松尾大社の摂社 月読神社へ
5月8日(金)は、お昼前に所用があったので、それまで時間があったので、松尾大社の摂社である月読神社(つきよみじんじゃ)に行きました。
前途したとおり所用があるので車で向かい、松尾大社の駐車場に車を入れました。最近では2015年(平成27年)12月に来ているので、多分、3回目の訪問だと思います。
駐車場を出て、南にほぼまっすぐ下っていくと、約5分ぐらいで月読神社に着きました。
平日でも、テレワークが増えたのか、ここの前の道を多くとは言えませんが散歩されています。でも、この鳥居をくぐるのは私だけでした。
朱塗りの明神鳥居をくぐり、石段を上がり「中門」から境内に入りました。境内には前回と同様、何故かテントがありましたね、理由は不明ですが。
境内の中央には「拝殿」があって、その先に本殿があるようです・・・が、手水舎がありません。
手水の代わりに、ここには「穢解(かいわい)の水」があって、柄杓も置いてありますが、肝心の水がありません。
松尾の山から24時間、湧き水が「穢解(かいわい)の池」に貯められ、こちらに流れてくる筈が、新型コロナウイルスの影響でしょうね。
月読神社境内は、1993年(平成5年4月1日)に、京都市指定史跡に指定されました。江戸時代に再建された「本殿」に、御祭神の月読尊(つきよみのみこと)が祀られています。
月読神社は延喜式では名神大社の一つに数 えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。文献によれば、487年(顕宗天皇3年) 阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊(つきよみのみこと)がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)の地に社を創建したとされ、856年(斎衡3年)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝わります。境内には、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な 意味をもつ神社であるといえます。
本殿にお参りしたあとは、京都市指定史跡に指定されている境内を散策していきます。
最初は、「御船社(みふねしゃ)」から。御祭神は天鳥船命(あまのとりふねのみこと)。航海安全・交通安全の守護紳で、松尾大社の神幸祭の際、御旅所へ渡御するにあたり、道中の安全を祈願する祭祀が行われます。
こちらは「願掛け陰陽石(いんようせき)」です。左右の石を撫でて祈願します。私も撫でてきました。
今までが、「本殿」を挟んで南側でしたが、次に北側に移動して散策します。写真中央に拝殿が、そして中門が見えています。
最初は、少し引いて撮影した「むすびの木」です。こちらの御神木かも知れませんね。縁結び・恋愛成就のご利益があるそうです。
こちらは「聖徳太子社(しょうとくたいししゃ)」です。学問の神様として聖徳太子を祀られています。月読命を尊崇した聖徳太子の徳を称えて祀られたと伝わっています。
最後が「月延石(つきのべいし)」と呼ばれる石で、「安産石」とも呼ばれています。神功皇后が安産を願って腹を撫でた石だとか。現在は戌の日に安産の特別祈祷をを行っており、祈祷後に安産祈願石に名前を書き、月延石の前に供える信仰があるそうです。
「本殿」と「聖徳太子社」との間に、石碑があって読もうとしたんですが、文字が掠れてて・・・これは分からないです。
既に、御朱印と由緒書きはいただいているので、用はありませんが「社務所」に寄りました。不在のようですが、ベルを押したから出て来られます。
ただ、ここは人は居ても御朱印は、置き書きだけです。由緒書きは有料ですが、御朱印をいただいたらオマケで付けてくれます。
ここには7分ぐらいで、出て行きました。この前の児童公園には子供らが遊んでいますが、ここには誰も来られませんでした。
この日は天気が良かったので、もう汗が出てきました。ここから車を置いてある松尾大社の駐車場に戻りました。
【月読神社】
前途したとおり所用があるので車で向かい、松尾大社の駐車場に車を入れました。最近では2015年(平成27年)12月に来ているので、多分、3回目の訪問だと思います。
駐車場を出て、南にほぼまっすぐ下っていくと、約5分ぐらいで月読神社に着きました。
平日でも、テレワークが増えたのか、ここの前の道を多くとは言えませんが散歩されています。でも、この鳥居をくぐるのは私だけでした。
朱塗りの明神鳥居をくぐり、石段を上がり「中門」から境内に入りました。境内には前回と同様、何故かテントがありましたね、理由は不明ですが。
境内の中央には「拝殿」があって、その先に本殿があるようです・・・が、手水舎がありません。
手水の代わりに、ここには「穢解(かいわい)の水」があって、柄杓も置いてありますが、肝心の水がありません。
松尾の山から24時間、湧き水が「穢解(かいわい)の池」に貯められ、こちらに流れてくる筈が、新型コロナウイルスの影響でしょうね。
月読神社境内は、1993年(平成5年4月1日)に、京都市指定史跡に指定されました。江戸時代に再建された「本殿」に、御祭神の月読尊(つきよみのみこと)が祀られています。
月読神社は延喜式では名神大社の一つに数 えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島において海上の神として奉斎されたものです。文献によれば、487年(顕宗天皇3年) 阿閉臣事代(あべのおみことしろ)が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月読尊(つきよみのみこと)がよりついて託宣をしたので、これを天皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田(うたあらすだ)の地に社を創建したとされ、856年(斎衡3年)に松尾山南麓の現在の地に移ったと伝わります。境内には、江戸時代に建てられた本殿、拝殿を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成されています。月読神社が京都へもたらされるにあたっては渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係する秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な 意味をもつ神社であるといえます。
本殿にお参りしたあとは、京都市指定史跡に指定されている境内を散策していきます。
最初は、「御船社(みふねしゃ)」から。御祭神は天鳥船命(あまのとりふねのみこと)。航海安全・交通安全の守護紳で、松尾大社の神幸祭の際、御旅所へ渡御するにあたり、道中の安全を祈願する祭祀が行われます。
こちらは「願掛け陰陽石(いんようせき)」です。左右の石を撫でて祈願します。私も撫でてきました。
今までが、「本殿」を挟んで南側でしたが、次に北側に移動して散策します。写真中央に拝殿が、そして中門が見えています。
最初は、少し引いて撮影した「むすびの木」です。こちらの御神木かも知れませんね。縁結び・恋愛成就のご利益があるそうです。
こちらは「聖徳太子社(しょうとくたいししゃ)」です。学問の神様として聖徳太子を祀られています。月読命を尊崇した聖徳太子の徳を称えて祀られたと伝わっています。
最後が「月延石(つきのべいし)」と呼ばれる石で、「安産石」とも呼ばれています。神功皇后が安産を願って腹を撫でた石だとか。現在は戌の日に安産の特別祈祷をを行っており、祈祷後に安産祈願石に名前を書き、月延石の前に供える信仰があるそうです。
「本殿」と「聖徳太子社」との間に、石碑があって読もうとしたんですが、文字が掠れてて・・・これは分からないです。
既に、御朱印と由緒書きはいただいているので、用はありませんが「社務所」に寄りました。不在のようですが、ベルを押したから出て来られます。
ただ、ここは人は居ても御朱印は、置き書きだけです。由緒書きは有料ですが、御朱印をいただいたらオマケで付けてくれます。
ここには7分ぐらいで、出て行きました。この前の児童公園には子供らが遊んでいますが、ここには誰も来られませんでした。
この日は天気が良かったので、もう汗が出てきました。ここから車を置いてある松尾大社の駐車場に戻りました。
【月読神社】
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