかも知れません。何年か前に観光バスに壊された第二鳥居は石鳥居でしたが、こちらも再建されないようですね。第三鳥居から三条通りを見ても、今は鳥居の面影はありません。
鳥居をくぐり、その先にあるのが「水神社(すいじんじゃ)」で、かつてこの辺りに大堰川が流れていたことに由来します。御祭神は、罔象女神(みずはのめのがみ)といい水の神様です。前途した大堰川の氾濫を鎮めるために祈願されたようです。
向かいにあるのが「愛宕神社」です。御祭神は、愛宕大神です。ここから遠く北西に聳える愛宕山の山頂に鎮座するのが愛宕神社の総本社で防伏・防火の神様で知られています。
境内を出てから振り向いて社号標を撮りました。この辺りに、かつて第二鳥居がありました。何年か前に観光バスによって、大爆音とともに崩れ去りました。
今日は梅が咲いていましたが、次は桜の時期にでも寄りたいと思います。
【車折神社】
嵐電車折駅の前にある「北鳥居」から裏参道を通って「北門」をくぐり入りました。このとき7時46分で、境内は通勤通学の人が行き来されるなか奥へと進んでいきます。
最初に見るのが「地主神社」で、御祭神が嵯峨天皇です。ここにはかつて柳鶯寺があって、嵯峨天皇が行幸されたことに因み、祀られましたが、柳鶯寺が廃寺となったため、車折神社の境内に移し、地主の神さまとして祀られることになりました。
次に、1473年(文明5年)に創建の「滄海(そうかい)神社(辨天神社)」があります。御祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、「金銀財宝」や「幸福」を授けて下さる女神様だそうです。
裏参道の終わりに鳥居があって、その手前に車折神社では有名なパワースポットがあります。「清めの社」といい、石をモチーフにした円錐形の立砂が盛られています。不思議なパワースポットがあるそうです。
その向かいには正面に見えているのが「天満天神社(そらみつあまつかみのやしろ)」で、御祭神は天満大神(雷除け、園芸、農業の神様)です。また南に向いて「神明神社」で、御祭神は天照大神でしょう。
せっかく車折神社に寄ってきたのでお参りは済ませます。先に「手水舎」によりました。
本殿のこのエリアには誰も居ません。通勤通学の人は忙しく行きすぎて足早に去っていきます。そのなかで私は先に枝垂れ梅を見にいきました。
今年は暖冬の影響で咲くのも早かったので散るのも早いようです。この「紅枝垂れ梅」は綺麗に咲いててくれてました。
「本殿」前の拝所にてお参りは済ませました。この拝殿の天井は「花天井」で、画家・山口玲熙(やまぐちれいき 1894~1979)師の作品です。御祭神は、清原 頼業(きよはらのよりなり)です。
「本殿」は拝所の奥にあって、1752年(宝暦2年)の造営で、入母屋造・銅板葺総檜造の建物。2014年(平成26年)に全面改修工事が行われました。
本殿右側から回り込んで裏手に回るとそこには、日本の全ての神様をお祀りしている「八百萬神社」があります。いつも私はここもお参りしています。
殿の前には「祈念神石」が奉納されています。この石によって願いが成就された方が奉納されたものです。
本殿のエリアを出ると正面に「社務所」がありますが、まだ早朝のため開いてません。ここで御朱印なんかいたたげます。
このあと表参道を下がっていくと、春には見事な花を咲かせる「溪仙桜」が見えてきます。少し早咲きかも知れませんね。
1928年(昭和3年)から始められた「三船祭」は車折神社のお祭りです。その船遊び使われる「鷁首(げきす)」と「龍頭」がガラス越しで見られます。
この先に、車折神社でもっとも有名な「芸能神社」があって、この時間では居ませんが修学旅行生がわざわざお参りに来られます。御祭神の天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が祀られており、芸能・芸術上達を皆さん祈願されます。
早朝で誰も居ないと安心しきってたら、どこから若い女性の集団が、この「朱塗りの玉垣」を見にこられてました。やっぱり好きな芸能人を探しては早朝やのに賑やかこと・・・参考までに、この玉垣は、2年間で13000円、どなたでも奉納できます。
その向かいにあにあるのが「清少納言社」です。御祭神は、車折神社の御祭神である清原頼業と同族である清少納言です。清少納言は、第66代一条天皇の中宮として仕えた才女で、"才色兼備"のあやかりたい・・・と親しまれてるそうです。
さらに奥に進むと「祖霊社」があります。御祭神は、車折神社歴代の神職と信徒総代であった方、または功績のあった方々が祀られています。
表参道から見えない境内の片隅にある石碑は、「車折神社碑」といい、この車折神社の宮司であった富岡鉄斎筆によるものです。
このエリアの最後は、「葵忠社(きちゅうしゃ)」です。御祭神は、福田理兵衛で、嵯峨村の総年寄りとして、村人から信頼を集めていた材木問屋だそうです。長州藩に財産・自分の命・家族までも捧げた勤皇商人でした。そして維新の功績により従五位が贈られ福田邸内に祀られあと、現在地に移されました。
ここで、いったん表参道を外れます。東側の駐車場に出てみることに・・・そこには何社か末社があるためですが・・・。
鳥居の足元には石碑があって、文字が読みにくいので何とも言えませんが「関西舞踏会の発展にかかわる各流の活躍を祝う」とあります。
こちらは「筆塚」です。近代日本画家で有名な富岡鉄斎が、生前に用いた筆が2、000本以上納められてるとか。
その右隣には「小唄堀派祖霊社」があって、右横の石碑には歌詞が書かれているようでした。
向かいに移動して南側から・・・「辰巳稲荷神社」です。御祭神は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、古来より五穀豊穣の神様として親しまれてます。神号は、御本社が辰巳の方向にあるためだとか。
このエリア最後が「大国主神社」で、1957年(昭和32年)に創建されました。御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)です。
また、表参道に戻って、「第三鳥居」をくぐります。すると三条通りにあった大鳥居が無くなっているのが分かるかと思います。
最近、この通りを3日ほど通行止めにして大鳥居を撤去されました。解体大修理かと思ってるんですけど、何も境内に書いて無いので、ほんまに撤去されたのかも知れません。何年か前に観光バスに壊された第二鳥居は石鳥居でしたが、こちらも再建されないようですね。第三鳥居から三条通りを見ても、今は鳥居の面影はありません。
鳥居をくぐり、その先にあるのが「水神社(すいじんじゃ)」で、かつてこの辺りに大堰川が流れていたことに由来します。御祭神は、罔象女神(みずはのめのがみ)といい水の神様です。前途した大堰川の氾濫を鎮めるために祈願されたようです。
向かいにあるのが「愛宕神社」です。御祭神は、愛宕大神です。ここから遠く北西に聳える愛宕山の山頂に鎮座するのが愛宕神社の総本社で防伏・防火の神様で知られています。
境内を出てから振り向いて社号標を撮りました。この辺りに、かつて第二鳥居がありました。何年か前に観光バスによって、大爆音とともに崩れ去りました。
今日は梅が咲いていましたが、次は桜の時期にでも寄りたいと思います。
【車折神社】
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