福田美術館「若冲誕生 〜葛藤の向こうがわ〜」へ
6月8日(月)は、福田美術館「若冲誕生 〜葛藤の向こうがわ〜」に行きました。6月5日(金)に、 嵯峨嵐山文華館で福田美術館のセット券を購入したので、8日の天気が良かったことから 10時の開館に間に合うように家から歩いて向かいました。
予定では10時の3分前に着く予定でしたが、途中で道路工事中による通行止めに遭い5分も遠回りすることに・・・でも、福田美術館には10時ちょうどに着きました。平日だし嵐山の観光客も少ないこともあって、着いてから驚きの光景を見ることに・・・。
私は10時着いたので、ちょうど入館が始まったところでした。ただ行列が建物の裏側まで伸びているとは・・・約20名以上が並ばれていましたね、若冲ファンをなめてました。
これは帰りに撮った写真です。行きは着くと直ぐに並んだことと・・・汗を拭くためマスクを外すと、ゴム紐が切れてしまうというハプニング・・・マスクが無かったら入れて貰えない・・・。
マスクが無かってもタオルで口を覆っていたら大丈夫とのことですが、それなら写真が撮れない・・・でも、鞄の中に予備マスクがあったので幸いでした。
チケットはありますが、先ずは並びます。当然、三密ですが、仕方ないですね。そして受付で非接触型で体温測定されますし、嵯峨嵐山文華館と同様、名前と電話番号、住所(区まで)を書きます。もし新型コロナウイルスの感染者が出た場合の措置で、何も無ければ2週間後に廃棄されてます。そして、いよいよ展示室に向かいます。
私の前に、20数名の方が先に展示室に入られているので、ガラガラは期待できません。ここは写真が撮れるので空いてる所から見ていこう・・・と。
右から「寒山拾得(かんざんじっとく)図」「松に鸚鵡(おうむ)図」「花卉双鶏図」全て、前期のみの展示。
右から「金棒図」(白隠慧鶴)、以下、伊藤若冲の作品で、「普賢菩薩像」(前期のみ)「雲龍図」(前・後期展示)でした。
「達磨像」「臨済義玄像」「徳山宣鑑(とくざんせんがん)像」中国禅宗の祖とされるインドの僧達磨と唐代の禅僧臨済義玄、徳山鑑像を描いた作品。前期のみの展示で若冲外の作品。
「松竹梅鶴亀図」で、熊斐(ゆひ)(1712~1773)の作品。熊斐は長崎で活躍した画家でした。前期のみの展示。
「群鶴図」は、佚山(いつざん)の作品。佚山は大坂で生まれ、京や大坂で活躍した曹洞宗の僧です。前期のみの展示。
「蕪に双鶏図」で、蕪畑(かぶらばたけ)のなかに番の鶏を描いた作品。前・後期展示。
「蟹・牡丹図」で、衝立の表裏に蟹と牡丹(ボタン)が描かれています。前・後期展示。
「芦葉達磨図」で、禅宗の開祖である達磨が一本の葦に乗って揚子江を渡ったという逸話を描いた作品。前・後期展示。
「柳に鴉図」で、菱形をした鴉の胴体の中央にある淡い墨は、水墨画で描いた若冲の鳥の特徴です。前期のみの展示。
「玉蜀黍図」は、真っ黒な墨で玉蜀黍(トウモロコシ)の葉をうねるように描いた作品。前期のみの展示。
左から「柳に鶏図」と「雨桶(あまどい)に雄鶏(おんどり)図」で、ともに前期のみの展示。
1階の展示室の作品は、以上です。若冲ファンの多さには驚かされますが、これって三密じゃないの・・・と思ってしまいますが・・・。
伊藤若冲(1716~1800)は、京都錦小路にある青物問屋「枡屋」の長男として生まれました。23歳のとき、亡くなった父に代わり家業を継ぎます。30代で家業のかたわら描いた絵には、独自の感性による表現が感じられます。家業を続けるのか、絵に専念するのかという葛藤に苦しんでいた若冲を解放したのは、彼の絵の才能を見いだし、精神的に支えた大典禅師をはじめとする禅僧や支援者たちでした。彼らが若冲やその家族を援助し励ましたことで、40歳で家業を弟に譲り、絵を描くことに専念します。
この展覧会で紹介された文章です。この展覧会を始まる前から楽しみにしていたところ、新型コロナウイルスの影響で途中中断したりして、やっと本日行けました。後編は2階と3階を紹介します。
予定では10時の3分前に着く予定でしたが、途中で道路工事中による通行止めに遭い5分も遠回りすることに・・・でも、福田美術館には10時ちょうどに着きました。平日だし嵐山の観光客も少ないこともあって、着いてから驚きの光景を見ることに・・・。
私は10時着いたので、ちょうど入館が始まったところでした。ただ行列が建物の裏側まで伸びているとは・・・約20名以上が並ばれていましたね、若冲ファンをなめてました。
これは帰りに撮った写真です。行きは着くと直ぐに並んだことと・・・汗を拭くためマスクを外すと、ゴム紐が切れてしまうというハプニング・・・マスクが無かったら入れて貰えない・・・。
マスクが無かってもタオルで口を覆っていたら大丈夫とのことですが、それなら写真が撮れない・・・でも、鞄の中に予備マスクがあったので幸いでした。
チケットはありますが、先ずは並びます。当然、三密ですが、仕方ないですね。そして受付で非接触型で体温測定されますし、嵯峨嵐山文華館と同様、名前と電話番号、住所(区まで)を書きます。もし新型コロナウイルスの感染者が出た場合の措置で、何も無ければ2週間後に廃棄されてます。そして、いよいよ展示室に向かいます。
私の前に、20数名の方が先に展示室に入られているので、ガラガラは期待できません。ここは写真が撮れるので空いてる所から見ていこう・・・と。
右から「寒山拾得(かんざんじっとく)図」「松に鸚鵡(おうむ)図」「花卉双鶏図」全て、前期のみの展示。
「雲中阿弥陀如来像」(前・後後期展示品)
右から「金棒図」(白隠慧鶴)、以下、伊藤若冲の作品で、「普賢菩薩像」(前期のみ)「雲龍図」(前・後期展示)でした。
「達磨像」「臨済義玄像」「徳山宣鑑(とくざんせんがん)像」中国禅宗の祖とされるインドの僧達磨と唐代の禅僧臨済義玄、徳山鑑像を描いた作品。前期のみの展示で若冲外の作品。
「松竹梅鶴亀図」で、熊斐(ゆひ)(1712~1773)の作品。熊斐は長崎で活躍した画家でした。前期のみの展示。
「群鶴図」は、佚山(いつざん)の作品。佚山は大坂で生まれ、京や大坂で活躍した曹洞宗の僧です。前期のみの展示。
「蕪に双鶏図」で、蕪畑(かぶらばたけ)のなかに番の鶏を描いた作品。前・後期展示。
「蟹・牡丹図」で、衝立の表裏に蟹と牡丹(ボタン)が描かれています。前・後期展示。
「芦葉達磨図」で、禅宗の開祖である達磨が一本の葦に乗って揚子江を渡ったという逸話を描いた作品。前・後期展示。
「柳に鴉図」で、菱形をした鴉の胴体の中央にある淡い墨は、水墨画で描いた若冲の鳥の特徴です。前期のみの展示。
「玉蜀黍図」は、真っ黒な墨で玉蜀黍(トウモロコシ)の葉をうねるように描いた作品。前期のみの展示。
左から「柳に鶏図」と「雨桶(あまどい)に雄鶏(おんどり)図」で、ともに前期のみの展示。
「牡丹図」(前期のみの展示)
「花卉(かき)・箒(ほうき)に鶏図」(前期のみの展示)
「牡丹小禽図(ぼたんしょうきんず)」(前期のみの展示)
「馬図」(前・後期展示)
「鳳凰図」(前・後期展示)
「鯉魚図」(前・後期展示)
1階の展示室の作品は、以上です。若冲ファンの多さには驚かされますが、これって三密じゃないの・・・と思ってしまいますが・・・。
伊藤若冲(1716~1800)は、京都錦小路にある青物問屋「枡屋」の長男として生まれました。23歳のとき、亡くなった父に代わり家業を継ぎます。30代で家業のかたわら描いた絵には、独自の感性による表現が感じられます。家業を続けるのか、絵に専念するのかという葛藤に苦しんでいた若冲を解放したのは、彼の絵の才能を見いだし、精神的に支えた大典禅師をはじめとする禅僧や支援者たちでした。彼らが若冲やその家族を援助し励ましたことで、40歳で家業を弟に譲り、絵を描くことに専念します。
この展覧会で紹介された文章です。この展覧会を始まる前から楽しみにしていたところ、新型コロナウイルスの影響で途中中断したりして、やっと本日行けました。後編は2階と3階を紹介します。
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