最古の神社 大神神社の摂社「狭井神社」「若宮社」へ
朝早く家を出て、8時過ぎに奈良県桜井市にある大神神社につき、拝殿でお参りし御朱印もいただいて、摂社「狭井神社」までやって来ました。
ここは三輪山への登拝口になっており、登山される家族連れが待たれています。多分、時間があるのでしょうね、私は奥に進みます。
参道の先に石碑があって、上皇后陛下御歌「三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めすと 奉りてあらむ」と1975年(昭和50年)の、歌会始においてお詠みになられたものが石碑になっていました。
今日、一緒にきている友人は、趣味が登山で、この三輪山も登ったことがあると言ってました。この石段の左手に「手水舎」がありましたが、登山待ちの人が取り囲んでいるので使えませんでした。
第11代垂仁天皇の御代に創建されたと伝わり、祭神は本社の荒魂(あらみたま)を祀っています。古くから病魔を鎮める御利益で知られており、万病に効くとされる神水が湧き出てる井戸があります。
その井戸が本殿の裏にありました。私も友人も殺菌された紙コップで、御神水をいただきました。
「授与所」には人は居ませんでしたが、境内で清掃されている神職さんにお願いしました。家族にと「御神水」を2本と書き置きの朱印をいただけました。
次の予定があるので、直ぐにここを出ました。写真右手が「手水舎」です。他に屋根がないので、登山時間の9時を待たれてるのでしょう。
右手には池があって「鎮女池(しずめいけ)」と書かれていました。そして小さな祠があるので寄ってみると・・・。
末社「市杵島姫命神社」で祭神が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、素戔嗚尊の御子神で水の守護神とされています。
8時43分に、ここを出ると看板が出ていて「若宮社」「久延彦神社」と書いてありますが、とりあえず元の二の鳥居を目指します。
8時53分に「二の鳥居」まで戻ってきました。ここから北を見れば鳥居が見えます。行きも気づいてましたが多分「若宮社」でしょう、行くことにしました。
正式には「大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)」で、「若宮社」とも呼ばれています。8時55分に着きました。
鳥居をくぐって正面に「本堂」じゃなくて「本殿」が見えてきました。ここはかつて「大神寺」として栄えたお寺でした。
「本殿」の前には「御饌石(みけいし)」があって、お正月のご神火まつりの時、久延彦神社に神饌をお供えする石です。
以前の「大神寺」の名残でしょうか、「本殿」前には、右近の「吉野の桜」 と左近の「明日香の橘 」がありました。かつて堂内には十一面観音像(国宝・現在聖林寺奉安)が祀られていたようですが、明治初期の廃仏毀釈で、大神神社の摂社となりました。祭神は、大物主大神の子孫の大直禰子命(おおたたねこのみこと)です。本殿は国の重要文化財に指定されおり、かつてのご本尊の十一面観音像(国宝)は、現在聖林寺のご本尊となっています。
国の重要文化財に指定されてる「本殿」を見たかったので暑いなか、ここまで来たようなものです。ここに「手水」もあって、水は出てました。
帰りには、左手にある火難除の守護神「琴平社」に寄りました。これ以上は分かりません。神職さんは境内を清掃中、子供達はここで遊んでいました。
反対側には安産の守護神「御誕生所社」がありました。御祭神は、鴨部美良姫命(かもべのみらひめのみこと)とありました。
8時59分に、ここを出ました。鳥居の右手には、古事記の伝説に由来する「おだまき杉」の古株が残っていました。
駐車場に戻るとき、JR三輪駅を撮りました。電車も見たかったなぁ・・・と思いましたが、それより暑い・・・。
踏切を渡り、正面に「大鳥居」が見えて来ました。高さが32㍍もあって、巨大です。
駐車場に戻り、残り少なくなっていたペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲んで、クーラーボックスに入れていたお茶と入替ました。タオルも同時に入替、そして9時10分にここを出て次へと向かいました。
【狭井神社】
ここは三輪山への登拝口になっており、登山される家族連れが待たれています。多分、時間があるのでしょうね、私は奥に進みます。
参道の先に石碑があって、上皇后陛下御歌「三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも 花鎮めすと 奉りてあらむ」と1975年(昭和50年)の、歌会始においてお詠みになられたものが石碑になっていました。
今日、一緒にきている友人は、趣味が登山で、この三輪山も登ったことがあると言ってました。この石段の左手に「手水舎」がありましたが、登山待ちの人が取り囲んでいるので使えませんでした。
第11代垂仁天皇の御代に創建されたと伝わり、祭神は本社の荒魂(あらみたま)を祀っています。古くから病魔を鎮める御利益で知られており、万病に効くとされる神水が湧き出てる井戸があります。
その井戸が本殿の裏にありました。私も友人も殺菌された紙コップで、御神水をいただきました。
「授与所」には人は居ませんでしたが、境内で清掃されている神職さんにお願いしました。家族にと「御神水」を2本と書き置きの朱印をいただけました。
次の予定があるので、直ぐにここを出ました。写真右手が「手水舎」です。他に屋根がないので、登山時間の9時を待たれてるのでしょう。
右手には池があって「鎮女池(しずめいけ)」と書かれていました。そして小さな祠があるので寄ってみると・・・。
末社「市杵島姫命神社」で祭神が、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、素戔嗚尊の御子神で水の守護神とされています。
8時43分に、ここを出ると看板が出ていて「若宮社」「久延彦神社」と書いてありますが、とりあえず元の二の鳥居を目指します。
8時53分に「二の鳥居」まで戻ってきました。ここから北を見れば鳥居が見えます。行きも気づいてましたが多分「若宮社」でしょう、行くことにしました。
正式には「大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)」で、「若宮社」とも呼ばれています。8時55分に着きました。
鳥居をくぐって正面に「本堂」じゃなくて「本殿」が見えてきました。ここはかつて「大神寺」として栄えたお寺でした。
「本殿」の前には「御饌石(みけいし)」があって、お正月のご神火まつりの時、久延彦神社に神饌をお供えする石です。
以前の「大神寺」の名残でしょうか、「本殿」前には、右近の「吉野の桜」 と左近の「明日香の橘 」がありました。かつて堂内には十一面観音像(国宝・現在聖林寺奉安)が祀られていたようですが、明治初期の廃仏毀釈で、大神神社の摂社となりました。祭神は、大物主大神の子孫の大直禰子命(おおたたねこのみこと)です。本殿は国の重要文化財に指定されおり、かつてのご本尊の十一面観音像(国宝)は、現在聖林寺のご本尊となっています。
国の重要文化財に指定されてる「本殿」を見たかったので暑いなか、ここまで来たようなものです。ここに「手水」もあって、水は出てました。
帰りには、左手にある火難除の守護神「琴平社」に寄りました。これ以上は分かりません。神職さんは境内を清掃中、子供達はここで遊んでいました。
反対側には安産の守護神「御誕生所社」がありました。御祭神は、鴨部美良姫命(かもべのみらひめのみこと)とありました。
8時59分に、ここを出ました。鳥居の右手には、古事記の伝説に由来する「おだまき杉」の古株が残っていました。
駐車場に戻るとき、JR三輪駅を撮りました。電車も見たかったなぁ・・・と思いましたが、それより暑い・・・。
踏切を渡り、正面に「大鳥居」が見えて来ました。高さが32㍍もあって、巨大です。
駐車場に戻り、残り少なくなっていたペットボトルのスポーツドリンクを一気に飲んで、クーラーボックスに入れていたお茶と入替ました。タオルも同時に入替、そして9時10分にここを出て次へと向かいました。
【狭井神社】
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