旧九条家のお茶室「拾翠亭」へ
京都御苑内の南側に「拾翠亭」しゅうすいてい)があって、金曜日と土曜日に一般公開されています。そして、この日は金曜日、当初から行く予定にしてましたが、午前中に訪れた天龍寺でも雨降りだったように、お昼になっても断続的に強い雨が降ってきます。先週と同様に、14時30分から用事があるので、この日も府庁前にやって来ました。そして、小雨のときに着いたので、この好きを狙って予定通り「拾翠亭」に向かいましたが、途中から土砂降りに・・・。
拾翠亭には2012年(平成24年)10月27日に来ているので2度目です。あれから8年もたっているので、殆ど覚えてません。
久し振りに来たので、入口を忘れていました。看板の右側は京都御苑内の通路で、左側を進みます。
普段は閉まっている門も開いてます。こんなに雨にが降っているので、誰も居ないだろうなぁ・・・と思い、門をくぐると・・・。
何故か拾翠亭から数名の声が聞こえますが、近づいて下駄箱を見ると、靴がありません。
玄関を入って右手に受付があって、「靴と傘を下駄箱にそれぞれ入れておいて下さい」と声を掛けられました。その通りにして、参観料100円を払うと「こんな雨にありがございます」と言われました。府庁前から歩いて10分ぐらいでしたが、土砂降りのため服は濡れました。
受付を済ませて部屋に入る前「写真は何処を撮ってもらっても結構です」と案内がありました。その最初の部屋は「控えの間」です。
次が「広間」です。予想通り「控えの間」「広間」ともに誰も居ませんでした。ただ外から声は聞こえてますが・・・。
手前が十畳の「広間」の茶室。奥が七畳の「控えの間」です。当時の公家が主に茶会や歌会などの社交の場として利用されました。
こちらは、後で紹介する広縁から見た「広間」「控えの間」そして「玄関」を見ています。人が座っている所が「参観受付所」でした。
こちらの掛け軸、8年前と変わって無かったです。京都西陣の織屋井関妙侍に茶会へ同行しようと、誘って宛てた書状だそうです。
次は「広間」から、外を見ています。拾翠亭は、九條池に面して建っているので、次に「広縁」に出て見ます。
「広間」の東側、九條池に向かって開放されている広い縁。座布団が用意されているので、雨に煙る九條池を暫く眺めていました。
広縁(ひろえん)から遠くにある「四阿」を見ています。手前には「手水鉢」もありました。この時は、忘れてましたが、あとで庭も散策できます。
九條池に架かる「高倉橋」を見ています。この立派な反橋にも人は居ません。1882年(明治15年)の竣工だそうです。
九條池は、江戸時代後期の築造りと考えられ、西寄りに中島があり、そこには厳島神社が祀られています。九條家の鎮守の社で平清盛の母祇園女御のため安芸の厳島神社を勧請したのが始まりだと伝わります。
次に「広間」の北側に位置する「小間」です。内部には入れません。公家は「広間」「小間」の二つの茶室を行き来しながら茶事を楽しまれたようです。
こちらの先に「四阿」があって、路地庭園があるのでしょう・・・と思い覗いて見ましたが・・・。
奥の右側が「小間」で、正面の先に「四阿」があります。次に受付で言われた2階へ上がろうと思ったてんすが、その階段が分からない・・・。
それで受付まで聞きに戻ったら、先程通過してました。次に2階からの眺望を楽しみます。
2階「座敷」です。二間半四方のゆったりした座敷となっています。外回りには北、東、南の三方に高高欄がめぐらされています。
2階は、一部屋だけでしたね。さほど広くないので、誰も居ないのは良かったです。次に2階からの景色を楽しみます。
今日は、雨降りのため遠くは見えませんが、東の彼方にある東山や大文字山を借景に取り込まれていますが、今は木々で見えないそうです。
ここに入る時に、人の話す声が聞こえてきた原因が分かりました。2階から下を覗くと4~5名の方がお庭を散策されていました。私と入替だったんですね、ラッキーです。
パンフに載っていたので、注目したのが、二階の格子窓にある「丁子七宝」です。読み方及び意味は分かりません。
2階も、けっこうゆっくりし、写真も結構撮れたので下に降りてきました。そして再び1階を一通り回って受付まで行ってみると・・・。
ここを出ようしたら受付の方より「お庭も散策できるで見ていって下さい」と言われました。すっかり忘れてましたが、8年前も散策してました。
玄関を出て、右にいくか左に行くかは自由です。私は左を選択しました。ここを入れば拾翠亭の全景が見える筈です。
この風景を受付の方に言われて思い出しました。ここから唯一拾翠亭の全景が見られます。
拾翠亭の南側の苑路を結界まで歩いて行きます。ここから中島にある「厳島神社」が見えました。
雨に煙る新緑も綺麗です。結界があるので、そこまで行ってから折り返して来ました。拾翠亭を見ても誰も来られてないようすです。
次に、もう一度玄関前を通って、今度は玄関を通り越して奥に進みます。こちら側の記憶が無かったので、帰ってから前回撮った写真を見て確認した次第です。
玄関を過ぎて、最初に見るのは、拾翠亭の北側、先程内部を見た「小間」の裏手に出た訳です。
拾翠亭の裏手を見ながら、奥に進むと「四阿」が見えて来ました。この記憶が無かったので、帰ってから確かめました。
雨が降っているので、この「四阿」で休憩しました。ここからも九條池は見えましたが、高倉橋には人が通っています。傘を差しながら・・・。
ここには14時17分に出て行きました。14時30分には戻る必要があるので、ギリギリの時間です。帰りも雨は降り続いていました。
2012年(平成24年)10月27日以来の訪問で、忘れていたことも多かったです。当初の予定では、もっと早く着いて、京都御所も参観する予定でしたが、天候には勝てません。ここから急いで戻り、なんとか14時30分までに帰れました。
【拾翠亭】
拾翠亭には2012年(平成24年)10月27日に来ているので2度目です。あれから8年もたっているので、殆ど覚えてません。
久し振りに来たので、入口を忘れていました。看板の右側は京都御苑内の通路で、左側を進みます。
普段は閉まっている門も開いてます。こんなに雨にが降っているので、誰も居ないだろうなぁ・・・と思い、門をくぐると・・・。
何故か拾翠亭から数名の声が聞こえますが、近づいて下駄箱を見ると、靴がありません。
玄関を入って右手に受付があって、「靴と傘を下駄箱にそれぞれ入れておいて下さい」と声を掛けられました。その通りにして、参観料100円を払うと「こんな雨にありがございます」と言われました。府庁前から歩いて10分ぐらいでしたが、土砂降りのため服は濡れました。
受付を済ませて部屋に入る前「写真は何処を撮ってもらっても結構です」と案内がありました。その最初の部屋は「控えの間」です。
次が「広間」です。予想通り「控えの間」「広間」ともに誰も居ませんでした。ただ外から声は聞こえてますが・・・。
手前が十畳の「広間」の茶室。奥が七畳の「控えの間」です。当時の公家が主に茶会や歌会などの社交の場として利用されました。
こちらは、後で紹介する広縁から見た「広間」「控えの間」そして「玄関」を見ています。人が座っている所が「参観受付所」でした。
こちらの掛け軸、8年前と変わって無かったです。京都西陣の織屋井関妙侍に茶会へ同行しようと、誘って宛てた書状だそうです。
次は「広間」から、外を見ています。拾翠亭は、九條池に面して建っているので、次に「広縁」に出て見ます。
「広間」の東側、九條池に向かって開放されている広い縁。座布団が用意されているので、雨に煙る九條池を暫く眺めていました。
広縁(ひろえん)から遠くにある「四阿」を見ています。手前には「手水鉢」もありました。この時は、忘れてましたが、あとで庭も散策できます。
九條池に架かる「高倉橋」を見ています。この立派な反橋にも人は居ません。1882年(明治15年)の竣工だそうです。
九條池は、江戸時代後期の築造りと考えられ、西寄りに中島があり、そこには厳島神社が祀られています。九條家の鎮守の社で平清盛の母祇園女御のため安芸の厳島神社を勧請したのが始まりだと伝わります。
次に「広間」の北側に位置する「小間」です。内部には入れません。公家は「広間」「小間」の二つの茶室を行き来しながら茶事を楽しまれたようです。
こちらの先に「四阿」があって、路地庭園があるのでしょう・・・と思い覗いて見ましたが・・・。
奥の右側が「小間」で、正面の先に「四阿」があります。次に受付で言われた2階へ上がろうと思ったてんすが、その階段が分からない・・・。
それで受付まで聞きに戻ったら、先程通過してました。次に2階からの眺望を楽しみます。
2階「座敷」です。二間半四方のゆったりした座敷となっています。外回りには北、東、南の三方に高高欄がめぐらされています。
2階は、一部屋だけでしたね。さほど広くないので、誰も居ないのは良かったです。次に2階からの景色を楽しみます。
今日は、雨降りのため遠くは見えませんが、東の彼方にある東山や大文字山を借景に取り込まれていますが、今は木々で見えないそうです。
ここに入る時に、人の話す声が聞こえてきた原因が分かりました。2階から下を覗くと4~5名の方がお庭を散策されていました。私と入替だったんですね、ラッキーです。
パンフに載っていたので、注目したのが、二階の格子窓にある「丁子七宝」です。読み方及び意味は分かりません。
2階も、けっこうゆっくりし、写真も結構撮れたので下に降りてきました。そして再び1階を一通り回って受付まで行ってみると・・・。
ここを出ようしたら受付の方より「お庭も散策できるで見ていって下さい」と言われました。すっかり忘れてましたが、8年前も散策してました。
玄関を出て、右にいくか左に行くかは自由です。私は左を選択しました。ここを入れば拾翠亭の全景が見える筈です。
この風景を受付の方に言われて思い出しました。ここから唯一拾翠亭の全景が見られます。
拾翠亭の南側の苑路を結界まで歩いて行きます。ここから中島にある「厳島神社」が見えました。
雨に煙る新緑も綺麗です。結界があるので、そこまで行ってから折り返して来ました。拾翠亭を見ても誰も来られてないようすです。
次に、もう一度玄関前を通って、今度は玄関を通り越して奥に進みます。こちら側の記憶が無かったので、帰ってから前回撮った写真を見て確認した次第です。
玄関を過ぎて、最初に見るのは、拾翠亭の北側、先程内部を見た「小間」の裏手に出た訳です。
拾翠亭の裏手を見ながら、奥に進むと「四阿」が見えて来ました。この記憶が無かったので、帰ってから確かめました。
雨が降っているので、この「四阿」で休憩しました。ここからも九條池は見えましたが、高倉橋には人が通っています。傘を差しながら・・・。
ここには14時17分に出て行きました。14時30分には戻る必要があるので、ギリギリの時間です。帰りも雨は降り続いていました。
2012年(平成24年)10月27日以来の訪問で、忘れていたことも多かったです。当初の予定では、もっと早く着いて、京都御所も参観する予定でしたが、天候には勝てません。ここから急いで戻り、なんとか14時30分までに帰れました。
【拾翠亭】
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