大覚寺 大沢池エリアへ
大覚寺のお堂を出て、次にむかったのが、3月16日から通年で有料となる大沢池エリアです。
大沢池に入る入口に、拝観受付所が工事されていました。春の桜と秋の紅葉時には有料でしたが、通年では支納方式で、皆さんを始め、私もスルーして入っていました。
入口から入って、すぐの右手に石碑があります。これは「女性勤王派津崎・村岡碑」です。
その先の石碑には「名勝 大沢池 名古曽の瀧址」と書かれています。大沢池は、中国の洞庭湖を模して造られた日本最古の園池です。
まもなく大沢池の周りはソメイヨシノが咲き誇り大変綺麗です。それを思いながら、お堂エリアでみた「観月台」までやって来ました。
この先に「五社明神」があって、有料エリアでも“通行証”を貰えば、ここまでは入れるそうです。
「五社明神」は帰りに寄ることにして、先に大沢池の奥に行ってみます。ここは9時に鍵を開けられ入れます。
ほどなく歩くと、ビューポイントがあって、放生池越えで奥の心経宝塔を捉えます。あとで、こちらのエリアも散策します。
そのまま奥に歩いていくと、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」があって、何気なく右手をみると「天神島」に架かる橋が・・・。
2018年(平成30年)9月4日に、台風21号が通過した京都府内各地で暴風が吹き荒れ、最大瞬間風速は戦後最大の39・4㍍を記録。京都市内の神社・お寺では倒木により甚大な被害を受けました。ここ大覚寺大沢池エリアでも、天神島は長らく通行止めでしたが、この日来てみて、開通されていたので驚いた次第です。
私は、多分・・・2017年(平成29年)以来でしょう、ここに来るのは・・・久し振りにこれました。今日、大沢池に来て良かったです。
天神島の中央には、菅原道真公をお祀りする祠があります。この島が天神島と呼ばれるのは、このためだったんですね。
台風21号の被害で、無残な姿になった「椎の御神木」です。長い間、ここが立入禁止だったことが分かります。
また、こちらの石碑には「いけばな発祥地」と、「嵯峨天皇詠碑」があって、嵯峨天皇と弘法大師空海との深い親交を物語っています。嵯峨天皇が高野山に帰っていく空海をいつまで見折っている情景を詠んだ歌です。
天神島から、久し振りに見る「菊ケ島」と「庭湖石」です。大沢池の北岸からはよく見えないので、ここから見えて良かったです。
大覚寺のお堂で見た拝観者も、大沢池に来ていたようでしたが、ここにはここには来られ無かったようですね。勿体ない・・・。
それで、最後にこちらの石碑に寄りました。手前が「茶筅塚」「嵯峨碑」で、華道の先達への慰霊碑だそうです。
久し振りの「天神島」を、さっと見て回り再び朱塗りの橋を渡って、ここを出て行きました。
先程みた「石仏群」と「護摩堂」です。こちらのエリアは後程散策することにして、次の“名勝”を目指すことにしました。
この先には「名古曽滝跡」があるので、桜と楓が交互に植わっている並木を進みます。途中に「梅林」があって、見てみましたが、少し咲いている程度でした。もう殆ど終わっています。
ほどなく歩くと「紀友則詠碑」がありました。文字は掠れて殆ど見えませんが、紀友則は平安時代の歌人であり、三十六歌仙の一人で紀貫之の従兄弟にあたります。
ここからは芝生を敷き踏めて進みます。春らしくタンポポも咲いてて撮ってみました。名勝「名古曽瀧跡」は、旧嵯峨院の旧滝殿邸内にあった滝で、現在は滝組だけが残っています。
次に、大沢池の東側からほぼ一周してみます。こちらの道も、長らく通行止めになっていたので、ここも久し振りです。
大沢池を眺めながら歩いていくと「臼井喜之介詠碑」がありました。案内版は、逆さまに倒れていましたが、内容が長いので・・・。
再び歩きだし、ほどなくして「鈴鹿野風呂詠碑」がありました。余談ですが、この辺りには以前、多くの野良猫がたむろしてましたが、長らく通行止めになっていたこともあって、一匹も見かけなかったです。
久し振りの大沢池一周の最後は「平田春一・島田保子詠碑」があって、大沢池は、ここまでです。
最後は、まもなく「拝観受付所」となる裏側に出てきます。そして船越英一郎さんのドラマで、度々出てきてた茶室「望雲亭」を撮って出ていきました。
帰りに寄る予定だった「五社明神」や「心経宝塔」辺りの散策は、今度拝観料を払って、また行きます。今日はこれで帰りました。
【大沢池】
大沢池に入る入口に、拝観受付所が工事されていました。春の桜と秋の紅葉時には有料でしたが、通年では支納方式で、皆さんを始め、私もスルーして入っていました。
入口から入って、すぐの右手に石碑があります。これは「女性勤王派津崎・村岡碑」です。
その先の石碑には「名勝 大沢池 名古曽の瀧址」と書かれています。大沢池は、中国の洞庭湖を模して造られた日本最古の園池です。
まもなく大沢池の周りはソメイヨシノが咲き誇り大変綺麗です。それを思いながら、お堂エリアでみた「観月台」までやって来ました。
この先に「五社明神」があって、有料エリアでも“通行証”を貰えば、ここまでは入れるそうです。
「五社明神」は帰りに寄ることにして、先に大沢池の奥に行ってみます。ここは9時に鍵を開けられ入れます。
ほどなく歩くと、ビューポイントがあって、放生池越えで奥の心経宝塔を捉えます。あとで、こちらのエリアも散策します。
そのまま奥に歩いていくと、鎌倉時代中期の作と思われる「石仏群」があって、何気なく右手をみると「天神島」に架かる橋が・・・。
2018年(平成30年)9月4日に、台風21号が通過した京都府内各地で暴風が吹き荒れ、最大瞬間風速は戦後最大の39・4㍍を記録。京都市内の神社・お寺では倒木により甚大な被害を受けました。ここ大覚寺大沢池エリアでも、天神島は長らく通行止めでしたが、この日来てみて、開通されていたので驚いた次第です。
私は、多分・・・2017年(平成29年)以来でしょう、ここに来るのは・・・久し振りにこれました。今日、大沢池に来て良かったです。
天神島の中央には、菅原道真公をお祀りする祠があります。この島が天神島と呼ばれるのは、このためだったんですね。
台風21号の被害で、無残な姿になった「椎の御神木」です。長い間、ここが立入禁止だったことが分かります。
また、こちらの石碑には「いけばな発祥地」と、「嵯峨天皇詠碑」があって、嵯峨天皇と弘法大師空海との深い親交を物語っています。嵯峨天皇が高野山に帰っていく空海をいつまで見折っている情景を詠んだ歌です。
天神島から、久し振りに見る「菊ケ島」と「庭湖石」です。大沢池の北岸からはよく見えないので、ここから見えて良かったです。
大覚寺のお堂で見た拝観者も、大沢池に来ていたようでしたが、ここにはここには来られ無かったようですね。勿体ない・・・。
それで、最後にこちらの石碑に寄りました。手前が「茶筅塚」「嵯峨碑」で、華道の先達への慰霊碑だそうです。
久し振りの「天神島」を、さっと見て回り再び朱塗りの橋を渡って、ここを出て行きました。
先程みた「石仏群」と「護摩堂」です。こちらのエリアは後程散策することにして、次の“名勝”を目指すことにしました。
この先には「名古曽滝跡」があるので、桜と楓が交互に植わっている並木を進みます。途中に「梅林」があって、見てみましたが、少し咲いている程度でした。もう殆ど終わっています。
ほどなく歩くと「紀友則詠碑」がありました。文字は掠れて殆ど見えませんが、紀友則は平安時代の歌人であり、三十六歌仙の一人で紀貫之の従兄弟にあたります。
ここからは芝生を敷き踏めて進みます。春らしくタンポポも咲いてて撮ってみました。名勝「名古曽瀧跡」は、旧嵯峨院の旧滝殿邸内にあった滝で、現在は滝組だけが残っています。
次に、大沢池の東側からほぼ一周してみます。こちらの道も、長らく通行止めになっていたので、ここも久し振りです。
大沢池を眺めながら歩いていくと「臼井喜之介詠碑」がありました。案内版は、逆さまに倒れていましたが、内容が長いので・・・。
再び歩きだし、ほどなくして「鈴鹿野風呂詠碑」がありました。余談ですが、この辺りには以前、多くの野良猫がたむろしてましたが、長らく通行止めになっていたこともあって、一匹も見かけなかったです。
久し振りの大沢池一周の最後は「平田春一・島田保子詠碑」があって、大沢池は、ここまでです。
最後は、まもなく「拝観受付所」となる裏側に出てきます。そして船越英一郎さんのドラマで、度々出てきてた茶室「望雲亭」を撮って出ていきました。
帰りに寄る予定だった「五社明神」や「心経宝塔」辺りの散策は、今度拝観料を払って、また行きます。今日はこれで帰りました。
【大沢池】
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