794年(延暦13年)に建設した平安京の正門である羅城門跡へ
最近、NHKで黒澤明監督作品の「羅城門跡」が放送されてたのを、たまたまチャンネルを変えたら放送していたので、見てしまいました
。前も一度だけ見たことがあったので二度目でしたが、賛否あるかと思いますが、私は良かったです。映画ではボロボロの羅城門でしたが、現在は跡形も残っていません。

残っているのは、公園内にひっそり立っている石碑だけです。ここから北に朱雀通りがあったんですね。
ここは2014年(平成26年)にアップしてますが、この前は、度々通ってます。
794年(延暦13年)に建設した平安京の正門。東西4.5㌔、南北5.3㌔の平安京域中央部の南端に羅城門がそびえてました。北端の朱雀門と相対してました羅城門は正面33㍍、奥行8㍍、二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾を置いてました。羅城門の周囲には簡単な垣(土塁)と溝が設けられていたようです。816年(弘元7年)には大風により倒壊し、そのあと再建されましたが、980年(天元3年)の暴風雨で再び倒壊したあとは、再建されませんでした。11世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰ったとの記述が「小右記(しょうゆうき)」あり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿であったと思われています。発掘調査では、羅城門に関わる遺構はみつかっていませんが、東寺の木像兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財・京都国立博物館寄託)は、この門にあったものと伝わっています。
場所は、京都市南区の市バス羅城門すぐ。先般アップした矢取地蔵尊(矢負地蔵)の北側にあります。
【羅城門跡】




ここは2014年(平成26年)にアップしてますが、この前は、度々通ってます。
794年(延暦13年)に建設した平安京の正門。東西4.5㌔、南北5.3㌔の平安京域中央部の南端に羅城門がそびえてました。北端の朱雀門と相対してました羅城門は正面33㍍、奥行8㍍、二重閣瓦屋根造で棟両端に金色の鴟尾を置いてました。羅城門の周囲には簡単な垣(土塁)と溝が設けられていたようです。816年(弘元7年)には大風により倒壊し、そのあと再建されましたが、980年(天元3年)の暴風雨で再び倒壊したあとは、再建されませんでした。11世紀前半に藤原道長が法成寺造営のため、門の礎石を持ち帰ったとの記述が「小右記(しょうゆうき)」あり、この頃には門の礎石や基壇のみの姿であったと思われています。発掘調査では、羅城門に関わる遺構はみつかっていませんが、東寺の木像兜跋(とばつ)毘沙門天立像(国宝)や三彩鬼瓦(重要文化財・京都国立博物館寄託)は、この門にあったものと伝わっています。
場所は、京都市南区の市バス羅城門すぐ。先般アップした矢取地蔵尊(矢負地蔵)の北側にあります。
【羅城門跡】
この記事へのコメント