大河内 傳次郎が別荘として造営した大河内山荘へ
往年の大スター大河内 傳次郎が生涯をかけて造った大河内山荘・・・傳次郎が34歳の1931年(昭和6年)から64歳で逝去するまで約30年の歳月をかけて造ったのが大河内山荘です。
竹林の小経は人が一杯いたのに、ここに入る人は居ませんでした。ここで入園料1000円を払って久し振りの大河内庭園に入ります。

ここに来るのは2013年(平成25年)嵐山花灯路に行われたライトアップに行ったとき以来です。それ以前は紅葉時にも行った記憶がありますが随分前のことです。

庭園内を散策する前にさきに茶店に寄りました。ここでモナカのお菓子と抹茶をいただきます。天気も良かったし外の床几でいただきした。ただ店内から外国人観光客の集団が出てこられ先に茶店を出て行かれました・・・。

お菓子をいただいたあとは、先に出て行かれた外国人観光客を心配しましたが、どうも庭園を出て行かれたようで、私らの前には誰も居ないようです。それで庭園を案内するため先ずは「中門」をくぐります。
なお、この「中門」は、国の登録有形文化財に指定されています。そして少し小高い所にあるのが、この別荘で主たる建物である「大乗閣」で、こちらも国の登録有形文化財に指定されています。
石段を登り切ると、目の前に「大乗閣」が見えてます。内部は非公開のため入れませんが、スタッフの方が清掃作業中で・・・少々残念です。


内部には入れませんが、和風建築で、書院造り、宸殿造り、数寄屋造りとなっているようです。各様式の特性に応じ屋根形式や意匠に工夫を凝らした数寄屋師笛吹嘉一郎の代表作です。

次に石段を上がっていくと、遠くに比叡山が見えていました。今朝は冷え込んだ影響で各地で霧が発生しており、ここから見る京都市街地も幻想的な光景が見えました。
奥に進むと少しづつ登っていくと、途中で「織部灯籠」を見つけました。今日お連れしたお二人にも少しばかり案内して、さらに奥に進むと・・・。


次に現れた建物は、「持仏堂(国指定登録有形文化財)」です。案内によると、この大河内山荘は、この持仏堂を建てることから始まったということです。傳次郎は、撮影の合間に、ここで念仏や瞑想をされ映画造りや庭造りの芸術性を見いだしたといいます。
次に、冬場でも綺麗な苔を踏まないように飛び石を慎重に歩いていくと、その先に茶室「滴水庵(国指定登録有形文化財)」が見えて来ます。



数寄屋風の造りの茶室ですが、内部には上がれません。常に開けているためでしょうか、置物一つ無いのは殺風景ですね。掛け軸ぐらい欲しいものです
。
茶室「滴水庵」から、もくもくと登り続けると、平地に出ます。そこから大堰川の対岸にある「大悲閣」が見えていますが、ここからは残念ながら保津峡は見えません。

周りには誰も居ないので安心して見て回れます。ここより先は一本道で3人で奥に進むと「月香亭(展望台)」が見えて来ました。



ここから比叡山はもちろん、仁和寺の五重塔、双ケ岡、如意ヶ嶽の大文字、京都タワーが見えます。天気が良かったてら清水寺や伏見桃山城もみえるでしょう。霧がかかった光景にお二人も喜んでくれました
。

帰りは、ひたすら下りです。石段をどんどん下って行くと途中の十字路で外国人観光客の集団と出会いました。私ら3人で回っているときは誰も居なかったので本当に良かったです。



下まで降りてくると「大河内傳次郎資料館」にも寄りました。私より年上のお二人も傳次郎の名前は知ってるけど作品は知らないと言ってました。私も同じで作品は見たことがありません。
ここの「休憩所」に外国人観光客が座ってましたが、帰りに見ると居なくなっています。前途したとおり、日本人で来てるのは私ら3人だけのようでした。
ここには10時41分に出ていきました。少し高額な入園料のため、今日来たので3回目か4回目ぐらいです。何よりお二人が大変喜んでくれたのが本当に良かったです。
大河内山荘を出て、再び「竹林の小経」を通りますが、ここはますます人が増えてきています。この日は3人ともマスクをしているので少しは安心ですが、90%が外国人観光客の中を下っていくと、次の目的地につきました。
【大河内山荘】








なお、この「中門」は、国の登録有形文化財に指定されています。そして少し小高い所にあるのが、この別荘で主たる建物である「大乗閣」で、こちらも国の登録有形文化財に指定されています。
































大河内山荘を出て、再び「竹林の小経」を通りますが、ここはますます人が増えてきています。この日は3人ともマスクをしているので少しは安心ですが、90%が外国人観光客の中を下っていくと、次の目的地につきました。
【大河内山荘】
この記事へのコメント