菅原道真公誕生の地 菅原院天満宮神社へ
午前中に、梅宮大社でアジサイを見て、昼から所用のため府庁前に14時にやって来ました。ただ14時30分が約束の時間だっため、2016年(平成28年)8月22日来てなかった、菅原院天満宮神社に行ってみました。
ここには、折りたたみの傘とペットボトルのお茶を持参して来ました。気温よりも湿気が高く、もう汗だくです。
境内に入る前、烏丸通沿いに「菅家邸址」と書かれた石碑がありました。この地は、菅原氏三代の邸宅「菅原院」があった場所で、菅原道真の父是善ら祖父清公以来三代が居住し、道真生誕の地と伝えられています。
境内に入ると南側に「手水舎」があって、ここには柄杓が置いてありましたね、最近訪れた神社では珍しいです。
小さな境内の南に向いて「本殿」が建っています。御祭神は、菅原道真(すがわらの みちざね)公とその父・菅原是善(すがわらの これよし)卿、祖父・菅原清公(すがよらの きよきみ)卿の菅原氏三代が祀られています。
ここに柄杓がありましたし、拝所には鈴緒(すずお)もありました。柄杓は使いませんでしたが、鈴緒は使いました。戻ってから手指消毒はしましたが・・・。
4年前に来てから一度もお参りに来てなかったので、ほぼ忘れています。境内には誰も居ないので、散策することに。
先ずは北側からで「地蔵社」で、ご祭神は天道大日如来(出世石神)でした。また、その南には「地蔵尊」が祀られており、御利益が諸病平癒、子供守護とありました。
右から「和融(わゆう)稲荷社」で、御祭神は、稲荷大神。御利益が商売繁盛、五穀豊穣、開運、酒造、交通安全。その南側が「梅丸大神社」で、御祭神は梅丸大神。御利益は、がん封じ、皮膚病(できものなど)とありました。
お参りの作法は、①手を合わせてお参りします。②手で石を撫でます。③身体の悪い所を摩ります。
こちらの石碑には「天満宮御寵愛燈籠」と書かれています。道真公が生まれたのが845年(承和12年)で、約1200年前・・・真意は分かりませんが・・・。
最後が「戸隠社」で、御祭神が戸隠大神(天手力男命・あめのたじからおのみこと)と九頭竜大神でした。
「本殿」の右側(東側)に、このような石碑がありました。「菅公聖蹟二十五拝の第1番札所」と読み取れます。私は知ってましたが、全て回るのは無理だとおもうので、早々に断念しています。
この神社の見所は、他にあってそれが境内の東側にあります。それが「菅原道真公産湯の井戸」です。道真が生まれた時、この井戸の水を使われたと伝わります。
ここの御朱印は、2016年(平成28年)8月22日にいただいています。「社務所」には神職さんが在住されていたようです。
本殿の西側にも、小さな社がありました。ただ近寄れないので社名や御祭神は分かりません。
2016年(平成28年)8月22日の初訪問の時には、外国人観光客が多かった境内も、この日は私以外は誰も居ません。蒸し暑いので足早に戻りました。
京都市内には、菅大臣神社や吉祥院天満宮、そして菅原院天満宮神社が菅公誕生の地と言われています。平安時代のことで、詳細は分からないのでしょうけどね、巡って実際に見てみるも良いかと思います。
【菅原院天満宮神社】
ここには、折りたたみの傘とペットボトルのお茶を持参して来ました。気温よりも湿気が高く、もう汗だくです。
境内に入る前、烏丸通沿いに「菅家邸址」と書かれた石碑がありました。この地は、菅原氏三代の邸宅「菅原院」があった場所で、菅原道真の父是善ら祖父清公以来三代が居住し、道真生誕の地と伝えられています。
境内に入ると南側に「手水舎」があって、ここには柄杓が置いてありましたね、最近訪れた神社では珍しいです。
小さな境内の南に向いて「本殿」が建っています。御祭神は、菅原道真(すがわらの みちざね)公とその父・菅原是善(すがわらの これよし)卿、祖父・菅原清公(すがよらの きよきみ)卿の菅原氏三代が祀られています。
ここに柄杓がありましたし、拝所には鈴緒(すずお)もありました。柄杓は使いませんでしたが、鈴緒は使いました。戻ってから手指消毒はしましたが・・・。
4年前に来てから一度もお参りに来てなかったので、ほぼ忘れています。境内には誰も居ないので、散策することに。
先ずは北側からで「地蔵社」で、ご祭神は天道大日如来(出世石神)でした。また、その南には「地蔵尊」が祀られており、御利益が諸病平癒、子供守護とありました。
右から「和融(わゆう)稲荷社」で、御祭神は、稲荷大神。御利益が商売繁盛、五穀豊穣、開運、酒造、交通安全。その南側が「梅丸大神社」で、御祭神は梅丸大神。御利益は、がん封じ、皮膚病(できものなど)とありました。
お参りの作法は、①手を合わせてお参りします。②手で石を撫でます。③身体の悪い所を摩ります。
こちらの石碑には「天満宮御寵愛燈籠」と書かれています。道真公が生まれたのが845年(承和12年)で、約1200年前・・・真意は分かりませんが・・・。
最後が「戸隠社」で、御祭神が戸隠大神(天手力男命・あめのたじからおのみこと)と九頭竜大神でした。
「本殿」の右側(東側)に、このような石碑がありました。「菅公聖蹟二十五拝の第1番札所」と読み取れます。私は知ってましたが、全て回るのは無理だとおもうので、早々に断念しています。
この神社の見所は、他にあってそれが境内の東側にあります。それが「菅原道真公産湯の井戸」です。道真が生まれた時、この井戸の水を使われたと伝わります。
ここの御朱印は、2016年(平成28年)8月22日にいただいています。「社務所」には神職さんが在住されていたようです。
本殿の西側にも、小さな社がありました。ただ近寄れないので社名や御祭神は分かりません。
2016年(平成28年)8月22日の初訪問の時には、外国人観光客が多かった境内も、この日は私以外は誰も居ません。蒸し暑いので足早に戻りました。
京都市内には、菅大臣神社や吉祥院天満宮、そして菅原院天満宮神社が菅公誕生の地と言われています。平安時代のことで、詳細は分からないのでしょうけどね、巡って実際に見てみるも良いかと思います。
【菅原院天満宮神社】
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