古代京都の聖地 木嶋坐天照御魂神社へ
朝に散歩して帰ってから、今度は車で出掛けます。この日は母の入院している病院の主治医から呼び出しがあって、そちらに向かうまでに、木嶋坐天照御魂神社に寄りました。
木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、通称の「蚕ノ社(かいこのやしろ)」か「木嶋神社(このしまじんじゃ)」で知られていますが、やっぱり蚕ノ社で有名です。近くの嵐電の駅名も「蚕ノ社」ですから。
住宅街の真ん中に、鬱蒼とした森が広がっています。旧二条通りに面して木造の「神明鳥居」が建っており、それをくぐって境内に入ります。
鳥居をくぐると北に真っ直ぐに伸びる参道を足早に歩いていきます。ここには2015年(平成27年)3月27日に来てました。
参道の突き当たりにあるのが「拝殿」です。途中には「社務所」や「祭具庫」はありました。前回もそうでしたが、ここの社務所は無人ですね。
拝殿を回り込んで、少し高い所にある「拝所」の前にでます。そして「本殿」は、その奥にあります。
御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の他、四柱の神・大国魂神(おおくにたまのかみ)・穂々出見命(ほほでみのみこと)・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祀る。創建は古く詳細は不明ですが、平安時代に書かれた「続日本紀(しょくにほんぎ)」という歴史書があって、西暦701年(大宝元年)4月3日の条に「木島社」という名前が出てくるので、創建は、おそらく平安時代以前、1300年以上の昔になると推定される。
本殿の西側には、末社の「八社」が見えますが、由緒書きが無いので詳細は分かりません。
この神社の通称は、「蚕ノ社」で知られていると先にお話しました。それは渡来人の秦氏との関係が深いです。秦氏は絹織物を日本に持ち込んだと言われています。それで蚕ノ社を建てて、蚕の神様をお祀りした・・・と。
本殿の東側に「東本殿」があって、「蚕養(こかい)神社」とも呼ばれ、蚕の飼育や機織りを掌る神様が祀られています。この社は、絹織物関係者のご参拝が非常に多かったので「蚕ノ社」と言う名前の方が有名になったのでしょう。
秦氏は、古代中国から朝鮮半島を経由して日本にやってきたと言われています。秦氏一族は、古代日本に織物を始め土木や建築、当時のハイテク技術をもたらし、日本に最新技術を伝えた、まさにハイテク集団でした。そして平安京の増築にも大きく貢献したとも伝わります。ここ蚕ノ社のある地名・・・太秦(うずまさ)と言いますが、この地名も、絹織物を"うずたかく"積んで天皇に献上したことから、天皇から「禹豆麻佐(うずまさ)」という性を与えられ、太秦という地名になったと言われています。
ここ、木嶋神社(蚕ノ社)では、もう一つどうしても外せないものがあります。嵐電に乗ったら車内アナウンスでも紹介されるものが・・・では、向かいます。
本殿を降りた右手には、元糺の池があって、柵の奥に見えているのが「三柱鳥居(みはしらとりい)」です。
三柱鳥居は、上からみると三角形になっている鳥居のことで、この鳥居があった所が、この元糺の森で、もっとも神聖な場所でした。昔は水がこんこんと湧き出ていた泉で、秦氏は湧き出てくる泉をみて、神聖な場所だと感じたのではないでしょうか。池の中央に石で組まれたのが神座(かむくら)といって、そこに主祭神が鎮座されるということで、それを周囲から拝めるように鳥居が3つ組み合わさっています。この泉は、30年程前に枯れてしまいましたが、それ以前は、湧き出る泉が鳥居の周りをみたしていました。豊な水は、土地を潤し、森をはぐくみ、その森に神様がおられ、"木の島に坐す"・・・天照御魂神社という名前がついたと言われています。
この話は、2017年(平成29年)7月7日放送されたNHK「きょう630」で、宮司さんが話されたことをメモしていたのものを残しておいたので参考にさせてもらいました。宮司さんは最後に、「神道は教義や経典がない、自然を見て神様がそこにおられる、泉が湧き出てくる所に神様がおられる、すがすがしい気持ちになってお帰りいただきたい」と話されてました。
ここにきて、それが放送されていたことも忘れてましたが、帰ってきて何気に物を探していたら出てきたので思い出した次第です。この三柱鳥居から元の参道を戻ってくると・・・。
こちらの石柱には「椿大明神」と書かれています。前途したとおり社務所が留守で由緒書きも無いので詳細は不明です。
参道を戻ると、右手に「このしま保育園」が見えてきます。その横に末社の「稲荷社」があったので寄ってみました。奥に「白清社」が見えましたが、暗くて・・・そこで、早々にここを出て行きました。
ここには9時38分に入って、48分に出て行きました。約10分ぐらいでしたが、帰ってから思い出し事も多かったです。
毎年、木嶋坐天照御魂神社では、立秋前の土用の丑の日に「御手洗祭」が行われます。今は、枯れてしまった元糺の池に、地下水を汲み上げ、池を満たし「足つけ神事」が早朝から23時まで行われるそうです。今は、コロナウイルスの影響で、祇園祭の山矛巡行が中止されるなど、先行きが不透明ですが、行われるなら行って見たいですね。
【木嶋坐天照御魂神社】
木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は、通称の「蚕ノ社(かいこのやしろ)」か「木嶋神社(このしまじんじゃ)」で知られていますが、やっぱり蚕ノ社で有名です。近くの嵐電の駅名も「蚕ノ社」ですから。
住宅街の真ん中に、鬱蒼とした森が広がっています。旧二条通りに面して木造の「神明鳥居」が建っており、それをくぐって境内に入ります。
鳥居をくぐると北に真っ直ぐに伸びる参道を足早に歩いていきます。ここには2015年(平成27年)3月27日に来てました。
参道の突き当たりにあるのが「拝殿」です。途中には「社務所」や「祭具庫」はありました。前回もそうでしたが、ここの社務所は無人ですね。
拝殿を回り込んで、少し高い所にある「拝所」の前にでます。そして「本殿」は、その奥にあります。
御祭神は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)の他、四柱の神・大国魂神(おおくにたまのかみ)・穂々出見命(ほほでみのみこと)・鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祀る。創建は古く詳細は不明ですが、平安時代に書かれた「続日本紀(しょくにほんぎ)」という歴史書があって、西暦701年(大宝元年)4月3日の条に「木島社」という名前が出てくるので、創建は、おそらく平安時代以前、1300年以上の昔になると推定される。
本殿の西側には、末社の「八社」が見えますが、由緒書きが無いので詳細は分かりません。
この神社の通称は、「蚕ノ社」で知られていると先にお話しました。それは渡来人の秦氏との関係が深いです。秦氏は絹織物を日本に持ち込んだと言われています。それで蚕ノ社を建てて、蚕の神様をお祀りした・・・と。
本殿の東側に「東本殿」があって、「蚕養(こかい)神社」とも呼ばれ、蚕の飼育や機織りを掌る神様が祀られています。この社は、絹織物関係者のご参拝が非常に多かったので「蚕ノ社」と言う名前の方が有名になったのでしょう。
秦氏は、古代中国から朝鮮半島を経由して日本にやってきたと言われています。秦氏一族は、古代日本に織物を始め土木や建築、当時のハイテク技術をもたらし、日本に最新技術を伝えた、まさにハイテク集団でした。そして平安京の増築にも大きく貢献したとも伝わります。ここ蚕ノ社のある地名・・・太秦(うずまさ)と言いますが、この地名も、絹織物を"うずたかく"積んで天皇に献上したことから、天皇から「禹豆麻佐(うずまさ)」という性を与えられ、太秦という地名になったと言われています。
ここ、木嶋神社(蚕ノ社)では、もう一つどうしても外せないものがあります。嵐電に乗ったら車内アナウンスでも紹介されるものが・・・では、向かいます。
本殿を降りた右手には、元糺の池があって、柵の奥に見えているのが「三柱鳥居(みはしらとりい)」です。
三柱鳥居は、上からみると三角形になっている鳥居のことで、この鳥居があった所が、この元糺の森で、もっとも神聖な場所でした。昔は水がこんこんと湧き出ていた泉で、秦氏は湧き出てくる泉をみて、神聖な場所だと感じたのではないでしょうか。池の中央に石で組まれたのが神座(かむくら)といって、そこに主祭神が鎮座されるということで、それを周囲から拝めるように鳥居が3つ組み合わさっています。この泉は、30年程前に枯れてしまいましたが、それ以前は、湧き出る泉が鳥居の周りをみたしていました。豊な水は、土地を潤し、森をはぐくみ、その森に神様がおられ、"木の島に坐す"・・・天照御魂神社という名前がついたと言われています。
この話は、2017年(平成29年)7月7日放送されたNHK「きょう630」で、宮司さんが話されたことをメモしていたのものを残しておいたので参考にさせてもらいました。宮司さんは最後に、「神道は教義や経典がない、自然を見て神様がそこにおられる、泉が湧き出てくる所に神様がおられる、すがすがしい気持ちになってお帰りいただきたい」と話されてました。
ここにきて、それが放送されていたことも忘れてましたが、帰ってきて何気に物を探していたら出てきたので思い出した次第です。この三柱鳥居から元の参道を戻ってくると・・・。
こちらの石柱には「椿大明神」と書かれています。前途したとおり社務所が留守で由緒書きも無いので詳細は不明です。
参道を戻ると、右手に「このしま保育園」が見えてきます。その横に末社の「稲荷社」があったので寄ってみました。奥に「白清社」が見えましたが、暗くて・・・そこで、早々にここを出て行きました。
ここには9時38分に入って、48分に出て行きました。約10分ぐらいでしたが、帰ってから思い出し事も多かったです。
毎年、木嶋坐天照御魂神社では、立秋前の土用の丑の日に「御手洗祭」が行われます。今は、枯れてしまった元糺の池に、地下水を汲み上げ、池を満たし「足つけ神事」が早朝から23時まで行われるそうです。今は、コロナウイルスの影響で、祇園祭の山矛巡行が中止されるなど、先行きが不透明ですが、行われるなら行って見たいですね。
【木嶋坐天照御魂神社】
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