桜と書かれた張り紙につられて妙心寺塔頭 桂春院へ
妙心寺塔頭 退蔵院を出て、広い妙心寺の境内を歩いて行きます。特に目的は無かったんですが、妙心寺北門近くの和菓子屋さんに行ってみようと思い歩いていました。途中、妙心寺塔頭 大雄院の前を通りましたが、毎年恒例の「春の特別拝観」(4月26日~5月10日)は、コロナウイルス感染の恐れがあるとして中止となりました。ここは御朱印が有名で楽しみにされていた方も多かったかも思いますが、残念です。
そして、妙心寺塔頭 桂春院の前を通りました。ここは妙心寺で通常拝観している3寺院の一つです。何度か来てますが、表の張り紙を見て寄って行こうと思った次第です。
「山門」には"さくら"と書いてあります。この桂春院に、最近では2016年(平成28年)5月と2016年(平成28年)11月に来ていて、紅葉は綺麗なのは知ってましたが、桜はあったかなぁ・・・と。
「庫裏」を入ると、自動的にチャイムが鳴るので中から人が出て来られます。私は靴を脱いで下駄箱に預けて上がります。
正面右手に受付があるので、そこで拝観料400円を納めます。下駄箱の様子から内部には誰も居ないことは察しが付きました。そこで桜を探しに堂内に入って行きます。
桂春院は、3つの異なる庭園が楽しめます。最初に見るのが「清浄(しょうじょう)の庭」です。写真手前の井筒から紀州の奇岩・巨石を直立に配した枯瀧の石組で、流れ出る川を表現しているとか。
坪庭の「清浄の庭」をあっさり通過して、次に書院に入ります。ここには茶席が設けられおり、そのお茶席から見る庭を「侘の庭」と呼ばれています。
この書院に中に通常非公開の茶室「既白庵(きはくあん)」があって、2016年(平成28年)5月の訪問時には公開されていました。
それで「方丈(本堂)」に行ってみると、3つの異なる庭園の一つ「真如の庭」に、桜が咲いていました。
方丈南側の崖に躑躅の大刈り込みで覆われ、1㍍以上も低い平坦地に皐・霧島躑躅・馬酔木なんかが植っています。
1631年(寛永8年)に建立された「方丈(本堂)」に架かる額は、天間独立の筆によるもの。襖絵は狩野山雪の筆によるもので「金碧松三日月」など見られます。
ここからスリッパを履いて庭に降ります。ここから綺麗な苔庭を巡りますが、このスリッパ・・・何度来ても履きにくい・・・です。
綺麗な苔庭をゆっくり歩いて行き、もっとも奥まで先に行きました。奥に結界があって進めませんが、表にあった境内図で「庸軒好みの井戸」と分かりました。
境内図では、結界があるので行けませんが、そこには「津田秀則の墓」があるようです。桂春院は、1598年(慶長3年)に織田信長の嫡男である織田信忠の次男、津田秀則により妙心寺山内に見性院(けんしょういん)として創建されましたのが始まりです。
結界の前に「地蔵尊」が祀られており、鎮守社の「龍仙天空靈神」も。この美しい「苔庭」の中に、小さな石がさりげなく配置されています。七五三風に置かれた石は、十五夜満月を表現しているとか。
「真如の庭」は、方丈南側の崖を躑躅の大刈り込みで覆い、その向こうは一段低くなって、楓の樹木に覆われています。そこに一本の桜が・・・咲いていたわけです。
履きにくいスリッパを脱いで方丈へ上がりました。方丈室内の襖絵は撮影禁止のため、床几に座って暫く休憩したあと、出て行くことにしました。
次ぎに「方丈(本堂)」の東側にある斜面を巧みに利用した「思惟の庭(しいのにわ)」を撮りました。左右の築山に十六羅漢石。中央の礎石を座禅石に見立てた庭園です。
ここには10時頃に入って、15分頃に出てきました。出る前にご住職にお会いし、お礼を言われたし、帰る時も大きな声でお礼を言われ気恥ずかしかったですね。
ここから妙心寺北門を出て、当初の目的である和菓子屋さんに向かいました。
追記、4月15日~5月6日まで、拝観を休止されます。
【妙心寺塔頭 桂春院】
そして、妙心寺塔頭 桂春院の前を通りました。ここは妙心寺で通常拝観している3寺院の一つです。何度か来てますが、表の張り紙を見て寄って行こうと思った次第です。
「山門」には"さくら"と書いてあります。この桂春院に、最近では2016年(平成28年)5月と2016年(平成28年)11月に来ていて、紅葉は綺麗なのは知ってましたが、桜はあったかなぁ・・・と。
「庫裏」を入ると、自動的にチャイムが鳴るので中から人が出て来られます。私は靴を脱いで下駄箱に預けて上がります。
正面右手に受付があるので、そこで拝観料400円を納めます。下駄箱の様子から内部には誰も居ないことは察しが付きました。そこで桜を探しに堂内に入って行きます。
桂春院は、3つの異なる庭園が楽しめます。最初に見るのが「清浄(しょうじょう)の庭」です。写真手前の井筒から紀州の奇岩・巨石を直立に配した枯瀧の石組で、流れ出る川を表現しているとか。
坪庭の「清浄の庭」をあっさり通過して、次に書院に入ります。ここには茶席が設けられおり、そのお茶席から見る庭を「侘の庭」と呼ばれています。
この書院に中に通常非公開の茶室「既白庵(きはくあん)」があって、2016年(平成28年)5月の訪問時には公開されていました。
それで「方丈(本堂)」に行ってみると、3つの異なる庭園の一つ「真如の庭」に、桜が咲いていました。
方丈南側の崖に躑躅の大刈り込みで覆われ、1㍍以上も低い平坦地に皐・霧島躑躅・馬酔木なんかが植っています。
1631年(寛永8年)に建立された「方丈(本堂)」に架かる額は、天間独立の筆によるもの。襖絵は狩野山雪の筆によるもので「金碧松三日月」など見られます。
ここからスリッパを履いて庭に降ります。ここから綺麗な苔庭を巡りますが、このスリッパ・・・何度来ても履きにくい・・・です。
綺麗な苔庭をゆっくり歩いて行き、もっとも奥まで先に行きました。奥に結界があって進めませんが、表にあった境内図で「庸軒好みの井戸」と分かりました。
境内図では、結界があるので行けませんが、そこには「津田秀則の墓」があるようです。桂春院は、1598年(慶長3年)に織田信長の嫡男である織田信忠の次男、津田秀則により妙心寺山内に見性院(けんしょういん)として創建されましたのが始まりです。
結界の前に「地蔵尊」が祀られており、鎮守社の「龍仙天空靈神」も。この美しい「苔庭」の中に、小さな石がさりげなく配置されています。七五三風に置かれた石は、十五夜満月を表現しているとか。
「真如の庭」は、方丈南側の崖を躑躅の大刈り込みで覆い、その向こうは一段低くなって、楓の樹木に覆われています。そこに一本の桜が・・・咲いていたわけです。
履きにくいスリッパを脱いで方丈へ上がりました。方丈室内の襖絵は撮影禁止のため、床几に座って暫く休憩したあと、出て行くことにしました。
次ぎに「方丈(本堂)」の東側にある斜面を巧みに利用した「思惟の庭(しいのにわ)」を撮りました。左右の築山に十六羅漢石。中央の礎石を座禅石に見立てた庭園です。
ここには10時頃に入って、15分頃に出てきました。出る前にご住職にお会いし、お礼を言われたし、帰る時も大きな声でお礼を言われ気恥ずかしかったですね。
ここから妙心寺北門を出て、当初の目的である和菓子屋さんに向かいました。
追記、4月15日~5月6日まで、拝観を休止されます。
【妙心寺塔頭 桂春院】
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