京都府下最大の前方後円墳 蛇塚古墳へ

4月7日に、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、大阪府、兵庫県及び福岡県の7都府県に「緊急事態宣言」が出されました。そして京都府は、4月10日に「緊急事態宣言」の対象地域に追加指定するよう政府に要請。その後、4月16日に「緊急事態宣言」が全国に拡大されました。西脇知事も「ぜひとも京都に来ないでいただきたい」と話されるほど緊迫した事態となっています。私は、土日の外出はしないようにして、平日の休みのときは、近場を散歩するだけにしました。

4月24日(金)、目的もなく歩くのはしんどいので、2010年(平成22年)9月18日から行ってない蛇塚古墳まで歩いていくことにしました。

IMG_3141.jpg久し振りに来ましたが、以外と道は覚えてました。住宅街の真ん中にあるので、昭和50年代前半でしょうか、初めて見たとき驚きました。

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IMG_3146.jpgIMG_3147.jpgIMG_3148.jpgIMG_3149.jpgIMG_3150.jpgIMG_3153.jpg後円部の石室は全長17.8㍍、玄室長6.8㍍、玄室幅3.9㍍、玄室床面積25.88㎡もある古墳を一周して撮りました。

IMG_3142.jpgここは京都市が管理しているので、申し込めば石室内に入れますが、このような時期ですので外からの見学だけにしました。

前途したとおり、昭和50年代前半では自由に石室内には入れたように記憶しています。ここの地名は太秦(うずまさ)で、古代中国から朝鮮半島を経由して日本にやってきた、秦一族が、この地で、織物を始め土木や建築技術を広めたと言われています。その秦一族の首長を埋葬したとか、秦一族の秦河勝(はたのかわかつ)の墓だと言われていていますが、詳しいことは分かっていません。

蛇塚古墳は、全国的にも有数の規模を誇る横穴式石室をもつ古墳で、古墳時代後期の7世紀頃に築造されたと考えられる前方後円墳。このころの太秦一帯は機織や高度な土木技術をもつ渡来系氏族の秦氏により大いに栄えており、蜂岡寺(廣隆寺)の創建や、後の平安京造営に際してその一翼を担うほどの勢力をもっていた。その秦氏一族の族長クラスの墓といわれる。はやくから封土は失われ、残存する石室の周囲には民家が建ち並んでいる状況。蛇塚の名称は、かつて石室内に蛇が多く棲息していたことに由来するといわれている。国指定史跡。

朝早く行きましたが、周りは住宅が建ち並んでいるので、長居はせず2周だけして帰りました。ここまで結構歩きましたが、帰りも歩いて戻ります。

【蛇塚古墳】

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