平安建都、戊辰戦争にゆかりの社 延喜式内社 山國神社へ

山國護國神社を出て、直ぐの所に本来の目的地である山國神社がありました。これで当初の違和感が晴れてスッキリ、友人が先の神社「山國護國神社と書いてあったで」と言われ、間違いに気づきました

IMG_6789.jpg9時45分に着きました。この風景が事前に調べていたものです。ここまで連れて来て貰った友人に感謝ですね。

IMG_6790.jpgここには駒札があって、この 山國神社の由緒が書いてありました。以前、ここに来ようとして少し調べていましたが、それも忘れてて・・・読みました

第50代垣武天皇延暦年中平安遷都(794年・延暦13年)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公(733年・天平5年~799年・延暦18年)が奉仕せられた。以来、大嘗祭の悠紀主基の御殿御造営の御用材を調達する事が恒例となった。第67代三条天皇の1016年(長和5年)神位正一位を贈られ御祈願所として菊花の御紋章を賜り、春日、加茂、御霊、日吉の四社を建立して五社明神とした。源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の1233年(天福元年)再建され第96代後醍醐天皇の御代、1333年・元弘3年の「元弘の乱」に亦々破却されたが足利尊氏の臣細川頼之が当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも1399年(応永6年)社殿を復旧し綸旨を賜った。この時足利義満(1358・天平13年~1408・応永15年)丸に二つ引きの徽章を奉納された。以来、この紋章を当神社の紋章としている。その後第107代後陽成天皇の1596年(慶長元年)再建され、1873年(明治6年)郷社に、1900年(明治33年)府社に列格された延喜式内の古くからの社である。

IMG_6792.jpgIMG_6815.jpg鳥居を入って右手に「手水舎」があって、ここには水がありました。でも、今はコロナ禍触れません。

IMG_6791.jpgここは境内も広いです。東西南北が分からないので、どちらに向いているか分かりませんが、鳥居をくぐって正面を目指します。

IMG_6794.jpgその前に「神饌所(しんせんしょ)」と書かれた建物がありました。神様の食事を支度されるための社殿ですね。

IMG_6795.jpgIMG_6797.jpgIMG_6798.jpgここも京都市内ですが、田園風景が広がり暑いけど、良い香りがします。写真は本殿を斜め横から見た所です。でわ正面に回り込みます。

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御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)で、本殿前には由緒書きが置いてありました。自由に持って行く方式ですね。

IMG_6809.jpg本殿の前に石造りの「狛犬」が鎮座、その前に細長い「拝殿」があって、奥に「本殿」がありました。

IMG_6799.jpg本殿の右側・・・多分、南側にある境内社「春日神社」です。御祭神は、天児屋根命(あまのこやねのみこと)。天照大神 (あまてらすおおみかみ)が天の岩屋に隠れたとき、祝詞を奏した神様です。

IMG_6801.jpgこちらは本殿の左側・・・多分、北側にある境内社「蛭子神社」で、御祭神は蛭子命(ひるこのみこと)です。

IMG_6804.jpgIMG_6805.jpgこちらは末社「八幡神社」で、由緒書きに御祭神の記入がありませんでしたが、応神天皇でしょか。

IMG_6806.jpgIMG_6807.jpgIMG_6810.jpgこちらは「社務所」のようですが、どう見ても留守でしょう。御朱印があるかどうか分かりませんが、諦めました。

IMG_6811.jpgIMG_6793.jpgIMG_6812.jpgIMG_6816.jpgここには、9時51分に出て行きました。ここから車で数分で行ける境外末社もあったみたですが・・・。

帰りも国道162号線を通りました。連休二日目でしょうか、対向車が多かったのが印象です。多分、日本海を目指されたのでしょう、無茶苦茶暑かったから。この日の最高気温は36℃、京都市内の自宅には10時30分頃に連れて帰って貰いました。愛宕山は涼しかったけど、登り坂が苦しかった愛宕山愛宕神社、そのあと京北町の山國神社にと楽しい一日でした。帰ってすぐに水シャワーを浴び、エアコンつけゆっくりさせてもらいました

【山國神社】

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