緊急事態宣言解除後の元離宮二条城へ
5月22日(金)は、元離宮二条城に行きました。前日の5月21日(木)に、京都に出されていた緊急事態宣言が、ようやく解除されたこともあって、久し振りに行ってみようと思ったのは、入城に条件が"京都府民に限る"でした。それなら空いてるだろなぁ・・・と。元離宮二条城は、新型コロナウイルスの影響で、4月7日(火)から休城されてましたが、5月18日(月)から、前途したとおり京都府民に限って入城できるようになりました。もちろんマスクの着用が条件です。
ご覧のように入城は、京都府民に限ります。人との接触をなるべく避けるためか、「東大手門」の北側から入って、南側から出て行くコースになっていました。
元離宮二条城には、最近では2018年(平成30年)4月2日に桜ライトアップで、2017年(平成29年)4月8日には春の早朝特別参観で来ています。ただ、驚いたことに2019年(令和元年)10月1日より、入城料が大幅に値上げされてましたね。変更となったのは、庭園と二の丸御殿が別々の料金になりました。入城料/二の丸御殿観覧料が、1030円。入城料のみが、620円です。1997年(平成9年)以前は、500円。それ以降は600円ともに御殿観覧料込みでした。このことは知っていたので、受付で聞かれたとき、迷わず入城料のみの620円を払いました。
入城券をもって、入城入口で「京都府民の方ですか?」と聞かれたので、運転免許証を見せようとしたら、それは止められました・・・と言うことは、別に京都府民以外でも入れるのではないかなぁ・・・と、その時、疑念を抱きましたね。
入城は、重要文化財「東大手門」から入ります。ここは2017年(平成29年)4月8日に、東大手門修復完成記念として入りました。
この時、9時7分でしたが、見たところ空いてるようでした。ただ私の前にも数名が入られたので、ガラガラでは無いです。
いつも、外国人観光客など、多くの観光客で賑わっていた二条城の駐車場に、観光バスが1台も止まっていません。私は車で来たので、ここの駐車場に入れましたが、この時間では2台だけでした。8時45分が入城時間で、そこから20分ぐらいたっていますが、以前と比べると断然少ないです。
東大手門を入ると、左手にパンフレットが置いてあるので自分で取りに行きます。右手には「番所」があって、1663年(寛文3年)の再建。幕府から派遣されいた「二条在番」と呼ばれる武士達が宿直・警護していたもの。
ここから左手に進みます。すると重要文化財「東南隅櫓」がありますが非公開です。ここも2017年(平成29年)4月8日に、東大手門修復完成記念として入れました。
次の撮影スポットは、重要文化財「唐門」でしょう。2013年(平成25年)に修復工事をされ、往時の輝きが戻っています。
残念ながら、先客の家族連れがいるので、この唐門をじっくり鑑賞するのは帰りにすることにして、先を急ぐことにいます。
二の丸御殿の正門である「唐門」をくぐると、正面に国宝「二の丸御殿」があって、拝観者は「車寄」から上がります。
前途したとおり、この二の丸御殿に入るのに、別途400円が必要となりました。現在は新型コロナウイルス感染予防から、御殿内の観覧には、マスクの着用が必須で、人数制限もされるとか。何度か入っているのは、今日はスルーさせてもらいます。
東大手門から入って、唐門をくぐり、殆どの方は御殿に入られたようです。私は「二の丸庭園」に向かいます。
庭園の入口にあった何故か「釣鐘」が展示されていました。この鐘は、京都所司代屋敷で火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていたもので、京都所司代は、二条城の北に隣接していた下屋敷(千本屋敷)で使われていた。1867年(慶應3年)に京都所司代が廃止されたあと、二条城に移されたものと考えられています。
特別名勝「二の丸庭園」の入口です。1626年(寛永3年)に第108代後水尾天皇行幸に小堀遠州が改修した庭園です。
庭園内に入ると、程なくして「二の丸御殿」が見えて来ます。場所的には「大広間」の二の間、三の間辺りでしょぅ。
その反対側に目を移すと、綺麗な芝と「二条城 二之丸庭園」と書かれた石碑があるだけです。ここにはかつて行幸御殿がありました。
1626年(寛永3年)の第108代後水尾天皇行幸のために建てられた御殿で、このとき、行幸御殿からの眺めを考慮して小堀遠州が改修されたそうです。
真意は分かりませんが、御殿内に空調設備が新たに作られていました。前の写真を確認しても無かったので、長らく休城されていたので、その時でも工事されたのでしょう。
二の丸御殿の西側に広がる池泉庭園です。池の中にはアオサギが止まっていました。この池の畔をゆっくり歩いて綺麗な庭園を見ていきます。
天気も良く、人も少なく、綺麗な庭園を二の丸御殿の西側に沿って歩いて行きます。この庭園に入ってきたときにお一人、あと、後ろからお一人来られたぐらいでガラガラでした。
次に、二の丸御殿の「黒書院」の建物が綺麗な庭園に似合います。こちらも目立ちませんが空調設備が付いてました。
池の中央の島が蓬莱島で、その右手が亀島、蓬莱島の背後が鶴島と合わせて、神仙蓬莱の世界を表現しているとか。
外国人観光客が消え、京都府民限定の入城のため、この庭園内もガラガラでした。これだけ空いているとゆっくり写真を撮って出て行きました。
二の丸庭園を出てたら、内堀を通って、本丸庭園に向かいます。庭園内の本丸御殿は、長らく耐震工事をされていて、こちらはまだまだかかるみたいです。
内堀に架かる「東橋」を渡って「本丸櫓門」をくぐって、本丸庭園内に入ります。こちらは結果、誰とも出会わなかったです。
本丸御殿に通じる枡形を通り抜け、いよいよ庭園内に入りますが、御殿は入れないので天守跡に直行です。
1896年(明治29年)に、第122代・明治天皇の指示により造られたのが本丸庭園です。
かつて本丸御殿は、1626年(寛永3年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光によって建てられましたが、後に焼失。幕末に15代・将軍徳川慶喜によって建てられましたが、それも1881年(明治14年)に取り壊され、1893年(明治26年)頃に京都御所の北東部にあった桂宮御殿の主要部分が移築されたのが、現在の本丸御殿です。以前は、年2回特別公開されていましたが耐震に問題が発覚し、拝観停止になり、2017年度から耐震工事を実施されています。予定では2021年度に終わる予定ですが、昨今のコロナウイルスの影響で遅れるのではないでしょうか。
この本丸庭園の西南角にある「天守台」までやって来ました。結構きつい石段を上がります。
1750年(寛延3年)の落雷により焼失後は、再建されることなく現在に至っている二条城の天守閣跡で、石垣の高さは18㍍、広さは427㎡もあります。
1626年(寛永3年)に伏見城から移築されたと伝わる天守閣がありました。地上5階、地下1階で屋根には瓦型の銅板が葺かれてたようです。
寛永行幸の時、後水尾天皇は2回天守閣へ登られたようで、この二条城天守閣は天皇が登った唯一の天守閣と言われています。
この時、9時23分でしたが、暑かったので汗をかいたので、ここに座って休憩しました。ここでは風が強かったので気持ち良かったです・・・が、日差しが強い・・・です。
ここから眺望を楽しみます。ますが現在、工事中の本丸御殿から。奥には比叡山が見えるはずが、微かに山頂だけ見えています。
こちらは西南の方向で、眼下に西南土蔵、その奥に西南隅櫓(ともに重要文化財)が見えています。
こちらは北西の方向で、愛宕山は木々で見えません。ここから内堀の架かる西橋が見えています。
こちらは東南の方向で、内堀と遠くに桃山門が見えていますが、後程そちらに行きます。その奥にはANAクラウンプラザホテル京都も見えていました。
二の丸庭園ではお二人をお見かけしましたが、こちらに来られ無かったようで、不思議と誰も来られなかったです。ここでゆっくりさせて貰ったので石段を降り次へと向かいました。
天守台を降り、次に西橋から清流園に向かうため、この本丸庭園を出て行きました。
本丸庭園を西側の枡形から出て行き、西橋を渡りました。内堀から先程まで居た天守台が見えています。
天守台から、きれいなサツキが見えていました。今が満開ですね。そのサツキの一部です。全景は後編で。
お城は広いです。二の丸から本丸に抜けた西側に出てた所まで前編は終わります。天気も快晴、観光客は少ない、何度も来ている二条城ですが、こんなに人が少ない二条城は初めての経験です。
【元離宮二条城】
ご覧のように入城は、京都府民に限ります。人との接触をなるべく避けるためか、「東大手門」の北側から入って、南側から出て行くコースになっていました。
元離宮二条城には、最近では2018年(平成30年)4月2日に桜ライトアップで、2017年(平成29年)4月8日には春の早朝特別参観で来ています。ただ、驚いたことに2019年(令和元年)10月1日より、入城料が大幅に値上げされてましたね。変更となったのは、庭園と二の丸御殿が別々の料金になりました。入城料/二の丸御殿観覧料が、1030円。入城料のみが、620円です。1997年(平成9年)以前は、500円。それ以降は600円ともに御殿観覧料込みでした。このことは知っていたので、受付で聞かれたとき、迷わず入城料のみの620円を払いました。
入城券をもって、入城入口で「京都府民の方ですか?」と聞かれたので、運転免許証を見せようとしたら、それは止められました・・・と言うことは、別に京都府民以外でも入れるのではないかなぁ・・・と、その時、疑念を抱きましたね。
入城は、重要文化財「東大手門」から入ります。ここは2017年(平成29年)4月8日に、東大手門修復完成記念として入りました。
この時、9時7分でしたが、見たところ空いてるようでした。ただ私の前にも数名が入られたので、ガラガラでは無いです。
いつも、外国人観光客など、多くの観光客で賑わっていた二条城の駐車場に、観光バスが1台も止まっていません。私は車で来たので、ここの駐車場に入れましたが、この時間では2台だけでした。8時45分が入城時間で、そこから20分ぐらいたっていますが、以前と比べると断然少ないです。
東大手門を入ると、左手にパンフレットが置いてあるので自分で取りに行きます。右手には「番所」があって、1663年(寛文3年)の再建。幕府から派遣されいた「二条在番」と呼ばれる武士達が宿直・警護していたもの。
ここから左手に進みます。すると重要文化財「東南隅櫓」がありますが非公開です。ここも2017年(平成29年)4月8日に、東大手門修復完成記念として入れました。
次の撮影スポットは、重要文化財「唐門」でしょう。2013年(平成25年)に修復工事をされ、往時の輝きが戻っています。
残念ながら、先客の家族連れがいるので、この唐門をじっくり鑑賞するのは帰りにすることにして、先を急ぐことにいます。
二の丸御殿の正門である「唐門」をくぐると、正面に国宝「二の丸御殿」があって、拝観者は「車寄」から上がります。
前途したとおり、この二の丸御殿に入るのに、別途400円が必要となりました。現在は新型コロナウイルス感染予防から、御殿内の観覧には、マスクの着用が必須で、人数制限もされるとか。何度か入っているのは、今日はスルーさせてもらいます。
東大手門から入って、唐門をくぐり、殆どの方は御殿に入られたようです。私は「二の丸庭園」に向かいます。
庭園の入口にあった何故か「釣鐘」が展示されていました。この鐘は、京都所司代屋敷で火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使われていたもので、京都所司代は、二条城の北に隣接していた下屋敷(千本屋敷)で使われていた。1867年(慶應3年)に京都所司代が廃止されたあと、二条城に移されたものと考えられています。
特別名勝「二の丸庭園」の入口です。1626年(寛永3年)に第108代後水尾天皇行幸に小堀遠州が改修した庭園です。
庭園内に入ると、程なくして「二の丸御殿」が見えて来ます。場所的には「大広間」の二の間、三の間辺りでしょぅ。
その反対側に目を移すと、綺麗な芝と「二条城 二之丸庭園」と書かれた石碑があるだけです。ここにはかつて行幸御殿がありました。
1626年(寛永3年)の第108代後水尾天皇行幸のために建てられた御殿で、このとき、行幸御殿からの眺めを考慮して小堀遠州が改修されたそうです。
真意は分かりませんが、御殿内に空調設備が新たに作られていました。前の写真を確認しても無かったので、長らく休城されていたので、その時でも工事されたのでしょう。
二の丸御殿の西側に広がる池泉庭園です。池の中にはアオサギが止まっていました。この池の畔をゆっくり歩いて綺麗な庭園を見ていきます。
天気も良く、人も少なく、綺麗な庭園を二の丸御殿の西側に沿って歩いて行きます。この庭園に入ってきたときにお一人、あと、後ろからお一人来られたぐらいでガラガラでした。
次に、二の丸御殿の「黒書院」の建物が綺麗な庭園に似合います。こちらも目立ちませんが空調設備が付いてました。
池の中央の島が蓬莱島で、その右手が亀島、蓬莱島の背後が鶴島と合わせて、神仙蓬莱の世界を表現しているとか。
外国人観光客が消え、京都府民限定の入城のため、この庭園内もガラガラでした。これだけ空いているとゆっくり写真を撮って出て行きました。
二の丸庭園を出てたら、内堀を通って、本丸庭園に向かいます。庭園内の本丸御殿は、長らく耐震工事をされていて、こちらはまだまだかかるみたいです。
内堀に架かる「東橋」を渡って「本丸櫓門」をくぐって、本丸庭園内に入ります。こちらは結果、誰とも出会わなかったです。
本丸御殿に通じる枡形を通り抜け、いよいよ庭園内に入りますが、御殿は入れないので天守跡に直行です。
1896年(明治29年)に、第122代・明治天皇の指示により造られたのが本丸庭園です。
かつて本丸御殿は、1626年(寛永3年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光によって建てられましたが、後に焼失。幕末に15代・将軍徳川慶喜によって建てられましたが、それも1881年(明治14年)に取り壊され、1893年(明治26年)頃に京都御所の北東部にあった桂宮御殿の主要部分が移築されたのが、現在の本丸御殿です。以前は、年2回特別公開されていましたが耐震に問題が発覚し、拝観停止になり、2017年度から耐震工事を実施されています。予定では2021年度に終わる予定ですが、昨今のコロナウイルスの影響で遅れるのではないでしょうか。
この本丸庭園の西南角にある「天守台」までやって来ました。結構きつい石段を上がります。
1750年(寛延3年)の落雷により焼失後は、再建されることなく現在に至っている二条城の天守閣跡で、石垣の高さは18㍍、広さは427㎡もあります。
1626年(寛永3年)に伏見城から移築されたと伝わる天守閣がありました。地上5階、地下1階で屋根には瓦型の銅板が葺かれてたようです。
寛永行幸の時、後水尾天皇は2回天守閣へ登られたようで、この二条城天守閣は天皇が登った唯一の天守閣と言われています。
この時、9時23分でしたが、暑かったので汗をかいたので、ここに座って休憩しました。ここでは風が強かったので気持ち良かったです・・・が、日差しが強い・・・です。
ここから眺望を楽しみます。ますが現在、工事中の本丸御殿から。奥には比叡山が見えるはずが、微かに山頂だけ見えています。
こちらは西南の方向で、眼下に西南土蔵、その奥に西南隅櫓(ともに重要文化財)が見えています。
こちらは北西の方向で、愛宕山は木々で見えません。ここから内堀の架かる西橋が見えています。
こちらは東南の方向で、内堀と遠くに桃山門が見えていますが、後程そちらに行きます。その奥にはANAクラウンプラザホテル京都も見えていました。
二の丸庭園ではお二人をお見かけしましたが、こちらに来られ無かったようで、不思議と誰も来られなかったです。ここでゆっくりさせて貰ったので石段を降り次へと向かいました。
天守台を降り、次に西橋から清流園に向かうため、この本丸庭園を出て行きました。
本丸庭園を西側の枡形から出て行き、西橋を渡りました。内堀から先程まで居た天守台が見えています。
天守台から、きれいなサツキが見えていました。今が満開ですね。そのサツキの一部です。全景は後編で。
お城は広いです。二の丸から本丸に抜けた西側に出てた所まで前編は終わります。天気も快晴、観光客は少ない、何度も来ている二条城ですが、こんなに人が少ない二条城は初めての経験です。
【元離宮二条城】
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