源氏物語の宮 野宮神社へ
京都らしい竹林の小経を下っていくと、野宮神社に出会います。ここも、2月15日(土)に来ています。JR嵯峨嵐山駅にお二人を迎えに行って、最初に案内させてもらったのが野宮神社でした。
竹林の小経でも殆ど出会うことなく、ここまで来たので、ここも誰も居ません・・・が、神職さんらが境内の清掃をされていました。
先ずは、「黒木鳥居」と呼ばれるクヌギの樹皮のついたままの鳥居をくぐって、境内に入ります。この鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものらしいです。
野宮神社には、いくつかの社殿がありますが、本殿は正面にあります。私は黒木鳥居をくぐって左手に進みます。
そこには「龍神の井戸」があって、井戸に鎮まる龍神大神は健康・長寿・病気全快の御利益あるとか。ただ、今は注意書きがあって、次亜塩素酸ナトリウムを入れているため飲用禁止となっていました。手だけを清めます。
この「水盤」も、新型コロナウイルスの影響が出ていました。多くの神社では柄杓が撤去されてますが、ここには置いてありました。理由は、それだったんですね。
こちらは「禊・祓・清浄 御祈願」と書かれており、迷惑行為など祓いたい、清めたい事柄を祈祷用紙に記入し、水面にコインを乗せて浮かべてください。一枚300円とありました。
さらに右に移動して、こちはら「神石(亀石)」と書かれており、祈りを込めて撫でると願いごとが叶うそうです。
そのお隣の小さな社殿が「野宮大黒天」でした。開運・縁結び・神学など良縁結婚の縁結びの神様として参拝さる人が多いです。野宮神社では、縁結びで有名です。この小さな社殿にお参りする方が多いわけですね。
そして本殿の左隣にあるのが「白峰弁財天」です。御利益は、財運・芸能上達の神様だそうです。
こちらが境内の中央にある「本殿」です。御祭神は、野宮大神(天照皇大神)で、健康と知恵授けの神様だそうです。
この時、7時10分頃。もちろん「社務所」には誰も居ません。ここの御朱印は、以前いただきました。
1980年(昭和55年)3月18日に現在の天皇陛下、当時の皇太子殿下が、1994年(平成6年)2月12日に秋篠宮殿下が御参拝された祈念碑が立っています。
そして、その奥(本殿の右側)には「愛宕社」があって、愛宕大神が祀られています。御利益は鎮火勝運です。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、毎年5月には嵯峨祭が行われ、愛宕、野宮両神社の祭礼です。神輿(2基)、剣鉾(5本)、稚児行列が嵯峨一帯を巡る予定でしたが、残念でした。
さらに奥に進みます。早朝でも参拝に来られる人はいましたね。この鳥居には「白福稲荷大明神」の扁額が架かっています。
この奥には「野宮のじゅうたん苔」と呼ばれる綺麗な苔があります。まだ早朝ですが、昼間でもほの暗いのが良いのかも知れません。
奥に進み最初の鳥居と社殿には「白福稲荷大明神」が祀られています。御利益は、子宝安産、商売繁盛です。
その手前の石碑には、「野宮の 竹美しや 春しぐれ」と書かれています。嵯峨野俳句会主宰の村山古郷氏の俳句でした。
先程の白福稲荷大明神の右側(北側)には「大山弁財天」が祀られています。御利益は交通安全、財運向上と書いてありました。
境内のもっとも奥に小さな社殿が2つあります。しかし、案内も何も書いてないので不明です。
帰りに、きれいな「野宮じゅうたん苔」を撮りました。淡い緑が美しく、嵐山の風景を表現した苔のお庭です。苔庭にある石碑には「斎宮舊址」と書かれていました。
この神社の周りには、小柴垣があって、黒木鳥居とともに、往時の嵯峨野の清らかな風情が偲ばれます。
野宮神社は、伊勢神宮に奉仕する内親王が潔斎(けっさい)のため居住された跡で、現在社殿が3つあります。中央には天照大神を祀る本殿が、左右に愛宕、弁財天が祀られています。歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮といいました。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で、1年余り潔斎されてから、この野宮に移り、3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたといいます。その時の行列を斎王群行きといいました。斎宮は第11代垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後、斎王制度は第96代後醍醐天皇の時代・南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきます。源氏物語、謡曲野宮でも有名な野宮神社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れています。
早朝でも、この前を地元の人たちが散歩されています。この前も竹藪が広がっており、昼間でもほの暗いない、帰路につきました。
この日は、訳あって8時までには帰る必要があったので、余裕で間に合いました。ぼちぼち暑くなってきので散歩のときは、タオルと水が必需品になってきました。この日も結構汗をかいたので、帰ってからシャワーを浴びました。
【野宮神社】
竹林の小経でも殆ど出会うことなく、ここまで来たので、ここも誰も居ません・・・が、神職さんらが境内の清掃をされていました。
先ずは、「黒木鳥居」と呼ばれるクヌギの樹皮のついたままの鳥居をくぐって、境内に入ります。この鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものらしいです。
野宮神社には、いくつかの社殿がありますが、本殿は正面にあります。私は黒木鳥居をくぐって左手に進みます。
そこには「龍神の井戸」があって、井戸に鎮まる龍神大神は健康・長寿・病気全快の御利益あるとか。ただ、今は注意書きがあって、次亜塩素酸ナトリウムを入れているため飲用禁止となっていました。手だけを清めます。
この「水盤」も、新型コロナウイルスの影響が出ていました。多くの神社では柄杓が撤去されてますが、ここには置いてありました。理由は、それだったんですね。
こちらは「禊・祓・清浄 御祈願」と書かれており、迷惑行為など祓いたい、清めたい事柄を祈祷用紙に記入し、水面にコインを乗せて浮かべてください。一枚300円とありました。
さらに右に移動して、こちはら「神石(亀石)」と書かれており、祈りを込めて撫でると願いごとが叶うそうです。
そのお隣の小さな社殿が「野宮大黒天」でした。開運・縁結び・神学など良縁結婚の縁結びの神様として参拝さる人が多いです。野宮神社では、縁結びで有名です。この小さな社殿にお参りする方が多いわけですね。
そして本殿の左隣にあるのが「白峰弁財天」です。御利益は、財運・芸能上達の神様だそうです。
こちらが境内の中央にある「本殿」です。御祭神は、野宮大神(天照皇大神)で、健康と知恵授けの神様だそうです。
この時、7時10分頃。もちろん「社務所」には誰も居ません。ここの御朱印は、以前いただきました。
1980年(昭和55年)3月18日に現在の天皇陛下、当時の皇太子殿下が、1994年(平成6年)2月12日に秋篠宮殿下が御参拝された祈念碑が立っています。
そして、その奥(本殿の右側)には「愛宕社」があって、愛宕大神が祀られています。御利益は鎮火勝運です。
今年は新型コロナウイルスの影響で中止となりましたが、毎年5月には嵯峨祭が行われ、愛宕、野宮両神社の祭礼です。神輿(2基)、剣鉾(5本)、稚児行列が嵯峨一帯を巡る予定でしたが、残念でした。
さらに奥に進みます。早朝でも参拝に来られる人はいましたね。この鳥居には「白福稲荷大明神」の扁額が架かっています。
この奥には「野宮のじゅうたん苔」と呼ばれる綺麗な苔があります。まだ早朝ですが、昼間でもほの暗いのが良いのかも知れません。
奥に進み最初の鳥居と社殿には「白福稲荷大明神」が祀られています。御利益は、子宝安産、商売繁盛です。
その手前の石碑には、「野宮の 竹美しや 春しぐれ」と書かれています。嵯峨野俳句会主宰の村山古郷氏の俳句でした。
先程の白福稲荷大明神の右側(北側)には「大山弁財天」が祀られています。御利益は交通安全、財運向上と書いてありました。
境内のもっとも奥に小さな社殿が2つあります。しかし、案内も何も書いてないので不明です。
帰りに、きれいな「野宮じゅうたん苔」を撮りました。淡い緑が美しく、嵐山の風景を表現した苔のお庭です。苔庭にある石碑には「斎宮舊址」と書かれていました。
この神社の周りには、小柴垣があって、黒木鳥居とともに、往時の嵯峨野の清らかな風情が偲ばれます。
野宮神社は、伊勢神宮に奉仕する内親王が潔斎(けっさい)のため居住された跡で、現在社殿が3つあります。中央には天照大神を祀る本殿が、左右に愛宕、弁財天が祀られています。歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮といいました。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で、1年余り潔斎されてから、この野宮に移り、3年間の潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたといいます。その時の行列を斎王群行きといいました。斎宮は第11代垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後、斎王制度は第96代後醍醐天皇の時代・南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されていましたが、時代の混乱の中で衰退していきます。源氏物語、謡曲野宮でも有名な野宮神社は、嵯峨野巡りの起点として多くの方が訪れています。
早朝でも、この前を地元の人たちが散歩されています。この前も竹藪が広がっており、昼間でもほの暗いない、帰路につきました。
この日は、訳あって8時までには帰る必要があったので、余裕で間に合いました。ぼちぼち暑くなってきので散歩のときは、タオルと水が必需品になってきました。この日も結構汗をかいたので、帰ってからシャワーを浴びました。
【野宮神社】
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