嵯峨嵐山文華館「いちからわかる 円山応挙と長沢芦雪」へ
7月3日(金)は、嵯峨嵐山文華館で開催中の「いちからわかる 円山応挙と長沢芦雪」に行きました。この展覧会の期間は、5月23日 ~7月13日で、前期が、5月23日 (土)〜6月22日(月) 、後期が、6月24日(水)~7月13日(月)で私は6月5日(金)に前期へ行ってました。この日は後期の作品を見るために来た訳です・・・どうしても見たかった作品があったんですが・・・。
朝から雨が降り続いていたため、車を天龍寺に置き、そこから歩いて向かい、9時56分に着きました。
天龍寺から雨が降ってたので、ゆっくり歩きました。それでも早く着いてしまいましたが、先頭でした。すぐに後ろに2組ほど並ばれるのなか、10時になると扉が開いて入ると、先ずは受付です。
新型コロナウイルスの感染予防の観点から、先ずは検温です。非接触型で計られます。そして2週間保存されますが、名前と住所と電話番号を記入します。そしてやっと自販機にてチケットを買って中に入るわけです。
チケットのQRコードを宛てて入館します。当然、私の前には誰も居ないので、先ずは撮影です。
左から「牡丹孔雀図」(円山応挙)、「牡丹孔雀図」(長沢芦雪)、「鶴・亀図」(円山応挙)、「鶴・亀図」(長沢芦雪)で、前・後期展示でした。
左から「虎図」で、1786年(天明6年)の作品で、円山応挙によるものです。そして右が「猛虎図」(長沢芦雪)で、前・後期展示でした・・・が、予定では、「虎図(円山応挙)」の、1767年(明和4年)の作品が展示予定でしたが、都合により出品中止とありました。
左から「双鶴図」(円山応挙)、「人物図」(円山応挙)、「藤花図」(鶴亭浄光)、「藤花胡蝶図」(円山応挙)ここまでが後期の展示。「鯉図」(円山応挙)、前・後期展示。
「梅花鸚哥図(ばいかいんこず)」応挙のパトロンであった大津の円満院門跡の祐常(ゆうじょう)門主が描いた作品。前・後期展示。
左から「四条河原納涼図」、「余江樹林版画(よこうじゅりんはんが)」ともに円山応挙の作品。前・後期展示。
ここから2階のギャラリーに行ける出口がありますが、私は元に戻って、常設展を見ていきます。常設展ですので、6月5日(金)も見てますが・・・。
常設展では「百人一首ヒストリー」と題して、百人一首の歴史や魅力が分かるように展示されています。最初の展示物は「板カルタ」でした。
こちらには、左に100人の歌人の人形が展示されており、右には百人一首の歴史など紹介されてました。それでは一つ一つ見ていきます。
上から「1.定家と百人一首」「2.歌道と百人一首」「3.庶民への普及」「4.遊戯から競技カルタ」と題して展示品がありました。
「山部赤人あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(柿本人麻呂・白鳳時代を代表する歌人)
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇・第38代天皇)
「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇・第41代天皇)
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人・奈良前期の歌人)
「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」(光孝天皇・第58代天皇)
「月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」(大江千里・平安前期の歌人)
「浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき」(参議等・平安中期の歌人)
「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」(右近・平安中期の女流歌人)
「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康・平安前期の歌人)
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町・平安前期の歌人)
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(紀貫之・平安前期を代表する歌人)
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」(蝉丸・平安前期の歌人 盲目の琵琶の名手)
空いているエリアで、何個か撮ってみました。全部で100枚・・・これは無理です。私が知っている名前は撮ったつもりです。
これで1階ギャラリーを見て、2階のギャラリーに向かいます。1階だけ入口と出口が一方通行です。
ここを出ると受付の前に出るので、そこから2階へ上がります。この模様は明日で。
【嵯峨嵐山文華館】
朝から雨が降り続いていたため、車を天龍寺に置き、そこから歩いて向かい、9時56分に着きました。
天龍寺から雨が降ってたので、ゆっくり歩きました。それでも早く着いてしまいましたが、先頭でした。すぐに後ろに2組ほど並ばれるのなか、10時になると扉が開いて入ると、先ずは受付です。
新型コロナウイルスの感染予防の観点から、先ずは検温です。非接触型で計られます。そして2週間保存されますが、名前と住所と電話番号を記入します。そしてやっと自販機にてチケットを買って中に入るわけです。
チケットのQRコードを宛てて入館します。当然、私の前には誰も居ないので、先ずは撮影です。
左から「牡丹孔雀図」(円山応挙)、「牡丹孔雀図」(長沢芦雪)、「鶴・亀図」(円山応挙)、「鶴・亀図」(長沢芦雪)で、前・後期展示でした。
左から「虎図」で、1786年(天明6年)の作品で、円山応挙によるものです。そして右が「猛虎図」(長沢芦雪)で、前・後期展示でした・・・が、予定では、「虎図(円山応挙)」の、1767年(明和4年)の作品が展示予定でしたが、都合により出品中止とありました。
左から「双鶴図」(円山応挙)、「人物図」(円山応挙)、「藤花図」(鶴亭浄光)、「藤花胡蝶図」(円山応挙)ここまでが後期の展示。「鯉図」(円山応挙)、前・後期展示。
「湖山烟霞図(こざんえんかず)」(円山応挙)前・後期展示。
「梅花鸚哥図(ばいかいんこず)」応挙のパトロンであった大津の円満院門跡の祐常(ゆうじょう)門主が描いた作品。前・後期展示。
左から「四条河原納涼図」、「余江樹林版画(よこうじゅりんはんが)」ともに円山応挙の作品。前・後期展示。
「木菟(みみずく)・鷺図(さぎず)屏風」(円山応挙)。前・後期展示。
「山水図」(円山応挙)。前・後期展示。
「仔犬図(こいぬず)」(円山応挙)。前・後期展示。
「富士巻狩図屏風(ふじまきがりずびょうぶ)」(円山応挙)。前・後期展示。
ここから2階のギャラリーに行ける出口がありますが、私は元に戻って、常設展を見ていきます。常設展ですので、6月5日(金)も見てますが・・・。
常設展では「百人一首ヒストリー」と題して、百人一首の歴史や魅力が分かるように展示されています。最初の展示物は「板カルタ」でした。
こちらには、左に100人の歌人の人形が展示されており、右には百人一首の歴史など紹介されてました。それでは一つ一つ見ていきます。
上から「1.定家と百人一首」「2.歌道と百人一首」「3.庶民への普及」「4.遊戯から競技カルタ」と題して展示品がありました。
「山部赤人あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」(柿本人麻呂・白鳳時代を代表する歌人)
「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」(天智天皇・第38代天皇)
「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」(持統天皇・第41代天皇)
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」(山部赤人・奈良前期の歌人)
「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」(光孝天皇・第58代天皇)
「月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身一つの 秋にはあらねど」(大江千里・平安前期の歌人)
「浅茅生の 小野の篠原 しのぶれど あまりてなどか 人の恋しき」(参議等・平安中期の歌人)
「忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな」(右近・平安中期の女流歌人)
「白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける」(文屋朝康・平安前期の歌人)
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町・平安前期の歌人)
「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」(紀貫之・平安前期を代表する歌人)
「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関」(蝉丸・平安前期の歌人 盲目の琵琶の名手)
空いているエリアで、何個か撮ってみました。全部で100枚・・・これは無理です。私が知っている名前は撮ったつもりです。
これで1階ギャラリーを見て、2階のギャラリーに向かいます。1階だけ入口と出口が一方通行です。
ここを出ると受付の前に出るので、そこから2階へ上がります。この模様は明日で。
【嵯峨嵐山文華館】
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