矢取地蔵尊(矢負地蔵)へ

会社に出勤する前に、「矢取地蔵尊(矢負地蔵)」によりました。何度も、この前を通っていますが、ちょうど信号に引っかかったこともあって、写真に収めました。

IMG_2035.jpgIMG_2036.jpg扉は閉まっていますが、中は覗けるようになっていました。いつもは近所の方が、お参りに来られていますが、この日は誰も居なかったので写真を撮りました。

矢取地蔵尊の本尊は、石像で右肩に矢傷の跡が残っています。左手に錫杖(しゃくじょう)、矢を持ち、かつては矢負地蔵とも呼ばれました。824年(天長元年)、日照り続きで人々は飢えと渇きに苦しんでいた。そのため第53代・淳和天皇の勅命により、東寺の空海と西寺の守敏憎都(しゅびんそうず)が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。先に守敏が祈祷するも雨は降らず、対して空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。これにより守敏は空海を恨み、ついて空海を羅城門の近くで待ち伏せ矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたためめ、空海は難を逃れた。空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であっため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。現在の地蔵堂は
1885年(明治18年)に唐橋村の人々により寄進されたものです。


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この前が九条通りで、ここの信号が長いので、けっこうゆっくり出来ました

ここであまり長居はできないので、ここから会社に向かいました。スギ花粉が収束しましたが、最近はヒノキ花粉が出てきて、私はこちらの方が堪えます。涙と鼻づまり・・・辛いです・・・

【矢取地蔵尊(矢負地蔵)】

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