京都御苑の桜
3月31日(火)は、所用のため京都御苑近くに用事があったので、その前に桜を見てみようと思い寄ってみました。移動手段は地下鉄烏丸線を利用、今出川駅で降り、徒歩で京都御苑に烏丸通りから入りました。
京都御苑には「乾御門」から入りました。幕末の“禁門の変”では、ここを守る薩摩藩が、御所に侵入してきた長州藩を撃退したことで知られている門です。
乾御門を入ると、進路を北側に向けます。その北側には児童公園があるので、子供達が親に連れられ遊んでいるなか、目指すは“旧近衛邸跡”です。
天気は雨降も予報が出ていたので、曇っていたのは幸いでした。私も人混みは避けて、ここまで来ましたがこのぐらいの人出なら大丈夫でしょう。
そしてお目当ての「旧近衛邸」に着きました。ここには有名な見事な枝垂れ桜がありますが・・・既に終わってました・・・残念。
このテレビのニュース映像でみましたが、この柵の周りに誰も居ません。散って閉まったら、こんなもんです。早咲きで知られる枝垂れ桜ですので、ほぼ予想通りでした。
その近衛邸の南に目を移すと、綺麗な桜が見えました。早速移動して撮った一枚です。この桜を3名の方が写真を撮ってるぐらいで随分空いてます。
旧近衛邸の枝垂れ桜に比べたら見劣りしますが、こちらの枝垂れ桜も見事な満開でした。
場所は、南側に京都御所の塀が見えています。この前にベンチもあったので座って休憩しながら写真を撮ってました。そんなに長居はできないので次へと向かいます。
そして次に、少しだけ西に移動すると、こちらでは“山桜”が満開でした。こちらも見事で綺麗に咲き誇っていたので写真に収めました。
次に京都御所の西塀に沿って砂利道を歩いていくと、綺麗な桜と出会いました。余談ですが、京都御所は通常参観されてるんですね、私は時間が無いので入りませんでした。
3月1日~22日まで、京都御所「高御座」等の一般参観の予定でしたが、コロナウイルスの影響により延期(時期未定)となっています。
京都御所の西側を下っていくと、つぎに桜が咲いているまで行き、ここで写真を撮りました。
次に桜が見えてくるのは、“中立売御門”の近くにある「車返桜」です。ただ、ここでブルーシートを敷きお花見をされていたので全景は無理でした。
横でお花見されているので、遠慮して撮りました。室内ではないので安全かも知れませんが、大丈夫かなぁ・・・と思いました。1864年(元治元年)の禁門の変のときに、攻守の要地となったところ。そのため禁門の変のことを蛤御門の変ともよぶ。
広い京都御所の西塀を、どんどん下がって行きます。桜によっては既に散り始めており、やっぱり暖冬が影響しているのかも。
広くて大きな京都御所の南側にようやく出てきました。かつて、この辺りに清水谷家があって、樹齢300年のムクの大木が目立ちます。
ここから東を見ると、大の文字がくっきりと見えます。正面は五山の送り火で、最初に点火されてる如意ヶ嶽なんですよね。
西に目を向けると、こちらも歴史の舞台となった「蛤御門」が見えてます。1864年(元治元年)に、尊王攘夷を掲げる長州藩と、会津藩・薩摩藩を中心とする幕府勢力が、ここ京都御所で激戦したため、「禁門の変」や「蛤御門の変」と呼ばれています。
桜は、ここまでで、あと“桃林”や“梅林”を通って、「出水口」から京都御苑を出ました。
今日は、第二日赤病院に行く予定があったので、下立売通りを西に進むことにしました。途中に、平安女学院中学校・高等学校前を通ると綺麗に桜が咲いていたので撮りました。
京都府庁前まで来ると、角に「明治天皇御駐輦所合薬会社阯」なる石碑を見付けました。内容が分からなかったので、帰ってから京都市のHPで調べると・・・。
1877年(明治10年)、第122代・明治天皇の関西行幸が行われた。この行幸は西南戦争勃発のため長期化し、京都には1月28日~2月6日、2月16日~7月28日に滞在。2月1日には、合薬会社を視察した。京都合薬会社(アポテーキ)は、京都の薬業界が設立した薬局で、医師の処方箋による調剤を行った。この石標はその合薬会社跡を示すものである。
要するに、私は知りませんでした。ここから直ぐの第二日赤病院には時間前に着くことができました。
【京都御苑 旧近衛邸】
京都御苑には「乾御門」から入りました。幕末の“禁門の変”では、ここを守る薩摩藩が、御所に侵入してきた長州藩を撃退したことで知られている門です。
乾御門を入ると、進路を北側に向けます。その北側には児童公園があるので、子供達が親に連れられ遊んでいるなか、目指すは“旧近衛邸跡”です。
天気は雨降も予報が出ていたので、曇っていたのは幸いでした。私も人混みは避けて、ここまで来ましたがこのぐらいの人出なら大丈夫でしょう。
そしてお目当ての「旧近衛邸」に着きました。ここには有名な見事な枝垂れ桜がありますが・・・既に終わってました・・・残念。
このテレビのニュース映像でみましたが、この柵の周りに誰も居ません。散って閉まったら、こんなもんです。早咲きで知られる枝垂れ桜ですので、ほぼ予想通りでした。
その近衛邸の南に目を移すと、綺麗な桜が見えました。早速移動して撮った一枚です。この桜を3名の方が写真を撮ってるぐらいで随分空いてます。
旧近衛邸の枝垂れ桜に比べたら見劣りしますが、こちらの枝垂れ桜も見事な満開でした。
場所は、南側に京都御所の塀が見えています。この前にベンチもあったので座って休憩しながら写真を撮ってました。そんなに長居はできないので次へと向かいます。
そして次に、少しだけ西に移動すると、こちらでは“山桜”が満開でした。こちらも見事で綺麗に咲き誇っていたので写真に収めました。
次に京都御所の西塀に沿って砂利道を歩いていくと、綺麗な桜と出会いました。余談ですが、京都御所は通常参観されてるんですね、私は時間が無いので入りませんでした。
3月1日~22日まで、京都御所「高御座」等の一般参観の予定でしたが、コロナウイルスの影響により延期(時期未定)となっています。
京都御所の西側を下っていくと、つぎに桜が咲いているまで行き、ここで写真を撮りました。
次に桜が見えてくるのは、“中立売御門”の近くにある「車返桜」です。ただ、ここでブルーシートを敷きお花見をされていたので全景は無理でした。
横でお花見されているので、遠慮して撮りました。室内ではないので安全かも知れませんが、大丈夫かなぁ・・・と思いました。1864年(元治元年)の禁門の変のときに、攻守の要地となったところ。そのため禁門の変のことを蛤御門の変ともよぶ。
広い京都御所の西塀を、どんどん下がって行きます。桜によっては既に散り始めており、やっぱり暖冬が影響しているのかも。
広くて大きな京都御所の南側にようやく出てきました。かつて、この辺りに清水谷家があって、樹齢300年のムクの大木が目立ちます。
ここから東を見ると、大の文字がくっきりと見えます。正面は五山の送り火で、最初に点火されてる如意ヶ嶽なんですよね。
西に目を向けると、こちらも歴史の舞台となった「蛤御門」が見えてます。1864年(元治元年)に、尊王攘夷を掲げる長州藩と、会津藩・薩摩藩を中心とする幕府勢力が、ここ京都御所で激戦したため、「禁門の変」や「蛤御門の変」と呼ばれています。
桜は、ここまでで、あと“桃林”や“梅林”を通って、「出水口」から京都御苑を出ました。
今日は、第二日赤病院に行く予定があったので、下立売通りを西に進むことにしました。途中に、平安女学院中学校・高等学校前を通ると綺麗に桜が咲いていたので撮りました。
京都府庁前まで来ると、角に「明治天皇御駐輦所合薬会社阯」なる石碑を見付けました。内容が分からなかったので、帰ってから京都市のHPで調べると・・・。
1877年(明治10年)、第122代・明治天皇の関西行幸が行われた。この行幸は西南戦争勃発のため長期化し、京都には1月28日~2月6日、2月16日~7月28日に滞在。2月1日には、合薬会社を視察した。京都合薬会社(アポテーキ)は、京都の薬業界が設立した薬局で、医師の処方箋による調剤を行った。この石標はその合薬会社跡を示すものである。
要するに、私は知りませんでした。ここから直ぐの第二日赤病院には時間前に着くことができました。
【京都御苑 旧近衛邸】
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