藤の花を期待して西院 春日神社へ

大型連休の前、5月1日(金)は、連休前の買い出しと銀行のATMに行ったあと、西院 春日神社に寄りました。毎年、年始めに「京都十六社朱印めぐり」で来てますが、ここには藤棚があったのを思い出して、帰りに寄って見た次第です。

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春日神社の駐車場は、佐井西通りから入ります。車を止めてから「西鳥居」を見てみると、そこに「藤棚」があって、少し咲いていました。

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西鳥居の次も鳥居があって、その先にも「藤棚」がありましたが、殆ど咲いてません。少しガッカリです。

IMG_3317.jpgIMG_3316.jpgIMG_3278.jpg境内に入ってみると、お参りに来られている人が目立ちます。この日は1日で、毎月1日と11日と15日の3日間だけ公開される「疱瘡石」の公開日でした。

IMG_3279.jpgIMG_3280.jpg境内を西から東に横切り、境内中央にある「舞殿」と「拝所」を見ながら、佐井(春日)通りに出ることにしました。

IMG_3282.jpgこの「舞殿」の南側に、ある案内版があります。その前には「礎石」があって、その礎石に注目します

平安時代の810年(弘仁元年頃)第53代淳和(じゅんな)天皇は、この西院の地に「南池院」という離宮を建てられました。833年(天長10年)第53代淳和(じゅんな)天皇が第54代仁明(にんみょう)天皇に皇位を譲られ退位される際に「淳和院離宮」と改称され、840年(承和7年)に崩御されるまで詩歌管弦の宴を催しされました。この礎石は淳和院の礎石です。そして1992年(平成4年)から1993年(平成5年)にかけて京都市が発掘調査を行い、南北17㍍、東西10㍍もある大規模な建物であったことが分かりました。

IMG_3284.jpgIMG_3287.jpgそして「社務所」横にある「藤棚」です。こちらを目当てに来ましたが、何も咲いていません。今年は暖冬だったので、既に終わったのかも知れません。

IMG_3286.jpgその社務所前にあるのが「手水舎」で、ここには柄杓が置いてありますが、やっぱり使えないですね。

IMG_3285.jpgその西隣にある「一願蛙」があって、水を掛けて祈願すると願いが叶うという。よく見ると親蛙の上にが二匹が乗ってます。

IMG_3288.jpg佐井(春日)通りに出る手前、ここに八重桜が咲いていました。もう殆ど散ってますが・・・それより奥にある石に注目です

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先程見た、礎石の所にもありましたが、これは発掘調査によって出土した四条通りや道祖大路の「側溝門跡」なとが確認されたとあったので、多分それでしょう。

IMG_3291.jpgIMG_3290.jpgIMG_3293.jpgそして佐井(春日)通りに出ました。今日は平日ですので車や人、自転車が行き交います。北側に大きな社号標が、そして「東鳥居」から再び境内に入りました。

IMG_3295.jpgIMG_3296.jpg境内に入ると、誰も居なくなった「拝所」にてお参りしました。前途したとおり、本殿前には霊石疱瘡石」が公開さていました。

平安時代、淳和天皇の皇女・崇子内親王(たかこないしんのう)が、当時不治の病と恐れられていた疱瘡(天然痘)を患われた時、神前の石が内親王の身代わりに、御殿前にあった石に疱瘡を移されて、内親王が快復されました。これより以降、この石は霊石「疱瘡石」と崇められ、毎月1日、11日、15日の3日に限って一般拝観者に公開し「病気平癒・厄除祈願」として篤い信仰を集めています。

IMG_3297.jpg御祭神は、第一殿に建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)、第二殿に伊波比主命(いはひぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめがみ)が祀られています。

833年(天長10年)第53代淳和(じゅんな)天皇が第54代仁明(にんみょう)天皇に皇位を譲られ退位される際に「淳和院離宮」に移られました。そのとき、勅命により奈良の春日大社の分霊をお迎えし、守護神として祀られたのが春日神社の始まりです。

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せっかく来たので、境内を散策します。こちらは第120代仁孝(にんこう)天皇の「御胞衣塚(おえなづか)」です。仁孝天皇の次が、孝明天皇、そして明治天皇と続くわけです。

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高松宮 有栖川宮 奉偲乃梅」と書かれた梅の足元には、綺麗に「大和撫子」が咲いていました。

IMG_3302.jpgさらに奥に進むと「稲荷大明神」と「辨財天」があって、稲荷大神には金運、商売繁盛の御利益が、また、辨財天には招福、福得の御利益があります。

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さらに奥に行けば「御神木」があって、手前には「西院宮」で祭神は第56代・清和天皇。奥の朱塗りの社殿が「住吉社」で祭神が底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、大帯姫命(おおたらしひめのこと)でした。

先にお参りの方がおられたので後回しにしました。こちらは摂社「還来(もどろき)神社」で、古くから旅行安全の神として信仰されています。

IMG_3310.jpgIMG_3312.jpgこちらの御朱印は、ここの社務所でいただけます。御祭神は、第53代・淳和天皇皇后正子(しょうこ)内親王命、藤原旅子(たびこ)命、橘嘉智子(かちこ)命でした。

IMG_3308.jpgそま向かいにあるのが「梛石(なぎいし)」で、神石です。幸福と健康を祈ってこれを撫でるみたいです。そして、その撫でた手で、健康の回復を祈ることから「撫石」とも呼ばれています。

IMG_3311.jpgIMG_3313.jpgこの「能舞台」を通って、駐車場に戻りますが、まだ境内社があったので寄っていきます。

IMG_3276.jpgIMG_3314.jpgIMG_3315.jpgこちらには、左から「猿田彦社」で祭神が、猿田彦命、宇豆女命(うずめのみこと)、「天満宮」で祭神が菅原道真公、「太元宮」で祭神が、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、「金刀比羅宮」で祭神が、大物主神(おおものぬしのかみ)と第75代・崇徳天皇でした。

IMG_3277.jpgさらに奥に進むと戦死者の霊を祀る「招魂碑」があって、日清戦争、日露戦争、日支事変、太平洋戦争の戦死者が合祀され祀られています。

IMG_3272.jpg帰るまでに、もう一度「藤棚」の藤の花を見て、ここを出て行きました。今年は外出自粛のため、度々駆られませんが、藤の花は残念でした。

車の中には、先に行ったスーパーで買い物した生物も入っているので、早々に出て行きました。このあと母の病院に行ってから帰路に着きました。病院も元々面会は禁止されていますが、3日から6日は、院内を閉鎖されるので洗濯物のやり取りも出来ません。新型コロナウイルスの院内感染怖いから仕方ないです。

【西院 春日神社】

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