雨が降る二尊院に桜が咲く
京都も桜が見頃になりつつ3月27日(金)は、一日中雨降りでした。まだ満開前で桜が散ってしまう心配はないものの、新型コロナウイルスも怖いし・・・と思いつつ、雨の中二尊院に行きました。


冷たい雨が降り続くなか「総門」前に着きました。二尊院は、京都で屈しの紅葉の名所ですが、桜も綺麗なんですけど・・・。
総門をくぐると、前方の“紅葉の馬場”をお二人が傘を差して登っていかれてます。私は先ずは右手にある「拝観受付所」で拝観料500円を納めました。


その間に、前方のお二人は、登り切られたので、秋の紅葉では見事に真っ赤に染まる“紅葉の馬場”には誰も居ません。雨に煙る馬場をゆっくり登って行きます。
雨で足元が滑るのでゆっくり登っていくと、右手に句碑がありました。丸山海道「春深し 佛の指の 置きどころ」、丸山佳子「萩咲かす 二尊に触れて来し風に」とありました。

次に登り切る間際の左手にも句碑があって、高浜虚子「散り紅葉 ここも掃きゐる 二尊院」と書いてありました。

何度か来てるので本堂には迷わずに行けます
。こちらは「黒門」ですが、ここはくぐりません
。

“黒門”の先にある、唐破風の「勅使門」をくぐりました。正面に「本堂」が見えているので、そちらに向かいます。
堂内に上がる前に、こちらにも句碑がありました。藤原定家「しのばれむ ものとはなしに 小倉山 軒端の松ぞ馴れ 久しき」とありました。
こちらの句碑は、藤原忠平貞信「小倉山 峯のもみじ葉 心あらば 今一度の 御幸またなん」で、奥は「右近の橘」で、黄色い実がなっていました。

「本堂」には、釈迦如来と阿弥陀如来の二尊が祀られていますが堂内に入れないので、望遠で撮りました。でないと肉眼ではギリギリ見えるかどうかです。

次に、本堂の南側に行くと、“鹿威し”の音が聞こえますが綺麗な枯山水庭園を見ても姿が見えません。さらに、その南には茶室「御園亭」がありますが、秋の紅葉時などを除き非公開です。
案内では第108代・後水尾天皇と東福門院(徳川和子)の息女賀子内親王の御化粧間だった部屋が、1697年(元禄10年)に移築されたものです。いちど入って見たいですね。あの“鹿威し”の姿も・・・。

本堂の西側・・・以前は、行けませんでしたが、何時の頃より裏側にも行けるようになりました。そこには「六地蔵菩薩」が斜面沿いに安置されています。


また、堂内の正面に戻ってきてたら「角倉与一翁像」があるのに気づきました。そして以前は南側に置いてあった「駕籠」も北側に移動してました。2016年(平成28年)の大修理のときに替えられたのでしょう。


雨が降って、足元が滑るので少々怖かったけど、この急な石段を登ることにしました。途中に「しあわせの鐘」と名付けられた鐘楼がありますが、ここから一気に振り向かず登ります。


汗が噴き出すなか石段を登り切ると正面に「湛空廟」があって、内部には石碑が祀られており、二尊院で教えを広めた僧、湛空上人の碑が納められています。

次に思い切って「時雨亭跡」まで行ってみます。この案内板にも書いてありますが、ここから約100㍍足元が悪いんです。それに何より獣道・・・雨が降っているのでより一層怖いです。

「湛空廟」から歩いて約2分で「時雨亭跡」に着きました。余談ですが、“時雨亭跡”は他にも、常寂光寺や厭離庵などにもあります。どれが本当かは誰にも分かりません
。



ここから京都市街地を展望できます。ただ雨が降っているので見通しは悪いです、ベンチもありますが雨に濡れているので座れません
。
ここは、誰も来ないので静かです。ただ何が出てくるか分からない恐怖もあるので早急に今きた道を引き返すことにしました。

時雨亭跡あと、直ぐに引き返し「湛空廟」前まで戻ってきました。ここから石段を下らず墓地を散策します・・・すると、向こうからマスクをしてない外国人観光客のお二人とすれ違うことに・・・。
傘をさしているので、そんなに詳しくは見られませんが、案内版があるところだけ見ていきました。最初は「三條西家のお墓」で、右から「三條西実隆'さんじょうにしさねたか)」「三條西公条」「三條西実枝」でした。室町時代から戦国時代、安土桃山時代にかけての公卿・歌人のようです。
こちらは、江戸時代初期の数学者の「吉田光由のお墓」で、京都の豪商角倉家の一族だそうです。私は名前知りませんでした。
以前来たときは、名前が書いてあったのに、この日は無くなってました。昔の写真から左が「角倉了以の墓」その隣が妻の墓。その横が長男「角倉素庵の墓」その横が妻の墓でした。
この墓地から下っていくには石段ではないので、雨降りのため本当に滑ります。慎重に降りて来たところに田村家の墓の案内があったので寄りました。
阪東妻三郎さんと田村高廣さんの墓を通って、やっと下に降りてきました。最初の急な石段を登ってきましたが、誰も来られ無かったのと、途中で出会った外国人観光客の2名だけでした。
降りて来たら、「八社宮」がありました。伊勢神宮・松尾大社・愛宕神社・石清水八幡宮・熱田神宮・日吉神社・八坂神社・北野天満宮の八社を祀っています。
この辺りに咲いてた、綺麗な桜を撮りました。まだ背丈が低いので、何年かしたら立派な枝垂れ桜になることでしょう。
本堂前に戻ってきて「小倉餡発祥之地」と書かれた石碑がありました。石碑の裏に長々と由緒が書いてありますが・・・。
先程、急な石段を登りましたが、その右横には「角倉了以像」があったで帰りに寄りました。私財を投じて、ここから近くを流れている大堰川や高瀬川を私財を投じて開削した人物で知られています。

次に「弁天堂」によりました。石段を登る前でも行けましたが、お一人がお参りされていたので、ここも帰りに寄ることにしたんです。堂内には九頭龍大神・宇賀神が祀られています。

最後に、本堂の北側にある「御霊屋」に寄りました。ここは本堂に上がったときに上から撮れましたが、忘れてました
。
こちらは二尊院で有名な「二尊院普賢象桜」で、いつもなら4月中旬頃に咲く枝垂れ桜です。この日はまだ蕾でした。一度咲いた頃に見てみたい桜です。
こちらにも句碑があって、右から「よろずはの春秋かけて たまごむる筆のあと とわにあらんとおもへど」(信綱)、「溪仙の墓をもとめて 言葉なくわれら のぼりゆく落葉のみちを」(勇)、「ここにしてきみがゑがける みやうわうの ほのほのすみのいまだかわかず」(秋艸道人)と書かれています。

雨は止みませんでしたが、石段を登ったので、体中から汗が噴き出しています。紅葉時にしか行かない二尊院でしたが、桜も楽しめました。
天気予報の通り、雨は止みそうにないので、この日はこれだけで帰りました。
追記、4月13日から、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、一般拝観を休止されています。
【二尊院】




総門をくぐると、前方の“紅葉の馬場”をお二人が傘を差して登っていかれてます。私は先ずは右手にある「拝観受付所」で拝観料500円を納めました。


















案内では第108代・後水尾天皇と東福門院(徳川和子)の息女賀子内親王の御化粧間だった部屋が、1697年(元禄10年)に移築されたものです。いちど入って見たいですね。あの“鹿威し”の姿も・・・。




























阪東妻三郎さんと田村高廣さんの墓を通って、やっと下に降りてきました。最初の急な石段を登ってきましたが、誰も来られ無かったのと、途中で出会った外国人観光客の2名だけでした。









こちらは二尊院で有名な「二尊院普賢象桜」で、いつもなら4月中旬頃に咲く枝垂れ桜です。この日はまだ蕾でした。一度咲いた頃に見てみたい桜です。



天気予報の通り、雨は止みそうにないので、この日はこれだけで帰りました。
追記、4月13日から、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、一般拝観を休止されています。
【二尊院】
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