6年振りの参観 京都仙洞御所へ
5月29日(金)は、2014年(平成26年)11月25日以来の久しぶりに仙洞御所へ行きました。
京都に緊急事態宣言が出されてから、京都御所・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮は参観停止となりました。そして5月21日に宣言が解除されたこともあって、宮内庁も参観を再開されたことをHPで確認しました。それで週末の天気予報も考慮して、久しぶりに仙洞御所の参観を申し込んだ次第です。結果は2日たったあとにメールにて抽選で当たったことが分かりました。ただ、まだ府県をまたがる移動は自粛を言われていることもあって、申し込んだときから落選は考えてなかったですね。
仙洞御所の参観は、初めて訪れたのが2007年(平成19年)4月8日の桜の時期でした。そして次が2010年(平成22年)8月10日、夏の暑い時期でしたが、まさかの土砂降りでした。そして次が2011年(平成23年)1月21日と2011年(平成23年)2月18日の冬の時期に2度も抽選に当たりましたが、ともに雨降りでした。そして2014年(平成26年)11月25日に紅葉の時期にやっと抽選に当たりました。毎年、何度も何度も葉書を出しても当たらなかったのに、これは嬉しいかったですね。ブログも前編、中編、後編と3回に分けてアップしました。私が、今まで見た紅葉では一番綺麗だったと思います。ただ天気はイマイチでしたが・・・。そして、本日6年振りの参観に参加させて貰いました。
車は、「京都御苑 清和院駐車場」に9時00分に止めました。参観が9時30分から。入苑は9時10分から、少し早く着いてしまいました。
京都御苑には「清和院御門」から入りました。入ると南に「仙洞御所」の外塀沿いに、ゆっくり歩いて行きます。
過去、何度か行ってるので調べなかったんですが、参観入口が6年前と違っていました。以前は西側の「正門」から入っていましたが、今日来てみて「北門」に変わってましたね。
入る前に、新型コロナウイルスの感染予防のため、まず検温があります。私ら家族は4月頃から毎日、検温しているので大丈夫だと確信してましたが、非接触型体温計で測られると「大丈夫です」と言われたので「何度ですか?」と訪ねると「36.1℃です」と。家で計ってきたのと遜色なかったです。
6年前と違って「参観休所」も、綺麗に大きくなっていました。以前は狭くて・・・正直、密になるのは嫌だなぁ・・・と来たので安心です。
受付で、参観許可証を印刷してきたので差し出します。そして身分証明書で名前を確認されました。そして休憩所に入ってみると予想外に人が多かったです。
今日は、多くて10名程度だろうと来ましたが、外で待たれている人や、座っている人、数えたらそれぐらいでしたね。密にならないように椅子も真ん中が塞がれており、出入口も開放されてました。
以前、10分程度待ち時間にビデオが流されていたかと思いますが、それは無かったです。椅子の数からみたら、最大で16名でしょうか。この日の参観者は10名でした。
9時30分になったらガイドさんが来られ、全員外に出てガイドさんのあとを付いて行きます。以前と違って何処に行くのかなぁ・・・と。
以前の「正門」は閉まっています。参観者休所は跡形もなく消えていました。そして「大宮御所御車寄」で案内が始まりました。
大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用されます。案内はここらスタートとするのは、以前と同じです。
次の案内は、「御常御殿」の前で聞きます。大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられているそうです。
次に「御庭口」を通って、「北池(きたいけ)」が見渡せるところで、案内を聞きます。この日は天気が良すぎるぐらい良かったです。北池は、かつての大宮御所女院御所の庭でした。対岸の東山連峰を借景として取り込んでいます。
ここから見る紅葉は絶景でした。今日は天気が良く、東山連峰が眩しくて肉眼では見えなかったです。
ガイドさんが話し終えると次へと向かわれるので付いて行きます。ゆっくり歩かれるので北池の西畔を写真を撮りながら付いて行くと、「阿古瀬淵(あこせがふち)」で止まれました。
ここの北の小高いところに石碑があります。近寄れませんが案内があって、かつての紀貫之の邸宅跡を示す石碑だそうです。
綺麗に整備された沿路をガイドさんのあと歩いて行くと、左手の土堤上に祠が見えました。その「鎮守社」には伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡、春日神社の神様が祀られています。自由に出歩けない皇族方のためだそうです。
ここから綺麗な「阿古瀬淵」を見ていると、遠くに「舟着場」が見えてました。舟も停留されていますね。
鎮守社から綺麗な汀線沿いに歩いて行くと、「束橋(鷺橋・土橋)」の前で案内がありました。ここから北池に浮かぶ「鷺島」に入ります。
この木橋は一本の木で支えてて、その仕方が方の束に似ているのことから「束橋」と呼ばれたとか。話の最後に、次の橋は手すりが無いので落ちないようにと案内がありました。
次に北池を見ると、先程最初に案内を聞いていた対岸を見ることができました。池を半周してきたことになります。
9時45分頃、「石橋(白川橋)」を通過しました。手すりはありませんが、結構広いので安心して渡れます。
「石橋(白川橋)」を渡って、暫くしてガイドさんが振り向くと、後続の人たちはとは随分離れてしまったようです。
この辺りには「雌滝」があるようですが、ここからは見えません。また、前方に小さな祠もありましたが案内は無かったです。
「鷺の森」を抜けて、再び西岸に架かる「紅葉橋」を渡ります。この橋は北池と南池の境目にある木橋で、対岸が紅葉山と呼ばれています。
この紅葉橋から初めて「南池」が見えます。遠くに藤棚に覆われている「八つ橋」が見えており後程渡ります。
紅葉橋を渡り左手に「南池」を、正面に「紅葉山」の苑路をガイドさんに付いて歩いて行きます。
「八つ橋」まで来ました。1895年(明治28年)に石橋に掛け替えれ、樹齢が100年以上の藤棚があります。見頃はGWの期間中だそうで、一度は見てみたいです。
ここから振り向くと、先程渡ってきた「紅葉橋」が見えています。以前は、この辺りで10分ばかり休憩があったように記憶していますが、今日は無かったです。
ここから「州浜」も見所の一つです。約11万個の丸石は、小田原藩主が献上するため領民に集めさせた、海岸の丸石を米1升と交換したことから、「一升石(いっしょうせき)」と呼ばれています。
「八つ橋」から見た、「雄滝」です。布落ちの滝で、青い滝添石を持つ水落石から池にしぶきをあげています。
ここに来たらいつも思うことですが、ここの藤が咲き誇る八つ橋を見てみたいです。こんなに晴れた仙洞御所も初めてですし、こんな少人数で回る仙洞御所も初めてですし、外国人参観者の居ない仙洞御所も初めてでした。
6年振りに訪れてた仙洞御所は、参観入口も「正門」から「北門」に変わってたり、「参観者休所」も新しくされてたりして、戸惑うこともありましたが、参観内容については、以前と同じでしたね。ただ何箇所か休憩時間は無かったです。
ガイドさんの話を皆さんと一緒に聞いてて、橋が終えられたので、この「八つ橋」を9時52分に渡りました。
「八つ橋」を渡ると、北側に滝殿跡があります。ただ、どのような建物だったか分かりません。日差しが強かったので「藤棚」の中は涼しかったです。
「八つ橋」を渡った先は、「中島(蓬莱島)」で、ここには釣殿跡がありました。譲位された後水尾天皇が宴を催したと伝わります。ここにある大きな「雪見灯籠」は、寒水石(茨城県産の大理石)で造られ、水戸光圀公からの献上ものだとか。
ここから「南池」の北岸を見ています。「出島」の横には参観不可の「土佐橋」も見えていました。ちょうどサツキの咲く頃、綺麗でした。
ガイドさんに付いてある行くと、遠くに「醒花亭」が見えてきました。あそこが仙洞御所の南端です。
「醒花亭」に着くと、ガイドさんが「振り向いて見て下さい、綺麗ですよ」と言われたので皆さん写真を撮られます。
南池の南岸から桜の馬場沿いの広大な州浜に敷き詰められた丸石・・・「一升石」は美しいです。
ここでも以前のように休憩は無かったです。ただ時間は取られていたので、「醒花亭(せいかてい)」は、北面にして建っている茶亭です。内部は覗くだけでした。
1854年(嘉永7年)に起きた大火によって、「醒花亭」を残して焼失しており、これ以降、居住される上皇がおられないために御殿は再建されず、庭園だけがその面影を残しています。
仙洞御所は、秋の紅葉は見事です。ただ、この辺りの桜も綺麗でした。何も知らずに初めて行ったのが、2007年(平成19年)4月8日で、桜は綺麗でした。
この先に、少し小高い所があります。「さざえ山」と呼ばれており、案内では古墳跡だそうです。
綺麗な州浜を見ながら、北上すると遠くにお社が見えました。そこで案内があって「柿本社」と聞きました。
歌人で知られる柿本人麻呂が祀られている社で、第112代・零元上皇が、度重なる京都御所・仙洞御所の火災から御所を守・・・守り神として勧請したものです。
「柿本社」の前で案内されているガイドさんの奥の林の中・・・ここ御殿があった跡地で、大正天皇・昭和天皇の大嘗祭は、ここで行われたそうです。令和の大嘗祭も、そうですが、そのあと直ぐに取り壊されたので何も残っていません。
この苑路の左側(西側)が、旧仙洞御所の御殿が建っていた所です。天気が良く暑かったけど、再び「紅葉橋」まで戻ってきました。
帰りは、「紅葉橋」を渡りません。そのまま北に進み「紅葉山」や「蘇鉄山」を見ながら、最後の案内地までやって来ました。
最後は茶室「又新亭(ゆうしんてい)」で、1884年(明治17年)に近衛家から献上された茶室です。時間は10時9分になっていました。
上の写真が、「外腰掛(そとこしかけ)」があって、飛び石づたいに茅葺きの「中門」があります。
茶室「又新亭(ゆうしんてい)」は、英照(えいしょう)皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたとか。
茶室「又新亭(ゆうしんてい)」の「円窓(えんそう)」の案内がありました。この円い窓は、禅の究極「円相(えんそう)」に通じているとか。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」がありましたが、前途したとおり火災で焼失しため茶室「又新亭(ゆうしんてい)」が移設されました。
ガイドさんは出て行かれたので、急いで「北池」をもう一度写真に撮ったあと、素晴らしい天気に映える庭園を出て行きました。
急いで戻ると、ガイドさんの話は終わってました。時計は10時16分でした。行きで撮れなかった「大宮御所車寄」を撮って、参観者休所に戻りましたね、参観時間は約40分・・・過去と同じでした。
休憩所に置いてあった荷物を取りに戻り、トイレ休憩をしたあと出て行きました。出ると私らが最後だったようで、皇宮警察の方が、直ぐに「北門」を閉められました・・・早っ。
暑さで、少々お疲れ気味で「清和院駐車場」に戻って、出て行きました。時間は、9時00分から10時28分。3時間で800円でした。
久しぶりの仙洞御所は、綺麗でした。何度か来てる仙洞御所で、快晴は初めてでしょうね、いつも雨降りでしたから。この先も新型コロナウイルス感染を注意しながら、ボチボチ京都を散策していきたいと思っています。以前のような賑わいはまだまだ先でしょう。
京都に緊急事態宣言が出されてから、京都御所・仙洞御所・桂離宮・修学院離宮は参観停止となりました。そして5月21日に宣言が解除されたこともあって、宮内庁も参観を再開されたことをHPで確認しました。それで週末の天気予報も考慮して、久しぶりに仙洞御所の参観を申し込んだ次第です。結果は2日たったあとにメールにて抽選で当たったことが分かりました。ただ、まだ府県をまたがる移動は自粛を言われていることもあって、申し込んだときから落選は考えてなかったですね。
仙洞御所の参観は、初めて訪れたのが2007年(平成19年)4月8日の桜の時期でした。そして次が2010年(平成22年)8月10日、夏の暑い時期でしたが、まさかの土砂降りでした。そして次が2011年(平成23年)1月21日と2011年(平成23年)2月18日の冬の時期に2度も抽選に当たりましたが、ともに雨降りでした。そして2014年(平成26年)11月25日に紅葉の時期にやっと抽選に当たりました。毎年、何度も何度も葉書を出しても当たらなかったのに、これは嬉しいかったですね。ブログも前編、中編、後編と3回に分けてアップしました。私が、今まで見た紅葉では一番綺麗だったと思います。ただ天気はイマイチでしたが・・・。そして、本日6年振りの参観に参加させて貰いました。
車は、「京都御苑 清和院駐車場」に9時00分に止めました。参観が9時30分から。入苑は9時10分から、少し早く着いてしまいました。
京都御苑には「清和院御門」から入りました。入ると南に「仙洞御所」の外塀沿いに、ゆっくり歩いて行きます。
過去、何度か行ってるので調べなかったんですが、参観入口が6年前と違っていました。以前は西側の「正門」から入っていましたが、今日来てみて「北門」に変わってましたね。
入る前に、新型コロナウイルスの感染予防のため、まず検温があります。私ら家族は4月頃から毎日、検温しているので大丈夫だと確信してましたが、非接触型体温計で測られると「大丈夫です」と言われたので「何度ですか?」と訪ねると「36.1℃です」と。家で計ってきたのと遜色なかったです。
6年前と違って「参観休所」も、綺麗に大きくなっていました。以前は狭くて・・・正直、密になるのは嫌だなぁ・・・と来たので安心です。
受付で、参観許可証を印刷してきたので差し出します。そして身分証明書で名前を確認されました。そして休憩所に入ってみると予想外に人が多かったです。
今日は、多くて10名程度だろうと来ましたが、外で待たれている人や、座っている人、数えたらそれぐらいでしたね。密にならないように椅子も真ん中が塞がれており、出入口も開放されてました。
以前、10分程度待ち時間にビデオが流されていたかと思いますが、それは無かったです。椅子の数からみたら、最大で16名でしょうか。この日の参観者は10名でした。
9時30分になったらガイドさんが来られ、全員外に出てガイドさんのあとを付いて行きます。以前と違って何処に行くのかなぁ・・・と。
以前の「正門」は閉まっています。参観者休所は跡形もなく消えていました。そして「大宮御所御車寄」で案内が始まりました。
大宮御所の玄関で、現在も天皇皇后両陛下や上皇上皇后陛下が入洛されてるときに使用されます。案内はここらスタートとするのは、以前と同じです。
次の案内は、「御常御殿」の前で聞きます。大正年間に内部を洋風に改められ、周りにはガラス戸がはめられているそうです。
次に「御庭口」を通って、「北池(きたいけ)」が見渡せるところで、案内を聞きます。この日は天気が良すぎるぐらい良かったです。北池は、かつての大宮御所女院御所の庭でした。対岸の東山連峰を借景として取り込んでいます。
ここから見る紅葉は絶景でした。今日は天気が良く、東山連峰が眩しくて肉眼では見えなかったです。
ガイドさんが話し終えると次へと向かわれるので付いて行きます。ゆっくり歩かれるので北池の西畔を写真を撮りながら付いて行くと、「阿古瀬淵(あこせがふち)」で止まれました。
ここの北の小高いところに石碑があります。近寄れませんが案内があって、かつての紀貫之の邸宅跡を示す石碑だそうです。
綺麗に整備された沿路をガイドさんのあと歩いて行くと、左手の土堤上に祠が見えました。その「鎮守社」には伊勢神宮、上賀茂神社、下鴨神社、石清水八幡、春日神社の神様が祀られています。自由に出歩けない皇族方のためだそうです。
ここから綺麗な「阿古瀬淵」を見ていると、遠くに「舟着場」が見えてました。舟も停留されていますね。
鎮守社から綺麗な汀線沿いに歩いて行くと、「束橋(鷺橋・土橋)」の前で案内がありました。ここから北池に浮かぶ「鷺島」に入ります。
この木橋は一本の木で支えてて、その仕方が方の束に似ているのことから「束橋」と呼ばれたとか。話の最後に、次の橋は手すりが無いので落ちないようにと案内がありました。
次に北池を見ると、先程最初に案内を聞いていた対岸を見ることができました。池を半周してきたことになります。
9時45分頃、「石橋(白川橋)」を通過しました。手すりはありませんが、結構広いので安心して渡れます。
「石橋(白川橋)」を渡って、暫くしてガイドさんが振り向くと、後続の人たちはとは随分離れてしまったようです。
この辺りには「雌滝」があるようですが、ここからは見えません。また、前方に小さな祠もありましたが案内は無かったです。
「鷺の森」を抜けて、再び西岸に架かる「紅葉橋」を渡ります。この橋は北池と南池の境目にある木橋で、対岸が紅葉山と呼ばれています。
この紅葉橋から初めて「南池」が見えます。遠くに藤棚に覆われている「八つ橋」が見えており後程渡ります。
紅葉橋を渡り左手に「南池」を、正面に「紅葉山」の苑路をガイドさんに付いて歩いて行きます。
「八つ橋」まで来ました。1895年(明治28年)に石橋に掛け替えれ、樹齢が100年以上の藤棚があります。見頃はGWの期間中だそうで、一度は見てみたいです。
ここから振り向くと、先程渡ってきた「紅葉橋」が見えています。以前は、この辺りで10分ばかり休憩があったように記憶していますが、今日は無かったです。
ここから「州浜」も見所の一つです。約11万個の丸石は、小田原藩主が献上するため領民に集めさせた、海岸の丸石を米1升と交換したことから、「一升石(いっしょうせき)」と呼ばれています。
「八つ橋」から見た、「雄滝」です。布落ちの滝で、青い滝添石を持つ水落石から池にしぶきをあげています。
ここに来たらいつも思うことですが、ここの藤が咲き誇る八つ橋を見てみたいです。こんなに晴れた仙洞御所も初めてですし、こんな少人数で回る仙洞御所も初めてですし、外国人参観者の居ない仙洞御所も初めてでした。
6年振りに訪れてた仙洞御所は、参観入口も「正門」から「北門」に変わってたり、「参観者休所」も新しくされてたりして、戸惑うこともありましたが、参観内容については、以前と同じでしたね。ただ何箇所か休憩時間は無かったです。
ガイドさんの話を皆さんと一緒に聞いてて、橋が終えられたので、この「八つ橋」を9時52分に渡りました。
「八つ橋」を渡ると、北側に滝殿跡があります。ただ、どのような建物だったか分かりません。日差しが強かったので「藤棚」の中は涼しかったです。
「八つ橋」を渡った先は、「中島(蓬莱島)」で、ここには釣殿跡がありました。譲位された後水尾天皇が宴を催したと伝わります。ここにある大きな「雪見灯籠」は、寒水石(茨城県産の大理石)で造られ、水戸光圀公からの献上ものだとか。
ここから「南池」の北岸を見ています。「出島」の横には参観不可の「土佐橋」も見えていました。ちょうどサツキの咲く頃、綺麗でした。
ガイドさんに付いてある行くと、遠くに「醒花亭」が見えてきました。あそこが仙洞御所の南端です。
「醒花亭」に着くと、ガイドさんが「振り向いて見て下さい、綺麗ですよ」と言われたので皆さん写真を撮られます。
南池の南岸から桜の馬場沿いの広大な州浜に敷き詰められた丸石・・・「一升石」は美しいです。
ここでも以前のように休憩は無かったです。ただ時間は取られていたので、「醒花亭(せいかてい)」は、北面にして建っている茶亭です。内部は覗くだけでした。
1854年(嘉永7年)に起きた大火によって、「醒花亭」を残して焼失しており、これ以降、居住される上皇がおられないために御殿は再建されず、庭園だけがその面影を残しています。
仙洞御所は、秋の紅葉は見事です。ただ、この辺りの桜も綺麗でした。何も知らずに初めて行ったのが、2007年(平成19年)4月8日で、桜は綺麗でした。
この先に、少し小高い所があります。「さざえ山」と呼ばれており、案内では古墳跡だそうです。
綺麗な州浜を見ながら、北上すると遠くにお社が見えました。そこで案内があって「柿本社」と聞きました。
歌人で知られる柿本人麻呂が祀られている社で、第112代・零元上皇が、度重なる京都御所・仙洞御所の火災から御所を守・・・守り神として勧請したものです。
「柿本社」の前で案内されているガイドさんの奥の林の中・・・ここ御殿があった跡地で、大正天皇・昭和天皇の大嘗祭は、ここで行われたそうです。令和の大嘗祭も、そうですが、そのあと直ぐに取り壊されたので何も残っていません。
この苑路の左側(西側)が、旧仙洞御所の御殿が建っていた所です。天気が良く暑かったけど、再び「紅葉橋」まで戻ってきました。
帰りは、「紅葉橋」を渡りません。そのまま北に進み「紅葉山」や「蘇鉄山」を見ながら、最後の案内地までやって来ました。
最後は茶室「又新亭(ゆうしんてい)」で、1884年(明治17年)に近衛家から献上された茶室です。時間は10時9分になっていました。
上の写真が、「外腰掛(そとこしかけ)」があって、飛び石づたいに茅葺きの「中門」があります。
茶室「又新亭(ゆうしんてい)」は、英照(えいしょう)皇太后(孝明天皇皇后)のたっての希望で移設されたとか。
茶室「又新亭(ゆうしんてい)」の「円窓(えんそう)」の案内がありました。この円い窓は、禅の究極「円相(えんそう)」に通じているとか。
もとは修学院離宮上御茶屋より移築した茶屋「止々斎(ししさい)」がありましたが、前途したとおり火災で焼失しため茶室「又新亭(ゆうしんてい)」が移設されました。
ガイドさんは出て行かれたので、急いで「北池」をもう一度写真に撮ったあと、素晴らしい天気に映える庭園を出て行きました。
急いで戻ると、ガイドさんの話は終わってました。時計は10時16分でした。行きで撮れなかった「大宮御所車寄」を撮って、参観者休所に戻りましたね、参観時間は約40分・・・過去と同じでした。
休憩所に置いてあった荷物を取りに戻り、トイレ休憩をしたあと出て行きました。出ると私らが最後だったようで、皇宮警察の方が、直ぐに「北門」を閉められました・・・早っ。
暑さで、少々お疲れ気味で「清和院駐車場」に戻って、出て行きました。時間は、9時00分から10時28分。3時間で800円でした。
久しぶりの仙洞御所は、綺麗でした。何度か来てる仙洞御所で、快晴は初めてでしょうね、いつも雨降りでしたから。この先も新型コロナウイルス感染を注意しながら、ボチボチ京都を散策していきたいと思っています。以前のような賑わいはまだまだ先でしょう。
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